第二楽章 Largo amabile

フルートの妖精(1)

 高校に入学する年の春のことだった。

 その年の春は、例年に比べて随分と暖かく、まだ三月の中旬だと言うのに、もう桜が満開を迎えていた。


 第一志望の高校に合格し、卒業式も終えて。

 もう中学生ではないけれど、まだ高校生でもない。

 そんな宙ぶらりんの存在が、今の私だった。

 要するに、暇を持て余していた。


「真雪、どこ行くの」

「ちょっと、そこまで」


 母親に行き先も告げず、私は電車に飛び乗る。

 片道三時間。

 私が進学を決めた高校は、自宅からかなり遠い場所にある。

 ひとまずは、そこを目的地にすることに決めた。 


 四月に入学する予定のその高校は、快速電車の止まらない、小さく地味な駅が最寄りだ。

 駅から徒歩十五分。

 それは、高校の公式ホームページに載っている、少々サバを読んだ数字だ。


 実際にはもう少しかかると思う。

 なぜなら、高校の前にはかなり勾配のきつい、長い坂道があるからだ。

 少なくとも、自転車では登れそうにない。


 駅を降りてしばらく歩き、坂道にたどり着いたところで、私はため息をついた。

 受験の時にも思ったが、この坂は見た目もすごいが、歩いてみると更に辛い。

 どうせあと数日後にはこの丘の上の寮に引っ越してくるのだから、何もわざわざ今日来なくてもよかったかもしれない。


 しかし上を見上げた次の瞬間、その言葉は頭の中で取り消された。


「すごい……」


 思わず、声が漏れた。


 さっきは下ばかり見ていたから気づかなかったけれど、坂道に沿って高校までずっと、満開の桜の花が咲いていた。

 それは風に揺られて時折、花びらを散らしている。


 その光景は、巷のどんなお花見会場よりも素晴らしいのではないかと思った。

 お花見なんて、したことないけれど。


 満開の桜の花に励まされながら、息を弾ませて坂を登る。校舎まであと少し。

 登りきったところで、出迎えてくれた古めかしい校門にタッチした。これからよろしく、の意味を込めて。


 高校の敷地は思ったよりも広く、歴史のある学校のわりには、校舎は綺麗そうだった。

 授業の行われる本館の他に、いかにも歴史のある趣の図書館や講堂がある。当然閉まっているので、外から見てまわる。

 と、その時、反対側から、一人の少女が歩いてきた。


 思わず、息を飲んだ。


 前から歩いてきた彼女は、透き通るような肌に、茶色がかったカールの髪をしている。

 さらに、二重のぱっちりした目、カールした長いまつ毛。

 遠目に見ても、美少女とわかる。


 見惚れていたら、ふと、目が合ってしまって、どぎまぎする。


「綺麗、ですね。」


 彼女は鈴を鳴らすような声で、静かに言葉を発した。


「え……?」


 急に話しかけられて、私が戸惑っていると、彼女は上を指差した。


「この桜。すごく大きくて、びっくりしちゃった。」

「ああ……。一体、樹齢どれくらいなんだろうね。」


 少女に言われて桜を見上げる。


 その瞬間、南風が大きく吹いた。桜の花びらが舞う。

 その下にいる私達の髪やスカートの裾まで、舞い上がる。

 風に驚いた私達は、再び目を合わせて、笑い合った。


 薄いピンク色のワンピースを着た彼女は、桜の花から出てきた妖精みたいだった。


 彼女の上に降る花びらは、そこだけ時間が止まったみたいで、なぜか春なのに、雪のように白く見えた。

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