アヒルとスワンボート(3)

「真雪は、どうしてフルートを始めたの?」


 少し落ち着いてきたところで、前から気になっていたことを聞いてみる。


「あー、どうしてだったかな。初めて吹いたのは中一のときだったから、もうよく覚えていないんだけど」

「何か、きっかけとか、あったの?」

「先輩に憧れて、だったかな。その先輩、すごく格好良くてね。今思うと初恋だったかも」


 『初恋』のくだりで、真雪の声のトーンが冗談ぽい雰囲気に変わる。

 それはまるで、ツッコミ待ちみたいで。私は訊かざるを得ない。



 真雪がフルートを始めたのは中一のときで、そのとき中学校のオーケストラ部には二つ年上のフルートの先輩がいたそうだ。


 フルートという楽器は、じゃんけんで勝ち取った。

 仕方なしに強制参加の部活見学に行ったとき、フルートの先輩が他の楽器の先輩より優しそうだという理由で、フルートに決めたのだ。


 さすがは真雪、その辺りは今と変わらず、マイペースなのだと思う。

 先輩は実際優しかったし、生徒会長をしているような、しっかりした頭の良い人でもあったそうだ。


「ユウキ先輩って言ってね、すごく格好良かったんだよ」


 真雪が自分の話をするなんて、本当に珍しかった。

 つい、興味津々で聞いてしまう。


「もっと、聞かせて、その話」

「うん。そういえば、スワンボートを見ながら思い出したよ」


 真雪は懐かしそうに、思い出話を始めた。

 

 *


 真雪が中学の時、チャイコフスキーの『白鳥の湖』を先輩と一緒に吹いたことがあった。

 その時の真雪はまだ、高いF#の音が出なくて、何度も先輩が一緒に練習してくれたのだ。


「真雪ちゃん、まだ力が入ってるよ。ちょっとごめんね。」


 ユウキ先輩は、真雪の肩を揺らすようにして、真雪を一旦脱力させる。こんにゃくみたいに身体がうねる。気を取り直して、もう一度。そこから姿勢を正して、楽器を構える。


「力を抜いて。深呼吸。……そう、遠くを見て。力まずに、遠くに音を手放してごらん。」


 先輩と一緒に呼吸をすると、不思議と力が抜けて、それまで出なかった音が、ポンと出た。

 一回コツをつかんだら、あとは他の音にも応用できるようになった。


 先輩の音は本当に美しかった。

 真雪はあとで知ったのだが、先輩は県のソロコンクールのフルートの部で、第一位を取ったことがあるらしい。


 その話を先輩に聞いた時は、


「残念ながら、全国大会には行けなかったけどね。」


 そう言って少し残念そうに語っていた。


 真雪はそれから懸命に練習した。少しでも、先輩の音に近づけるようにと。


 本番では自信を持って、『白鳥の湖』を吹ききることができた。

 この曲、本当はオーボエが主役なのだが、真雪にはユウキ先輩の音ばかりが、響いて聞こえた。


 ユウキ先輩は本当に後輩思いで、生徒会の仕事で忙しいのに、隙間を見つけて真雪と練習をしてくれた。


 それから、修学旅行で京都に行ったときは、わざわざ後輩の真雪だけに、お土産を買ってきてくれた。

 小さなピンク色の石のお守り。たまたま寄った神社で買ったのだという。


「可愛いでしょ。真雪ちゃんにはピンクが似合うかなと思って」

「みんなには、秘密ね」


 真雪の耳元でそうっと言って、先輩は笑う。

 秘密、という響きに、真雪はなんだかドキドキした。


 *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る