合宿のはじまり(3)
その後の全体合奏は、ボロボロだった。
ふわふわ浮足立った心に、鉄槌を下されるかのごとく、私はコーチの先生にコテンパンにダメ出しされていた。
私は知らなかったのだけど、この合宿では、顧問の先生の他に、OBであるコーチも指導に加わるのだ。
そのコーチの松岡先輩というのが、厳しい人で有名で、二年生の先輩方も恐れをなしているほどだった。
私達フルートパートは一年しかいないけれど、そんなことはお構いなしに、ビシバシ指導が入った。
「練習、しなきゃ」
休憩を挟みながら、十八時まで続いた全体合奏の後、私はついため息をついた。
今練習しているのは、来年の演奏会で練習する曲のうちの一曲と、文化祭で演奏する二曲だ。
さらに、文化祭でセクション毎に一曲ずつアンサンブルを行うのと、合宿中のパート別のアンサンブル会で演奏する曲もある。
さらう曲が多すぎて、初心者の私には、正直かなりきつい。途中で落ちずについていくだけでも精一杯だった。
「美冬ちゃん、そろそろご飯の時間だよー」
「あ、うん。ありがとう」
いつまでも楽譜とにらめっこしている私に、ヴィオラパートの江利子ちゃんが声をかけてくる。
江利子ちゃんは私の手を引っ張って、食堂に連れて行く。 彼女は『彼氏が欲しい』が口癖の、恋バナ好きな女の子だ。
きっとこの合宿中にも、何かイベントを企んでいるに違いない、と私は直感的に思う。
「あのさ、名前、『美冬』って呼んでも良い?」
江利子ちゃんは歩きながら、そんなことを言う。
「うん。もちろん」
「やったー。じゃあ、私のことも『江利子』って呼んでね」
「わかった。江利子」
二人して、ちょっと照れながら笑う。こういうの、ちょっと小さい子みたいだな、とも思うけど、仲良くしようとしてくれるのは、素直に嬉しい。
そういえば、弦楽器パートの子達は、お互いに下の名前を呼び捨てで呼び合っていた気がする。
部活以外でも、よく遊んだりするのかな。
仲間に入れてもらえたみたいで、なんだか楽しくなってきた。
食堂でまたくじを引いて、席に着くと、今度は周りは弦楽器パートの女の子たちに囲まれた。
「美冬、お疲れ様。さっきの練習、きつかったね」
「ほんと、疲れちゃった」
私だけでなく弦楽器パートの皆も、先ほどの練習で何度も駄目出しをされていた。
でも、私と違って、あまり凹んでいる様子はない。
多分、一人きりで注意をされていた私と、みんな一緒に演奏している弦楽器の皆との、メンタルの違いはあると思う。
彼女たちの間には、『同志』という感じの連帯感が、既に漂っていた。
「この曲、弦楽器もすごく難しそうだよね。皆、指がまわってすごいなぁ」
「えー、私とか、全然駄目だったよ。一年生でまともに弾けてたの、玲奈くらいじゃないかな」
「私だっていっぱいいっぱいだよ。あとで皆、一緒に練習しよ」
玲奈は、四歳からヴァイオリンを習っている、経験者だ。 必然的に、一年生の皆をリードする立場になりつつある。
ヴァイオリンパートの一年生では、玲奈と駿くんが唯一の経験者で、後はみんな、高校から楽器を始めた初心者だ。
クラシック自体、あまり聴かないという人も多い。
私とは、少し事情は違えど、同じ初心者という点では、彼女たちと一緒にいるのはなんだか落ち着いた。
よかった。きつかったのは、私だけじゃないんだ、と。
そして、いつのまにか私も、弦楽器の女子達とは、名前を呼び捨てで会話するようになっていた。
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