女子高生らしくはない(2)

 楽器屋は六階にある。なんとなくエレベーターを使わずに、エスカレーターで一階ずつ上がっていくことにする。なんだか普通にウインドウショッピングをしているみたいな感じだ。


 ほんのちょっとだけ、洋服の売っている他のフロアも気になったけれど、須賀さんを自分の買い物に付き合わせてしまっている手前、なんだか言いづらい。


 寄り道することもなく六階に着くと、須賀さんはまっすぐに楽器屋に入り、小物類がたくさん置いてあるコーナーに進んでいく。


「あった。これ」


 カードサイズの商品を手に取る。そこには確かに『クリーニングペーパー』と表記されている。


「ありがとう」

「どういたしまして。使い方は、明日また説明するよ」

「うん」

「何か、もう少し他に見ていく?」


 意外にも、須賀さんのほうから提案してきた。実際、このまますぐに帰ってしまうのは、なんだか物足りない気がしていた。

 かといって、他に何をしたいかと問われれば、迷ってしまう。その程度のものなのだけど。


「CD、見てもいい?」

「うん、行こうか」


 なんとなく、須賀さんの好む音楽を知りたくなった。『同じ趣味の友達がいない』なんて寂しいことを言うものだから。


「進藤さんは、どんな音楽聴くの?」


 自分が考えていたのと同じことを訊かれたものだから、驚いてしまう。


「私は、一応、クラシックかな。楽器経験はないんだけど、小さい頃からなんとなく好きで」

「そうなんだ! 私も。ねえ、どの作曲家が好き?」


 須賀さんは目を輝かせて、訊いてくる。さっきまでとは全く違う、積極的な反応に、ちょっとびっくりする。


「……バッハ、かな。ベタだけど。『G線上のアリア』とか、そのあたり」

「ああ、BWV1068」

「うん。……さすがだね」


 作品番号までスッと出てくるなんて、やっぱり須賀さんはオタクだった。人のことは言えない、けど。


 ちなみに『G線上のアリア』は、バッハの『管弦楽組曲第三番ニ長調 BWV1068』の第二曲「アリア」を、後のヴァイオリニストのアウグスト・ウィルへルミが編曲したものだ。

 一般の人にはこちらの名前のほうが有名だから、私も合わせてそう呼んでみたのだけど。


 私は、楽器経験はないし、譜読みも得意じゃない。けれど、聴く専門のほうのクラシック好きだった。

 私の家には、父親が所有している防音ルームと、大きなスピーカーがあって、その部屋には大量のクラシックのCDが、所狭しと並んでいる。


 私は小さい頃から、その部屋によく入り浸っていた。父は、クラシックオタクだったのだ。


 クラシック音楽をよく聴いて育った私は、楽器を演奏してみたいと思ったこともあるのだけれど、残念ながら私の自宅周辺には、楽器の先生もいなければ、楽器屋さんもない。

 最寄りの小中学校にも、オーケストラ部、なんて気の利いた部活はなかった。

 まあ、田舎なので仕方ない。そんなものなのだ。


 だから、県庁所在地のある大きな市の学校に進学して、オーケストラ部に入ることは、私のささやかな夢でもあった。


 この高校は偏差値の高い学校だったから、そのために、毎日真面目に勉強もした。

 学校までの所要時間は約二時間。須賀さんの実家ほど遠くはないけれど、通学するのは結構辛い。


 それでも、毎日部活でフルートを吹ける喜びに比べたら、通学時間のしんどさなんて、些末な問題でしかなかった。


「須賀さんは、何の曲が好き?」


 今度は私の方から自然に、そう問いかける。

 須賀さんは、途端に饒舌になる。私達の会話の声で、その場には、ふわっと、楽しげな波が生まれる。


 気づけば大分時間が経っていて、そろそろ帰宅し始めないといけない頃だった。


「須賀さん、今日はありがとう」


 寮住まいの須賀さんとは、このビルを出たら逆方向に帰るはずだ。

 私が別れの挨拶をして、駅の方へ向かおうとすると、彼女は言った。


「送るよ。帰り道、危ないから」


 確かにまわりは居酒屋さんとか、ナイトクラブ、ホテルのあるような場所で、この時間に女子一人で歩くのは心許ないのだが。


 でも、そんなことまでお願いしてしまっていいんだろうか。第一、私と別れた後は、逆方向に帰る須賀さんが一人になってしまうじゃないか。

 そんなことを考えて戸惑っているあいだに、須賀さんは私の先を歩き始める。


「行くよ」

「う、うん。ありがとう」


 ここは黙ってお言葉に甘えるのが正解なような気もしていた。

 須賀さんが何を考えているのかはわからないけれど、少なくとも私のことを心配してくれているのだということはわかって、だから嬉しかった。


 二人で歩いている途中、何度か黒いスーツの男の人達とすれ違ったけれど、彼らは制服を着た私達に声をかけることなどはなく、私達は何事もなく駅に到着した。


「じゃあ、また明日」

「うん、またね。今日は本当にありがとう」


 今度こそ、お礼を言って別れた。ちょうど私が乗る電車が来たので、早足でホームに向かう。


 ここから二時間、電車に揺られる。母親への連絡は事前に済ませておいたけれど、家に着くのは十時頃になりそうだ。


 今更だけど、高校生って、案外大変だ。


 夜八時の下り電車は混んでいて座れない。くたくたに疲れていそうなサラリーマンのおじさん達と肩を並べて、数学の教科書を小さく開いてみたけれど、あまり頭に入ってこなかった。


 須賀さんは、無事に寮に帰れただろうか。携帯のメールアプリは開きかけたものの、やっぱり閉じてしまった。

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