第6話

 片腕をなくした幽霊は、なくした腕をもう片方の腕で庇いつつ慌ててある一軒家に戻ってきた。

 一軒家と言っても山の中に建ててあり、徒歩だと一時間もかかってしまう。

 この雨の中、車でなければ来るのは困難だろう。


 一軒家は屋敷と言っていいほどの大きさだ。

 ただし、外壁には蔓が這っていて、ヒビが入っている。

 古さが際だつ屋敷だ。


 先ほど、翠花の前では見栄を張って片腕をなくしたことの動揺を隠していたが、今はそれを隠そうしない。

 恐怖の感情を顔に貼り付けている。


「マスター!」


 幽霊は扉を開けることなくそのまま激突する。

 と思われた時、体が扉の奥へと消える。


「マスター!」


 転げるように屋敷の中へと入ってきた幽霊は叫ぶ。


「なんだ騒がしい」


 二階へ続く階段の奥から、一人の男が現れた。


 髪をオールバックにしていて、黒のスーツに黒のシャツに黒のネクタイ。

 顔だけみればやり手の営業マンといった風の顔つきだが、鋭く細い目と全身黒ずくめの格好がそれを邪魔している。


「刃様」


 刃と呼ばれた男、川並刃は突然呼ばれたことに不快さを隠そうとせずに階段を下りていく。


「どうした」


「翠花お嬢様に逃げられてしまいました。申し訳ありません」


「逃げられた」


 怒気をはらんだ言葉。


「申し訳ありません」


「その腕は翠花にやられたのか」


「そうです」


 悔しさの滲んだ幽霊の声。


「そうか。それで片腕を失っただけのおまえはのこのこ戻って来たのか」


「……その通りです。あのままいれば私も殺されてたことでしょう」


「お前、一度死んでるだろ」


「は?」


「なら、もう一度死ぬのも怖くないだろ」


「な、何を言ってるんですか。幽霊の状態で死ぬと、もう完全に消滅してしまいます。私はまだ死にたくない」


「何を言ってるんだ。俺が魔力をお前にあげないとどうせ死ぬんだよ」


 幽霊には二種類いる。


 死んで、そのまま自然に幽霊になるか、魔法使いが死体に魔力を注いで強制的に幽霊にさせるかだ。

 後者の場合、定期的に魔力をもらわなければ体が保てなくなる。

 なので、幽霊にさせられた者は魔法使いの使い魔となるしか生きるすべがない。


「それはそうですが……」


「なら死ぬ覚悟を持って翠花様を取り返してこい」


「ですが、翠花様のような魔法使いになると、ただの幽霊である私では太刀打ちできないのです」


「なら、居場所だけでも見つけてこい。その位なら幽霊であるお前でもできるよな」


「は、はい。直ちに探してまいります」


 幽霊は部屋を出ようと素早く行動を起こす。


「ちょっと待て」


 刃が幽霊に声をかける。


 幽霊が振り返る。


 その時、


「精霊サラマンダーの子たる炎よ。燃やし尽くせ。火種の炎球よ」


  魔法、火種の炎球。


 刃が呪文を唱える。


 火種の炎球が幽霊の残った腕を焼き尽くす。


「うわぁぁぁあああ」


 絶叫が館に響く。

 五秒ほど続き、徐々に落ち着きを取り戻す幽霊。


「な、にをするんですか」


「翠花様を逃がした罰だ。両腕がなくても、居場所を探すこと位はできるだろ?」


 刃は冷めた笑みを浮かべる。

 そこにいはいたぶることを楽しむような気配がある。


「は、い」


 幽霊は刃の笑みに恐怖を感じ、急いで館を後にする。

 翠花を探すために。


 刃は明かりの点いていない中、階段を上っていく。


 そして、姿が暗闇に消えていった。





 郁登は、翠花を背負って家まで帰って来た。


 濡れている翠花をソファーに寝かす。

 ベッドに寝かすと濡れてしまうので、ソファーに寝かした。


「さて……」


 郁登は翠花を見下ろす。


 濡れている。


「着替えさせなきゃ駄目だよな」


 着替えさせるということは、一度服を脱がすということだ。


「犯罪っぽいな」


「犯罪よ」


 突然の声に、郁登はびくりと肩を振るわせる。


「いつから起きてた」


「あなたが服を脱がしていやらしいことをしようとした所から」


「いやらしいことなんてしてないし!」


「ふふふ、冗談よ。ここまで運んでくれてありがとう」


 翠花は大きく息を吐き出す。

 顔は赤く、息が乱れている。


「とにかく、着替え貸すから服着替えて」


 郁登は、洗ったばかりのティーシャツとジーンズを翠花に渡す。


「ありがとう」


「そこで着替えて」


 郁登はユニットバスの扉を指さす。


「歩けるか?」


「平気よ。優しいのね」


「病人に優しくするのは当たり前のことだよ。俺は風邪薬を買ってくるから。着替えたらベッド使っていいから寝てなよ」


「ありがとう」


 翠花はユラユラと左右に体を揺らしながらユニットバスの中へと消えていく。


 それを見届けてから、郁登は財布を制服のポケットに入れて、部屋を出ようと玄関へ向かう。


「よかった、下着は濡れてない」


 ユニットバスから翠花の声が漏れる。


 郁登は思わず、翠花の下着姿を想像してしまう。


 背負ったとき思ったが、翠花は意外と胸がある。


 それを思いだし、郁登は背負った時、背中にあたる翠花の胸の感触を思い出す。


 思い出して、これ以上思い出したらやばい、と思い頭を左右に振って胸の感触を振り払う。


「薬買いに行こう」




 幸いにも雨はやんでいた。


 駅前にあるドラッグストアに行って、売れ筋ナンバーワン、と一押しされている薬を買う。

 ついでに、スポーツドリンクも買う。


「ありがとうございました」


 店員の声を聞きながら、郁登は店を後にする。


 すでに太陽は地平線の向こう側へ隠れていて、辺りはすでに暗くなっていた。

 駅前なので居酒屋などの店の看板や窓から漏れる明かりで、郁登の周りは明るい。

 一歩住宅街に入れば、駅前の明かりは嘘のように消えていく。

 ぽつぽつと街灯が道を照らしている以外、明かりがない。


 今夜は雲に隠れて月がでていない。


 郁登はこれから翠花をどうすればいいのか考えながら歩く。


 翠花は魔法使いで家出をしている。

 使い魔が三体もいたならそれなりに大きな家なはずだ。

 死体を手に入れるには金がかかる。


 使い魔となる幽霊にはいくつかパターンがあるが、偶然死んだ人を見かけ、魔力をあげて使い魔にする方法。

 これには金がかからないが、偶然三人の死体に巡り会うのは難しいだろう。


 その他に、生きている間にその人物の死体を買うことだ。


 自分の死体を売る人は金で困っている人たちで、大金を得る代わりに、自分の死を魔法使いに売る。


 だが、これにも問題がある。


 人がいつ死ぬなんて誰にもわからないことだ。

 だから、自分の死を売った人間は、金を受け取った後、自殺する。


 これは、表には出ていない、魔法使いだけが知り、高校で教えられる魔法使いの闇の出来事の一つだ。


 翠花は家の使い魔を消滅させてしまっている。

 それほど、家には帰りたくないのだろう。


 でも、ずっと家にいさせるのはよくない。


 主に俺の精神上よくない。


 同じ年ぐらいの女の子と同居なんて、いろいろ階段を駆け上りすぎだ。


「やっぱ、説得かな。でも、何で家出したんだろう」


 郁登自身も家出のようなことをして今の暮らしになっている。

 翠花にも郁登と同じような事情があるのだろうか。


「そうだとしたら、どうしよう。説得しても無理だろうな」


 でも、女の子を一人で家から追い出す訳にもいかない。


「本当、どうしよう」


 考えても結局答えはでない。


 角を曲がった時、一体の幽霊に出くわした。

 異様な姿の幽霊だった。


 幽霊には両腕がなかった。


「あ!」


 幽霊が声を上げる。


 その顔を見て、郁登は思い出した。


「翠花を追いかけてた幽霊」


「お前は翠花お嬢様と一緒にいた奴」


 二人は同時に言った。


「お前、翠花お嬢様がどこにいったか知らないか?」


 幽霊は最初の時とは違い、穏やかな表情で言う。

 いきなり襲ってくるようなことはしないようだ。


 そのことに郁登は安堵した。

 なので、口を開いた。


「翠花なら……」


 と言いかけて、郁登は口を閉ざす。

 相手は翠花を追っていた幽霊だ。

 郁登自身の判断で翠花の場所を言ってもいいかどうか迷う。


 それに、上手くすれば翠花が家出した理由が分かるかもしれない。


「翠花ってあの時あんたの腕を切り落とした女の子のこと?」


 郁登はわざととぼけてみせる。


「そうだ」


「あの子、何かしたの?」


「……ただの家出です」


 幽霊は一瞬言いよどむ。


 そのことを郁登は見逃さなかった。


 人には言えない何か訳がある、と郁登は感じた。

 と同時に、翠花の場所を言うのは止めた。


「そんなことより、お前、翠花お嬢様がどこに行ったか知らないか」


「知らないよ」


 郁登は首を横に振る。


「でもどっちに行ったから位は分かるだろう」


「それは……」


 今度は郁登が言いよどんだ。

 知らない、と言えば会話は終わるものだと思っていた郁登は、幽霊の質問の答えを用意していなかった。


 変な間ができてしまった。


 幽霊はそれを見逃さなかった。


「お前、翠花お嬢様がどこにいるのか知ってるのか!」


 噛みついてきそうな形相で幽霊は言う。

 両腕があったら郁登に掴みかかっていただろうことは想像がつく。


「知らない! 本当に知らない!」


 郁登は必死に首を横に振る。


「本当か?」


 幽霊は疑いの目で郁登を見る。


「それじゃ、俺は用があるんで」


 郁登は疑いの眼差しから逃れるように足早にその場から立ち去った。

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