賊退治

                 弐

「ふむ……」

「父上、これは好機でございます」

 永禄十一年(1568年)高虎――この頃は与吉――が十一歳くらいの頃、屋敷で父の虎高と兄の高則がなにやら話し合っていた。川に遊びにでも行こうと思った与吉だが、しゃがみ込んで、その話に耳を立てる。

「好機とは何を以って、そう申すのか」

「これはしたり……」

 高則が額を軽く抑える。

「なんじゃ」

 虎高は少し苛立つ。

「お分かりになりませんか、小谷の郷で屋敷に立てこもったという賊を捕らえれば、我が藤堂家の覚えもめでたくなるというものです」

「ああ……」

「小谷の郷は、お館さまのお膝元、きっと我らの活躍もそのお耳に入るはずです」

 お館さま、つまりは上司のことである。藤堂家は、初めは近江国の北部の守護であった京極氏に仕えていたが、戦国時代の流行とも言える〝下剋上〟により、北近江の支配権は浅井氏に移っていた。よってこの頃は浅井家に仕えていた。このころの浅井家の当主は浅井長政あざいながまさ、十五歳の若さで家督を継ぎ、『野良田の戦い』において、南近江を支配していた六角氏を破り、一時は衰えていた浅井家の勢威を取り戻してみせた江北の若き雄である。

「たしかに覚えはめでたかろうな……」

「参りましょう」

「まあ、待て、そう急くな」

「何故に?」

「……そなた、儂の齢を覚えているか?」

「……はて?」

 高則が首を傾げる。

「もう五十二になるのじゃぞ。はっきり言ってしまえば爺じゃ。そんな爺に賊退治をせよと申すのか」

「まだまだお若くいらっしゃいます」

「世辞はいらぬ……」

 虎高は右手を左右に振る。

「……夜な夜な近所の娘のところに出入りしているとか……」

「お、おほん! そ、それはただの噂じゃ!」

 虎高は大きく咳き込んだ後、大声を上げる。

「父上が参らぬのであれば、この高則が参ります!」

「ま、待て……!」

「待ちませぬ!」

 高則は立ち上がって部屋を出ようとする。

「わ、分かった! 父も参ろうぞ!」

「そうこなくては!」

 高則は笑顔を浮かべて、座り直す。

「まずは準備が肝要じゃ。暗くなってから仕掛けるぞ」

「はっ!」

 虎高の言葉に高則が頭を下げる。それを聞いていた与吉は、自分の体が中から熱くなってくるのを感じていた。それから半刻が経ち……。

「……準備は良いな?」

「はい!」

 虎高の問いに高則が元気よく応える。

「今から出立すれば、小谷の郷に着くころには暗くなっておる。気を張って立てこもっていても日中に比べ、夜はどうしても集中が途切れ途切れになる。その隙を突く……!」

「さすがは父上、見事な策です」

「策というほどのものではないが……まあよい、出立するぞ」

 虎高と高則は腕っぷしの強い供の者を数人連れ、とらたちに見送られ、屋敷を出発した。村を出てしばらくしたあたりで、思わぬ者と遭遇した。

「父上! 与吉も連れていってくだされ!」

 鉢巻きを額に巻いた与吉だった。虎高は見送りに与吉がいなかったことから、嫌な予感がしていたが、その予感が的中した。虎高はため息をつく。

「はあ……」

「父上!」

「……駄目だ」

「えっ⁉」

 与吉が目を丸くする。

「家に帰れ。とらも心配しておるだろう」

「与吉は喧嘩では負けたことがありません!」

「喧嘩とはわけが違う」

「石合戦にも負けたことは無いです!」

「子どもの遊びではないのだ!」

「!」

「うぬはまだ子どもじゃ。家で留守をしっかりと守っておれ。おい、行くぞ」

「は、はい……」

 虎高と高則が与吉の脇を通り過ぎる。

「くっ……!」

 与吉は家の方に向かって走り出す。家に駆けこむと、父の予備の刀を持って、再び父と兄の後を追いかけた。体は尚も熱いままである。全力で走ったからだろうか。子ども扱いされた悔しさであろうか。否、戦いに燃え滾る心であろう。もっとも、その時の与吉には、そういった自身に湧き出る感情について考えている余裕は無かった。

「覚悟!」

 小谷の郷に着いた虎高と高則が夜になって、賊が籠っている屋敷に急襲をかけた。この急襲は虎高が思った以上に効果的なものであった。大いに慌てた賊は屋敷の裏口から逃げ出そうとした。

「!」

 賊は驚いた。裏口に刀を構えた少年が立っていたからである。

「逃げるならここしかないと思っていた……覚悟!」

 与吉は刀の切っ先を賊に向ける。落ち着きを取り戻した賊が笑う。

「ふふっ……」

「なにがおかしい!」

「背丈こそ立派だが、声を聞く限り、まだ子どもではないか……」

「それがどうした!」

「手加減をする余裕は無いぞ! そこをどけ!」

 賊が与吉に飛びかかる。

「うおおおっ!」

「⁉」

 与吉は無我夢中で刀を振った。その子ども離れした膂力は、賊の首を飛ばすのに十分だった。与吉は乱れる呼吸を整えると、持ってきた手ぬぐいに賊の首を包んだ。そして、屋敷を探す虎高と高則の下へ持って行った。高則は絶句し、虎高も大いに困惑した。しかし、叱りつけることはせず、その勇気を大いに賞賛した。藤堂家の、というか与吉の武勇はたちまちの内に評判となった。後日、小谷城へ虎高と高則が呼び出され、与吉も同行を許された。

「此度のこと、誠に大義であった」

「ははっ、ありがたきお言葉!」

 主君である長政に声をかけられ、虎高は頭を下げた。

「与吉とやらは……そなたか。なるほど、十二歳とは思えん体躯だな……」

 長政が与吉を見て、感心したように呟く。

「……お館さまの幼きころと瓜二つ……」

「はははっ、おい、市、そんな戯言を言う為に来たのか? 儂の幼きころを知らんだろう」

 長政の側には近年、長政と結婚した織田信長の実妹、お市の方がいた。平身低頭していた与吉はチラッとその顔を盗み見た、素直に綺麗だなと思った。

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