第20話

 次に起きたとき私は甲唐大学付属病院の見慣れた部屋で目覚めた。


 ここは三週間ほど前まで雄蔵さんが入院していた特別室だ。


 目が覚めると、一緒だった佳奈ちゃんはホッとした表情を見せてナースコールを押してくれた。


「小野田 咲良が目覚めました」


「はい、すぐに伺います」


 そんな返事が聞こえて来た。


 そして看護師さんとお医者さんがやって来る。


「小野田さん、気分はいかがでしょう?」


 その問いかけに、私は答える。


「そうですね。気持ち悪いとかは無いですけれど。私、どのくらい寝ていたでしょうか?」


「およそ三時間ほどですね。今は夕方五時過ぎですよ」


 しかし、一般庶民の私がどうして特別室に?と思ったら廊下からまた足音がする。


「咲良ちゃん‼」


 そこに来たのは日菱家の面々。


 慌てた様子の皆さんに心配かけてしまったなと反省しきり。


 でも、刃物持った人が突っ込んでくるのは想定外だし。


 どこの誰ですかって感じだし。


 そして、私は自分の刺された足に感じる違和感を拭えないでいた。


「雄蔵さんに久実さん、雄介さんもお仕事だったでしょうに。ご迷惑おかけしてすみません」


 私がそう告げると、みんなが首を横に振って否定する。


「迷惑なものですか。無事でよかった」


 瞳を潤ませて、抱きしめてくれる久実さんに私は腕を添えて感謝する。


「ありがとうございます」


「犯人は捕まっておる。先日事件に巻き込まれて亡くなった元婚約者の浮気相手の母親だそうだ。本当に逆恨みの犯行だな」


 私と久実さんを見守りながら事件のことを教えてくれたのは雄蔵さんだった。


 そして添えていた手を取り、自身の額に当てて囁くように雄介さんは言った。


「刺され倒れたと聞いて、生きた心地がしなかった。生きていてくれて本当に良かった。君を失うかと……」


 雄介さんや久実さんが泣く姿は初めて見た。


 いつも穏やかで、微笑んでくれているから。


 本当に心配をかけてしまったが、私は感じた違和感について医師に確認しなければならない。


「先生。私の足、右の膝より先の感覚が無いんです。足先を動かせる気がしません。これは、もう動きませんか?」


 私の問いかけに部屋にいるみんながぐっと息をつめて先生の返答を待った。


「まだ検査をしていないので、はっきりとは申せませんが。出血を止める際に確認できた範囲では太ももにある神経と腱が傷ついていました。感覚が無いのであれば、恐らく厳しいかと思われます」


 医師の言葉に、部屋のみんなが何も言えなくなってしまった。


「そうですか。詳しい検査は後日受けられますか?」


 私だけがそれを受け止め医師に言葉を返す。


 ハッとした久実さんがさらに言った。


「検査結果が出るまでは分かりませんよね?それにリハビリ次第ということもありますよね?」


「えぇ、そうです。ですから、はっきりとは申せないと言っております」


 医師の言葉にとりあえず、落ち着いた久実さんや雄蔵さん。


 そして、雄介さんは医師に詳しく話を聞きたいと一緒に部屋から退出した。


「咲良ちゃん、喉乾いてないかしら?何か飲み物買ってくるわね」


 そういって久実さんも一時退出した。


 残っているのは雄蔵さんと佳奈ちゃん。


 佳奈ちゃんは看護師だ。しかも整形外科医のお兄さんの診療所で働いている。


 分野で言えばこの中で一番専門家である。


「佳奈ちゃん。足に布団が乗っている感覚すら無いのは、厳しいよね?」


 私の言葉に、佳奈ちゃんはぐっと唇をかみしめている。


「ごめんね、はっきり言うの嫌よね。聞かなかったことにして。唇切れちゃうから、そんな噛みしめないの」


 私の言葉に口の力を抜くと、震える息を吐きだしながら佳奈ちゃんは嫌だろうに答えてくれた。


「私が確認を手伝うわ。布団めくって足を触ってもいい?」


「大丈夫?お願いしても」


「もちろんよ」


 そう言ってめくってもらった先には確かに自分の足がある。


 そして佳奈ちゃんが触れらてるのが見えても、私は触られている感覚がしなかった。


「佳奈ちゃん、見れば触れているのは確認できるけれど。触られている感覚は無いわ」


 その言葉に佳奈ちゃんはぎゅっと一度目をつぶると、私を見て言った。


「神経が傷ついていたって先生は言ったね。そしていま私が触れた感覚が無い。ここも?」


 そう聞いて触れられたのはふくらはぎだが、やはり感覚は無かった。


「うん、やっぱり感覚が無いわ」


 佳奈ちゃんは下を向いていても、それでも私にしっかり教えてくれた。


「検査結果が出るまで確定は出来ない。でも、かなり厳しい状態だと思う」


 自分の感じた拭えない違和感は確かだったのだと確信する。


「言いにくいだろうに、はっきり言ってくれてありがとう。佳奈ちゃんはなにも悪くないからね?むしろ、私の事情に巻き込んでごめんね。止血とかしてくれたでしょう?本当に、ありがとう」


 ぽろぽろと涙を流す佳奈ちゃんに私は頭を撫でる。


「一緒にいたのに、止血と救急車呼ぶしか出来なくて……」


「怖かったでしょ?看護師でも目の前で友達の私が刺されて倒れて、パニックになりそうだったでしょ? それでもしっかり対処できた佳奈ちゃんは、立派な看護師さんだよ」


 私の言葉に涙が止まらない佳奈ちゃんに私はよしよしと背中を撫でた。


「大丈夫、人生なるようにしかならないし。どうなっても私は私だし。運よく命はあるのだから、ラッキーよ。私の両親は、事故で亡くなっているのだもの。私はラッキーよ」


 私の言葉に、ぐっと涙をぬぐった佳奈ちゃんは私に抱き着いて言った。


「経過が落ち着けば、リハビリも、なんでも付き合うからね」


 やっぱりたくましい子。佳奈ちゃんと仲良くなれて良かった。


 私は、ひとまずみんなと話して、夕飯が来た頃には今日はとりあえず起きて一安心したから帰ると言って部屋を出て行った。


 そんな中でも、残ったのは雄介さん。


 事件のせいで、いったん外されたピアスは今、」ベッドサイドテーブルに乗っている。


「咲良さん。このピアスの文字の意味は知っていますか?」


 ここに来ての雄介さん問いに私はニコッと笑って聞いた。


「いいえ? 可愛いなと思ったけれどアラビア文字は読めないので」


 そう答えると、雄介さんは私の顔を見て優しく言う。


「咲良さんは隠しごとには向きませんね。意味、分かったでしょう?」


 その問いに、私は事件前に佳奈ちゃんに言われた言葉を思い出す。


「そんなにわかりやすいかな?」


 それに雄介さんは微笑んで私の頬を撫でつつ答えてくれる。


「一緒に過ごすようになって、たくさんの咲良さんの表情を見てきましたからね。あなたは正直で、素直な人だから」


 私の頬に、初めて雫がこぼれていった……。




 足の動かない、立てない、歩けない女性が日菱の時期グループCEOの隣に居られない。


 ピアスの通りの気持ちを向けられても、答えてはいけないと私にブレーキがかかる。


「咲良さん。意味を知った時どう思いましたか? まだ、早いとか、不安とかじゃありませんでしたか?」


 私は、顔を上げて雄介さんを見つめた。


「俺はあなたの気持ちが育つのを待つつもりでした。一緒に過ごしながら育めばいいと。でも、あなたが私の前からいなくなると思ったら無理でした。生きていけないと思いました」


 その言葉に、私の目からはこぼれるしずくが止まらない。


「あなたが生きてくれていれば、究極それで充分だと思えました。できればこのまま一緒に暮らしたい。咲良さんの居ない生活は、もう俺には無理です。正直な気持ちを聞かせてください」


 私は……。私は足がダメだと気づいたときに絶望した。


 もう雄介さんと一緒に居られないだろうことに絶望したのだ。


 一緒に暮らすうちに、私も少しずつ雄介さんに惹かれていたのだと、自分の足がこんなになって気が付いた。


「雄介さん。一緒に居たいです。足、だめかもしれないけれど。それでも、いいですか?」


 私の問いかけに、雄介さんは優しく抱きしめて言った。


「さっきも言ったでしょう?咲良さんのいない生活は出来ないと。あなたが居ないと、俺は生きていけないので一緒に居てください」


 こんな状態でプロポーズなんて、きっとどうかしている。


 でも、前に結婚が決まった時より嬉しくて幸せだと感じる。


「はい。よろしくお願いします」


 私たちの初めてのキスは、病室で。


 ぐちゃぐちゃの泣き顔なのに、雄介さんはそれでも私を愛おしそうに見つめてさらに何度もキスをしたのだった。

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復讐はカフェラテの後で~結婚前提の彼に浮気された私は財閥でメイドとして働くことになりました~ 星路樹 @seiroitsuki

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