第18話

 手術前にお会いしたっきりなので久しぶりだ。


「ご無沙汰しております、お元気でしたか?」


「あぁ、咲良ちゃん来ていたの? 今日はどうしたの?」


 そんな柔らかな口調で訊ねてくる雄一さんに、雄蔵さんが答えた。


「アダムとウェブ打ち合わせだが、菅野がどうしても体調不良で欠勤だというので急遽朝に咲良ちゃんに連絡し通訳頼んだんだよ」


「そうだったのか。咲良ちゃんはフランス語も出来るのか。ますます、うちに欲しい人材だな」


 雄一さんがそんなことを言っていると、キッチンでお茶を入れてくれていた久実さんが言う。


「そりゃあ咲良ちゃんは優秀だもの。でも、うちで働くかは咲良ちゃん次第でしょ?」


「そうだね。ちょっと考えてみてね?」


 なんてちゃっかりいう雄一さんに雄蔵さんがサラッと言った。


「咲良ちゃんは、私の秘書になってもらおうかと思っているのだよ。だから、お前や雄介にはやれんなぁ」


 楽しそうに言う雄蔵さんに、雄一さんはにこやかに言い切った。


「咲良ちゃんがは人事監査も出来てマーケティングも出来る。そんな貴重な人材だよ? 父さんの秘書じゃもったいない」


 どうにも日菱家の皆さんが買いかぶってくれるが、そこまででもないと思うのよね。


 サンライズには出来る人がたくさんいたし。


「だから、咲良ちゃん次第でしょう! 二人とも落ち着いてちょうだい」


「ごめんね咲良ちゃん。嫌な時ははっきり嫌って言っていいからね?」


 そんな久実さんのやさしさに頷いて、ゆっくりお茶と水まんじゅうを頂いた後に、ちゃっかり先延ばししていたフランスとスペインのお土産からボールペンとショールを頂いて帰宅したのだった。



 週の半ば、今日は雄一さんが帰宅する日。


 今回も張り切って筑前煮やホウレンソウの白和えやひじきの煮物、みそ汁に焼き魚を準備していた。


「ただいま。今回も良いにおいがしているな。着替えてくる」


 そう言って、自室に向かうと五分と経たずに戻ってご飯を食べ始めた。


 それはとても美味しそうに。


「やっぱり咲良さんのご飯が美味しくて、帰って来たって感じるな。いつもありがとう」


 そんな感謝を述べて、雄介さんはお風呂に入ると今日は時差ボケを治すから明日は十時出勤だから九時には起こしてくれと告げて寝室へ。


 

 いつからだろう。


 最初はただの家政婦だったのに彼女の見ないと落ち着かなくなった。


 彼女が笑うと嬉しくて、そして彼女が困っていると助けたい。


 心配だった状況は、俺やじいさん、父さんに母さんの動きで完全にとまではいかないものの安心できる状況を迎えた。


 佳奈とも仲良くなり、充実した日々を送れているようで安堵している。


 俺自身も始めはただの家政婦だと思っていたのに、豊かな表情に。


 思いやりのある人柄に、優秀な能力に。


 でも、なによりその穏やかな雰囲気と美味しい料理に胃袋掴まれたともいえる。


 そして部屋に置いている今回の土産物はまだ渡せていない。


 いつもは甘いものが好きなので、お菓子を買うことが多い。


 しかし前回、チョコレートを買っているので今回は別にしようと思い買ったのがピアスだった。


 似合うと思って選んだが、文字の意味を考えて渡すのを躊躇したが、明日さらっと渡そう。


 そう考えて時差ボケで重い頭に誘われる様に眠りに落ちた。



 翌日、咲良さんはお願いした通り九時にお越しに来てくれた。


「雄介さん、九時ですよ。起きてください」


 そんな声掛けに、俺はすっと覚醒する。


 寝起きの良さは俺の長所の一つだ。


 どんな時差ボケでも寝てからアラームを掛ければ起きられるのだが、ちょっと甘えてみたくて起こしてもらえるように昨日声をかけた。


「おはよう。ありがとう。準備したら降りるから。いつものお願いしていいかな?」


「もちろん、用意しますね」


 そう言って下がろうとした咲良さんに、俺は買ってきたお土産を渡すため声をかけた。


「あ、咲良さん。これ、今回のお土産だよ」


 サッと小箱を渡すとちゃんと受け取ってくれた。


「わ、何だろう。ありがとうございます」


 受け取って、咲良さんはいつもの朝の準備に下がっていった。


 身支度を済ませて、階下に降りるといつもの朝の定番になったフルーツヨーグルトとカフェラテがある。


 そして、咲良さんの耳元にはお土産に選んだピアスがさっそくつけられていた。


「これ、可愛いですね!ありがとうございます」


 笑顔でお礼を言う、咲良さんは綺麗で可愛い。


「似合っていますね。気に入ってもらえたようで良かったです」


 俺も笑って伝えると、咲良さんは一緒に朝食を食べてくれる。


 一緒にご飯を食べるのが楽しいと思えたのも彼女のおかげだ。


 いつ気付くか、ちょっとした楽しみになったな。


 K22のピアスはアラビア文字で愛しい人へと書かれていることに……。


「それじゃあ、行ってきます」


 確実に彼女と一緒に居られる関係になるために。


 家族は既に咲良さんを気に入っているし、俺と一緒になるのを考えているとは思う。


 ただ、それも咲良さん次第だ。


 彼女の気持ちが大事だから。


 だからここで、一緒に暮らすことや出かけることに違和感が無くなり、居心地よく思ってくれればいい。


 あわよくば、意識してくれるようになれば……。


 その布石に買ったピアスは彼女の耳で揺れている。


 さぁ、そろそろ彼女を捕まえるために動き出そう。


 邪魔もなくなったからと。そう思っていたのに……。


 まさか、あんなことになるなんて誰も想像していないし、予期していなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る