第6話

 雄介さんの住み込み家政婦生活もそろそろ一週間を迎えた。


 本来だったら、結婚して新生活を送っていたはずなのだがおバカな元婚約者のせいで生活環境から再スタート状態である。


 幸いにも、住むところとお仕事が早々に確保されたことは安心なのだけれど。


「あのバカ、やっぱり振込されてないわね」


 元婚約者に予告した一週間の期限日の今日。


 圭太に振り込めと言った、貸した三百万円はいまだ口座に振り込まれず。


 さて、そろそろ千佳に本気で動いてもらおうかしら。


 朝のカフェラテをメーカーで準備しつつ、私はそう思案していると出勤の身支度を終えた雄介さんがやって来た。


「おはよう。どんどん、家が過ごしやすくなっていて助かる。今日は会食なので夕飯はナシで大丈夫だ。咲良さんは今日なにか予定はあるかい?」


 朝一番で、定番となったフルーツヨーグルトを食べてラテを飲みながら雄介さんから問われた私は答える。


「今日は小林国際弁護士事務所へ行きます。元婚約者は私に借金もしているので、そちらの督促と婚約破棄の慰謝料について書面作成して送付してもらうために。あと、小林弁護士と軽くご飯を食べてきます」


「そういえば、千佳とは友人だったっけ?」


「えぇ。大学時代の友人です。留学生用のアパートでルームシェアしていたので」


 私の答えに、雄介さんは一つ頷き言った。


「そうか。いい大人だけれど、足もまだ大変だろうから気を付けて」


 そういうと、雄介さんは迎えの車が来る時間に合わせて部屋を出て行った。


「さて、私も今日のお仕事をしますか」


 まず朝食に使った食器を軽く流して食洗器へ。


 洗濯機回し、掃除を始める。


 掃除が終わる頃には洗濯が終わるので、洗濯室に干せば今日は料理が無いのでほぼお仕事終了だ。


 その後は読書したり、買い出しに出たりと割と自由時間を過ごし私は夕方に小林国際弁護士事務所へと向かった。


 昨日のうちに訪問することは話してあるので、受付でもスムーズに対応してもらい応接室に案内される。


「ようやく会えたと思ったら、仕事がらみになるなんてね。でも元気そうで安心したわ。そして、その足が助けた時のね」


 応接室をノックの後に、入ってきた千佳は私を見るとそう言った。


「私も、まさか千佳に会うのに仕事がらみになるとは思わなかったわ。会うのは結婚式だと思っていたから。そう、捻挫だと思ったら骨にヒビが入っていて、骨折だって」


 肩をすくめて返す私に、千佳も一つため息を落として返す。


「本当よ。咲良が幸せ掴んだって楽しみにしていたのに。だから、お相手に関しては容赦なく逃げ道も塞いであげるわ。足は、無理しちゃダメよ」


 ニッコリ微笑む千佳は依頼者には力強い味方だけれど、問い詰められる側には魔王のように見えるだろうな。


 本当に依頼主のために、相手側にガッツリ切り込むのが弁護士としての千佳の持ち味だから。


「まずこちらが借金の督促状。今月中に返済しないと給与差し押さえますよって書いてあるわ。また、婚約破棄の慰謝料は百万が限度ね。結婚前だったことと、相手側も訴えるなら相手と合わせて二百万ってとこよ」


 それに関してはなんとなく相場を調べてわかっていた金額だから問題ない。


「まぁ、結婚前で籍も入れていないからそのくらいが妥当でしょうね。それも払えなかった場合の対処についての記載も、もちろんあるわよね?」


「もちろんよ。その際には二人の勤める会社に不貞して結婚がダメになったことを告げたうえで、慰謝料も払わないクズですってお知らせすることをきちんと記載しているわよ」


 書面を確認するとしっかり、払われなかった場合の処置についても綺麗に文章化されて書かれている。


 さすが抜け目のない、敏腕弁護士である。


「まぁ、給与差し押さえは確実に会社に知らされて人となりが分かる上に、今後の昇進にまで響くことを理解できると良いんだけれどね」


 私の一言に、ため息をついて千佳が言った。


「分からないおバカさんの可能性も捨てきれないけれど、これを読んで理解して行動できることを待つしかないわね。対面で接触する気はないでしょう?」


「当り前よ。目の前で変なこと語りだしたら、嫌悪感でぶん殴りそうだもの」


 私の返事に、千佳は笑うとそれはこっちも傷害で一つケチが付くから避けなくちゃねと言った。


 応接室で、依頼の話が終わり千佳の子どもたちの話をしていると何やら外が騒がしい。


「あら?なにかしら? 事務所の受付は18時までだし、すでに今日の対面依頼は済んでいるはずなのに」


 千佳も外の騒ぎに気づいた様子で、時間的に依頼者でも、その相手方の訪問でも基本アポで調節するので急な訪問者はあまり弁護士事務所ではない光景だ。


「ちょっと見てくるわ。面倒なタイプの人も弁護士本人がバッジ付けて出ると話が早かったりするのよね」


 ため息をこぼして、少し待っていて頂戴というと千佳は受付の方へと向かって行った。


 千佳が出て少し経つと、騒がしい雰囲気は落ち着き、また少しの時間を経過すると千佳が戻って来た。


「咲良。あなた、あんな馬鹿男と一緒にならなくて良かったわよ。不貞相手の女と一緒に相手方の弁護士事務所にアポなしで乗り込んでくる。二人とも、なかなか非常識な人間だったわ」


 千佳は深い、深いため息をこぼし。受付での出来事を話してくれた。


「まぁ、まず受付に時間外に来るから依頼かと思って一応話を聞くじゃない?すると、小林弁護士を出してくれの一点張りなのよ」


「受付の子も何の案件かもわからないし、そもそも約束のない人間は通さないのも弁護士事務所では当たり前よね。依頼者と相手側が会いたくない場合も多いし、守秘義務もあるし」


 まさか、あいつがそこまでおバカさんだとは思わなかった。


 アポを取って人に会う、その基本すらできない営業マンはだめだろうよ……。


 社会人何年目だって話よね……。


「迷惑かけてごめんね。ここまで馬鹿だと思ってなくて。ほんと、なんで私あいつと結婚しようと思ったのかしら? 相手が悪い状態で婚約解消できて、むしろ私ラッキーかもしれないわね」


「後半部分には大いに同感だわ。まぁ、良い機会だったので書類を渡して丁寧に何が書かれているかお話したら黙ったうえで、これは本当ですか?っていうのよ」


 その時の表情を想像すると、ずいぶん間抜けな表情だっただろうなと笑いがこみあげてくる。


「弁護士事務所の書類に嘘があるわけないのに、おかしなこと聞くわよね」


「本当に。記載の通り、今月中に借りたお金の返済が無い場合給与を差し押さえます。会社にも通告します。慰謝料に関しては三か月以内に支払うように。そちらも期限内に支払いの無い場合給与を差し押さえます。お相手の女性も同じ条件ですよって言ったら、女性が目をむいて私は知らないとか言い出して。でも、職場もお名前も住居もご実家もすでに把握していますので督促しますから。って言ったら静かになったわ」


 さすがは仕事のできる敏腕弁護士様だわ。


「そこまで言えば、こちらの本気度も伝わるわよね」


「そりゃ、伝わるわよ。借用書の写しとそれに伴う返済の督促状。そして、不貞に関する証拠写真とそれに伴う慰謝料請求書だからね」


 あの瞬間に二人にカメラを向けて写真を撮っていた自分がいい仕事していて、自分で自分を褒めたものよ……。


 ばっちりことに及んでいる瞬間の写真、素っ裸の二人と散らばった衣類、慌てふためく二人の姿をばっちり写真に収めているからね。


 持っていたくもないので、データはSDカードに移して千佳に渡した後しっかり端末からは削除した。


 他人の裸体写真なんて、見たくも持ちたくもないものよ……。


 千佳だってそうだとは思うけれど、離婚も扱う弁護士としてはそういった証拠についてもよく扱うから大丈夫よということで、甘えてすぐに預けてしまった。


 しかし、それも慰謝料請求でしっかりとした証拠として使えるのだからやはり証拠の確保は大事だ。


「さすがに丁寧に書類と内容を説明すれば、理解できたのか大人しく引き下がったけれど。なんか嫌な感じがしたわ。これも場数を踏んだ私の勘だけれど。今セキュリティーは万全の物件だから、大丈夫だとは思うけれど気を付けて。追い込まれた人間は、たまに驚くほど斜め上の行動に出たりするから」


 そんな話をしつつ、千佳の子の夏海ちゃんも交えて夕食を食べて私はこの日無事にタワーマンションまで帰還したのだった。


 後を付いてきていた人物には気づかずに……。

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