第5話

「すぐ出られるだろうか?」


 戻って、鞄を置いて身軽になった雄介さんに声を掛けられ、大丈夫だと返事をする。


 最上階から、専用のエレベーターに乗って地下駐車場の階へ向かい、昨日も乗った雄介さんの車で甲唐大学付属病院へ。


「それにしても、小野田さんが適切な判断で救急車を呼んでくれたおかげで大事に至らずに済んだと昨日医師から説明を受けた。改めて、お礼を言いたい。ありがとう」


 運転しながら話されたことによると、やはり常備薬では落ち着かない発作を起こしていたので、救急車での搬送により病院でいち早く処置したことで発作の回復の速さに繋がったという。


「いえ。私はたいしたことはしていないので。お薬を飲んで落ち着かない場合に救急車を呼ぶのは、出来ることの一つですから」


 アメリカにいたときも、ニトログリセリンを飲んだのに落ち着かない男性を助けて救急車を呼んだことがあったのよね。


 それが当時サンライズの社長で、現会長のグロース・グレンドルフ御年、七十八歳。


 私の就職の際、うちで働いてよって声を掛けられて即、採用だったのよね。


 毎年、助けた時期になると良いワインを送ってくれる、私のボスであり、あしながおじいさんでもある。


 千佳にも驚かれたなぁと当時を振り返る。


 どうも、人とのめぐりあわせの運がいいんだろうなとは思う。


「サンライズの会長のグロース氏とうちの祖父さんは昔からの知り合いなのだが、昨日君に助けられたと連絡したら雄蔵も?と言われたらしい。アメリカでグロース氏も助けたことがあったらしいね?」


「えぇ、ニューヨークのマンハッタンの通りで苦しそうにしていたグロースさんに声をかけて、同じように救急車を呼びましたね。それが縁で、サンライズへ就職しました」


 なるほどと納得の顔をすると、雄介さんは私に向かって言う。


「君には出会いの運があるんだろうね。しかも、大物との出会いが」


 私が意図したことではないので、本当に運としか言いようがないとは思う。


「そうなのかもしれませんね。ご縁ってどうつながるか分からないものですから」


 そう、大物と出会う運はあっても自分の親に早いうちに先立たれる点では、身内に関しての運は薄いのかもしれない。


 私の身内は、もうお祖母ちゃんだけだから……。


「そうだな。こんなことでもなければ出会うこともなかったただろうから、人の縁は分からないものだ」


 そんな話をしつつ、甲唐大学付属病院へ到着し面会の手続きを済ませると特別室の雄蔵さんの元へ。


「祖父さん、調子はどうだ?」


「昨日の今日で荒れていたら大問題だな」


 軽快な祖父と孫のやり取りを眺めていると、雄蔵さんが私を呼んだ。


「さ、咲良ちゃんこっちに来てくれ」


 昨日、雄介さんが到着するまでにいろいろお話した結果、すっかり呼び方は咲良ちゃんで定着した様子。


「雄蔵さん、落ち着いたみたいで良かったです。でも、そろそろ手術って言われていませんか?」


 私はさらっと聞いてみる。


 すると、雄蔵さんはギクッとしているし雄介さんは驚いている。


「よく分かったな。もう二年前から手術を提案されているのに、怖いからいやだって拒否でね」


 とっても深いため息交じりの雄介さんに、雄蔵さんはぶつぶつと文句を言っている。


「心臓だぞ?失敗したら死に直結な臓器の手術なんぞ、怖いにきまっとろうが」


「あら?提案されているのはカテーテル手術じゃないんですか?」


 私は思わず聞いてみた。


「そうだけれど、手術について知っているのか?」


 雄介さんが驚いているし、雄蔵さんも同じような表情なので、私は雄蔵さんに向けて告げた。


「グロースさんも、七年前にカテーテル手術されて今も元気にアメリカ国内はもとより、ヨーロッパやアジア圏も回っていますよ?昔より、ずっと術式も機械も進歩していますよ」


 にこにこと告げると、雄蔵さんがそうなのかって表情で問いかけてくるから頷いて答えた。


「今のカテーテル手術は足の血管から管を通して心臓まで進んで、そこに血管を広げる器具を置いて終わるんですよ。ほんの少し寝ている間に終わる手術で開胸手術ではないので、体の負担も少ないですよ」


 私が伝えると、どうやら手術というだけで嫌と拒否反応を示していて、手術の内容、その術式、工程はまったく聞いていなかったらしい。


「ちなみに、三年前にうちの祖母もその手術受けて、元気に九十歳になりましたよ」


 微笑んで私が告げれば、雄蔵さんは本当かって顔で見つめてくるので頷いて本当だと伝える。


「咲良ちゃんのお祖母様は、手術に関してはどう決めたんだい?」


「実は、うちは既に両親がいなくって私と祖母の二人家族です。私も仕事で忙しいし手術を受ければ生活できるならするわってサクッと一人で決めて、私には手術日だけ帰ってきて頂戴って本当に直前の報告でしたよ」


 私の言葉に、ふたりは驚きを隠せない様子で私を見つめている。


「なので、手術前になんとか休暇をとって九州の病院へ行って医師から説明を受けて、手術同意書にサインしたりしましたよ。だから、雄蔵さんもそんな提案があるんじゃないかなと思ったんです。しっかり話を聞いて、元気に過ごせるなら手術を受けるほうが良いと思いますよ」


 私は、自身の体験談からも話をすると雄蔵さんは考えている様子だった。


「手術の日、雄介はもちろんだが咲良ちゃんも来てくれるなら受けるとするか。まだ死にたくないし、曾孫見てないしなぁ」


 楽しげに言う雄蔵さんに、雄介さんはため息一つこぼすと、それで祖父さんが手術をしてくれるならもちろん手術日は待っているよと言い、雄蔵さんがようやく手術を受けることを決めた。


雄蔵さんが手術を受ける旨を話すと主治医に感謝され、それを聞いて飛んできた雄介さんのお父さん。


雄蔵さんの息子である雄一さんと、昼に会った奥様である久実さんが駆け付けた。


「小野田さん、ほんとうにありがとう。父は仕事では迷いなく突き進むんだが、こと自分の体で手術となると拒否感が強くて、僕らの話でも聞いてくれなくて困っていたんだ。本当にありがとう!」


「すごいわ、咲良ちゃん。あのお義父様が手術を了承してくれるなんて。雄一さんでも、雄介でもダメだったのに。ありがとう」


 雄一さんに久実さんもとっても驚きながら、雄蔵さんが手術してくれることを喜んでいた。


「雄蔵さん。今後はしっかり家族や主治医の話は聞いて、自分にとってのベストな選択を出来るようにしましょう?」


 私の言葉に、雄蔵さんは深く頷き言った。


「咲良ちゃんと出会えたのが、一つの転換期だったのだろうな。出会いに感謝せねばならん」


 雄三さんの発言にご家族一同同意を示し、私は日菱一家にものすごく感謝された。


「さ、わしはここで手術までは管理入院だ。時間があるなら、咲良ちゃんに美味しいもの食べさせてやっておくれ」




 そんな雄蔵さんの言葉に送り出されて、私は現在日菱一家に囲まれてホテル・エリプトンのフレンチで夕飯をご馳走になっています。


 ここ、本来数か月前でラッキー、一年前には予約しないと入れないフレンチの名店のはずなのだけれど……。


 さすが、日菱財閥。


 雄一さんと雄介さんが並んでお店の前に立つと支配人がさっと現れて、すぐさま個室へご案内された。


 今日はお見舞いに行くと決まっていたので、落ち着いた藍色のワンピースだったのがギリギリドレスコードを満たしていたので入れたと思われる。


 本来ならしっかり着飾っていくべき、格の高い名店なのだ。


「ここはね、お義父様が長年お付き合いのあるお店でね。節目には必ずみんなで来るお店なのよ」


 久実さんはそう話し、雄一さんも続く。


「雄介が産まれたときも、僕と久実が結婚した時もここに来ているし、雄介の卒業進学のときもここだったな」


「家族のお祝いと言ったらこのお店だったの」


 そんな二人に、雄介さんもそうだったなと相槌を打っている。


「だから、空いてさえいれば個室が利用できるのよ」


 そんなわけで、食べたいとなればさらっとお店に来てご飯が食べられる、そんなお店の御贔屓さんだった様子。


 日菱財閥、これぞお付き合いの極意と思わされた。


 こっちは必死にテーブルマナーを思い返して、高級フレンチを食べているので美味しいはずだけど、気を張っているせいでせっかくのフルコースが味わえていません。


 くっ、いつか絶対千佳と二人で楽しめる状態で再チャレンジと内心思っているところに声を掛けられる。


「小野田さんは、サンライズに勤めていたんだって?」


 ふいに、雄一さんから問われて私は頷いて答える。


「はい。本社在籍で日本支社に派遣されて、マーケティングリサーチと人事考査の担当をしていました。グロース氏に拾われて就職しているので、気軽にアジア圏は頼んだとか言われて二十歳の小娘をアジア圏にバンバン飛ばしたんです。日本が拠点なら母国だしいいだろ?とか言いながら、月に二回は近隣諸国に行かせるので、私のパスポートは判子だらけです」


 私の返事に雄介さんと雄一さんはちょっと驚いていた。


「人事考査って、一般社員の?」


 そんな問いかけに私は首を横にして否定する。


「むしろ役員関連の人事考査でした。グロース氏は私にアジア圏の役員を査定してくれって。胡坐をかいて仕事しないような奴が居たらサクッと切るから教えてねって。グロース氏は仕事に関してはパリッとこなすのですが、部下への指示はこんな感じなのですよ」


 私の返事に雄介さんと雄一さんは考えてから言った。


「小娘の前なら本性出すだろって考えで、小野田さんを考査に入れたと」


「そうです。しかもアジア人の小娘なので余計に、役員の本性が暴けるでしょ?というのがグロース氏の考えでしたね」


 経営学部の大学院まで行って、そのサブに心理学までかじったのがグロース氏の目に留まったのよね。


 MBA取得してなおかつ心理学まで修めている人ってそこまでいないのよね。


 そこが気に入られたんだろうな。


 心理学を学んでいても婚約者には不貞されるので、こればっかりは見る目が無いのかもしれないと自分の異性への見る目の無さを自覚した一件だった。


「うーん、今は元婚約者の件もあるしお休みしたいだろうけれど。もし、バリバリ仕事したくなったらいつでも言ってね。日菱でもマーケティングリサーチは大切な部門だから」


 にこにことすごいことを言ったのは現在の日菱のトップの雄一さんだ。


「本人が楽し気にしかも綺麗にしてくれるので任せていたけれど、家事能力以外もかなり優秀そうだな。父さんのとこより、俺のところの方が楽しいかもしれないぞ?」


 雄一さんに張り合って雄介さんまで仕事に勧誘することはやめてほしい。


 仕事好きだけど、働き詰めみたいな仕事の仕方はもう遠慮したいので……。


「とりあえず、しばらくは雄介さんの家政婦でお願いします」


 私はきっぱりと主張すると、日菱のご家族は残念そうにしつつも頷いて納得を示したのだった。


 ひとまずは、元婚約者との件が落ち着くまでは家政婦で。


 掃除に洗濯に、料理と結構楽しめているので私は結構この生活に満足しています。


 だって設備の整った台所であれこれ作るのは楽しいし、最新家電でする家事は負担も少なくって快適なんだもの。


 もうしばらく家政婦生活楽しませていただきます!



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