第2話

 甲唐大学付属病院は国内でも有数の医科を有した大学で、数々の研究や難しい病気などの研究治療に力を入れていることと共に、財閥や国内の有名な人々の治療の受け皿にもなっているのが特徴でもある。


 広く開かれているが、セレブリティの対応でも有名な病院と言える。


 そして、日菱の名前。もしかしたらという思いはあったけれど……。


 病院で治療を受けて落ち着いた雄蔵さんは、特別室と言われる広い病室でにこやかにお礼と共に自身の身分を教えてくれた。


「いや、助かったよ。私は日菱財閥の会長の日菱雄蔵だ。今日は秘書も返してしまっていたから、本当に助かったよ。君の迅速な対応のおかげで落ち着くのが早かったと、主治医がいっていた」


「いえ。私は出来ることをして、お手伝いしただけですから。私は小野田咲良と言います」


 私は、一応まだ持っていたサンライズの名刺を渡す。


「おや、あのサンライズの本社の社員さんでしたか。グロースはやはりいい部下を持っているな」


 あぁ、やはり本社のCEOとはお顔見知りですよね。


 日菱と言えば日本に本社がある日系企業とはいえ、世界進出もしているグローバル企業であり、その仕事は子会社含め日本の経済活動と生活に欠かせない大きな会社である。


 エネルギー事業しかり、食品関連に、鉄鋼業、造船運輸に医療介護までその仕事の分野は多岐に渡る。


 そして旧財閥の形態を引く、日菱一族は経済界に政界にそして世界の企業に顔の利く日本有数の経済会のドンだ。


「まぁ、結婚を機に退職することで手続きも済んでいて、有給消化中に結婚相手が浮気しまして。婚約と結婚自体を取りやめて来たところです」


 私の言葉におやっと言う顔をした雄蔵さんは、くすっと笑うと言った。


「こんな優秀で賢く、仕事もできる女性を手放すとは、お相手はずいぶんな間抜けだな。咲良さんとしては、やめて正解の結婚だったのではないかね?」


 さすが世を渡り歩いて先人なので私の言葉で、ある程度の予測と状況判断を下している様子は企業のトップの貫録を思わせる。


「そうですね、流石に仏の顔も三度までってことです。一気に冷めたので、友人の弁護士に連絡して、目の前で四日後の式のキャンセルの連絡入れて、私の仕事と稼ぎの実態を暴露して、部屋の解約まで宣言して、サクッと出てきました」


 私があっさりと話すので、雄蔵さんも楽しそうに言う。


「そうかそうか、流石仕事のできる人は対応も早くていいね。それじゃあ、これから住むところと仕事を探すのかな?」


「はい、そう考えています。とりあえず、こだわらなければ仕事も住むところも見つけられるだろうし。仕事も住むところも、国内でなくてもいいですしね。それに二十歳から働いてきたので、少し休もうかなとも思うのですが。ただ、思ったよりもこの足が……」


 そう、捻ったと思っていた足首はちゃっかり捻り具合が抜群だったようで。


 足首の骨の一部にひびが入る骨折との診断を下され、現在左足首はギプスで固定されてしまったのだった。


 雄蔵さんの問いかけに私は頷くと、雄蔵さんは丁度やって来た家族に聞いたのだった。


「ようやく来たか、雄介。ここにいるのは、私の恩人の小野田咲良さんだ。どうかな?彼女ちょっと不幸があって、住むところと仕事が無いそうだ。わたしのせいで、少々ケガもしている。雄介の家の住み込みで家政婦をお願いしては?」


 雄介さんは倒れて救急搬送されたと聞いて慌てて駆け付けたお孫さんらしいが、まさかそこでこんな話をされるとは思わなかったらしい。


「うちのお金目当ての女は、要りませんよ?仕事もせずに、秋波ばかり送ってくるような家政婦ばかりで雇うのをあきらめたのに、何を言っているんですか?」


 あぁ、そりゃ日菱の御曹司ともなれば女性が寄ってくるのも頷けるし、背が高く、顔も良いからなおさらだろうなとついついこの短時間で現れたお孫さんを観察して思う。


 まぁ、世界でもっと美しい人を見て来たし、ロイヤルな方とお会いする機会も仕事上あったので、次代の財閥の御曹司とはいえ、現時点でそこまで私は緊張していない。


 そして、結婚がダメになったばかりの私はそもそもいまその単語も恋愛も希望していないのだ。


 自然と、彼の発言にスンとした顔になるのは仕方ないと言える。ちょっと前に流行ったなんとか狐な表情になっている自覚がある。


 そんな私の表情を見て雄蔵さんは、おかしそうに笑っている。


「お前の自意識過剰な発言に、咲良さんは引いているのではないか?」


 雄蔵さんの言葉に雄介さんは私を振り返り、そしてちょっとあっけにとられた顔をした。


 女の人がみんな、日菱の名前とその整った容姿に食いつくわけじゃないのよと思いながら引き続きスンの顔で対応する。


「まぁ、今まで周りはそんな人ばかりだったのでしょうから仕方ないのでしょうね。でも私、結婚がダメになったばかりで恋愛する気も結婚する気も当分ないし、仕事があれば自力で生きていけるだけの気概もあるし、おひとり様で十分なので」


 私のあっさりした返しを、雄蔵さんが痛く気に入ったようで更ににこにこと笑っている。


「祖父さんを助けてもらったこともあるし、そういうことならば住み込みの家政婦をお願いしても良いのか?」


 などと言った発言をしたので、雄蔵さんがにこやかに決めた。


「そうしろ、なにしろ私の恩人なのだから。私のせいでケガもしてしまっているし、それに、彼女はかなりの逸材だ。それに気づけばお前も、日菱も更なる飛躍を遂げるだろう。それに、お前仕事は出来るのに生活能力はからっきしだからな」


 にやにやしながら言う雄蔵さんに、ぐっと詰まって返事ができない雄介さん。


 日菱が飛躍するのは過大評価だと思うけれど、どうにも雄蔵さんの孫である雄介さんは生活力には乏しいらしいので話を聞いているだけで部屋が心配になるのは私だけだろうか?


「それでは、住み込みで家事をお願いしたいが良いだろうか?」


 雄介さんの言葉に私は頷いて、答えた。


「えぇ、たしかに飛び出してきたので今日の宿も困っていたところなの。だから、そのお仕事しっかり引き受けようと思うわ」


 私の返事に頷くと、雄介さんは雄蔵さんに言う。


「それじゃあ、今日は彼女を連れて帰るよ。また明日顔を出すから」


 そうして、私は御曹司の住み込み家政婦として仕事と住むところを飛び出した数時間後には確保したのだった。




 病院から車で十五分ほどの距離を移動すると、目の前には有名なタワーマンション。


 入り口にはコンシェルジュ、セキュリティーも万全で部屋のカードキーなしにはエントランスすら入れないし、エレベーターも動かせない。


「おかえりなさいませ、日菱様。お連れ様のお顔と指紋登録はいかがされますか?」


「すぐできるならお願いしたい」


 そんな返事で私はコンシェルジュデスクで指紋と顔を撮影。


 どうやら、カードキーと共に指紋認証と顔認証システムも採用されているらしい。


 さすがハイテクでセキュリティー抜群、有名人や資産家がこぞって住んでいると言われるタワーマンションである。


「このカードキーを渡しておく。必要な物はコンシェルジュに頼めば届けてくれるし、請求は俺のところに来るから気にせず必要な物は揃えると良い」


 エレベーターで向かう先は、五十五階の最上階。


 しかも、たどり着いたそこは既に家のエントランスという仕様。


 つまり、最上階は広大な面積の一部屋のみのペントハウスのようだ。


 たしか、このタワーマンションも日菱レジデンスの開発分譲だったことを思い出す。


「分かりました」


 そうしてエントランスから進んだ先のドアを開けると広いリビングダイニング。


 ガラスの先は都会の景色が一望できる、有名な電波塔がしっかり見えるそのロケーションはすさまじい。現状の足元を見なければ、素晴らしいままなのだが……。


 足元に散らばる、衣服や書類を避けつつ、一つのドアの前にたどり着く。


「こっちの部屋を使ってくれ」


 リビングから続くドアの先には客間と思しき、ベッドとドレッサー、クローゼットと書き物机のある空間が広がった。


 客間ですら十畳以上の広さがある。こちらは客間のためか、綺麗なままだ。


 リビングは、もはや考えたくない広さだったし、これに雄介さんの書斎に寝室にお風呂とトイレとあるのだろうから掃除だけでも結構な重労働だなと考える。


「基本の床掃除はこいつが居るが、最近あまり稼働できてないな」


 そうでしょうね! せっかくのロボット掃除機の見事な仕事は、全く発揮できない現状。


 リビングの床にシャツやら靴下やら、転がっておりますしテーブルの上にはビールの瓶やワインの瓶が無造作に放置。


 そのお皿のチーズは既に廃棄のレベルですよね?


「なぜ、ごみに捨てないの? 洗濯機もあるはずよね?」


 思わず、つぶやけば雄介さんはハタと気づいたように言う。


「好きに過ごしていいし、何をしてもかまわない。俺はこれからウェブ会議なので書斎に行く。書斎は二階だからとりあえず響かないように頼む」


 リビングにある螺旋階段の先は、二階でこの最上階はメゾネット仕様の様子。


 部屋数だけでも結構ありそうだなと、ますます気合が入る。


「とりあえず、空間を快適にするためにも片づけから始めないといけないわね」


 キッチンに入ると、開けてもいないゴミ袋を発見し燃えるゴミ、缶瓶、服と分けて突っ込んでいく。


 すると、ようやく床が見えてくる。


「せっかくのロボット掃除機も、床に物があったら機能を発揮できないわよね」


 そういいつつ私はそのまま、まずあらかた転がっていたものをまとめた。


 そして、燃えるごみは口を縛り、洗濯ものは洗濯室があるとのことでそちらに持っていく。


 広い部屋には室内物干しと共に、大型のドラム式洗濯乾燥機があるのだ。


 しかも、ここにも未開封の洗濯洗剤発見。


 それを使って転がっていたシャツや靴下、下着などを放り込みスタートさせる。


「ほんとうに、いいものが揃っているのにどうして使わないのかしらね?」


 私はサクサクと勧めて、ロボット掃除機と共に部屋の片隅に置かれていた、某吸引力の強くて有名なステック掃除機を稼働しキッチン周りを掃除、その後流しのグラスやお皿を洗い、食洗器に入れていく。


「食洗器も初めから、こんないいサイズが付いているのになぜ使わないの? 最悪、洗剤と食器入れてスイッチ一つで解決するのに」


 私は思わずつぶやきながら、食洗器もセットしキッチンの確認をすると、食器も一通り揃っているし、調理器具もコーヒーメーカーも良いものが揃っているのにうっすら埃をかぶっている始末。


「いいものも、使わなければ宝の持ち腐れて言うのよ」


 私は独り言をこぼしつつどんどん掃除してほこりを払い、洗っては綺麗にしてすぐに使える状態へと戻していく。


 ほぼほぼ、もったいない状態で放置されている最新家電や調理器具を立派に使えるようにして私も快適生活させてもらおうと、ぐんぐん掃除に精を出す。


 軽い埃と放置ごみ、洗濯ものといったものだけだったので案外早くに片が付いた。


 すると、リセットしたリビングへと降りて来た雄介さんは驚いている。


「たった二時間近くでここまできれいになるのか?」


 ここ来て別れてから確かに二時間、しかし、荒れているとはいっても散らかっているだけなので片づけとしても、掃除としてもそこまで苦労があるレベルではなかっただけの話だ。


 まぁ、ここまで放置したのはすごいとは思うけれど。


 途中までは誰かかが部屋の掃除をしていた形跡はあったから、誰かが見かねて掃除はしていたのだろう。


「まぁ、二か月ほど前までは誰かがお掃除していたようでしたし片づけと、洗濯と掃除ならそこまでではありませんでしたよ」


 私の返事に雄介さんはぐっと詰まりつつ、返事をした。


「大変助かる。この通り基本うちにいても仕事があることが多くて片づけが苦手なのもあり、家は荒れる一方でね。これを維持できるなら助かる。ちなみに料理は出来るのか?」


 そんな言葉と追いかけに私はキッチンへと回ると、作っていた軽食を出す。


「会議後なら少しお腹もすいているだろうと思って、ここにあったもので作りました」


 一応、パンや野菜に調味料と加工肉はあったので簡単にバゲットサンドを作っていた。


 私も小腹が減ったので、好きにしていいと言っていたし。


 洗濯が終わる頃にはこちらも完成していた。


「コーヒーも入れますか?すでに作っているので入れるだけで済みますよ」


 私の言葉に、また驚いている雄介さんはもらおうと言ってリビングのテーブルに着いた。


「どうぞ。こんなに本格的なコーヒーメーカーは初めてなので、とりあえず一番簡単なコーヒーだけ今日は準備しました。用意があればエスプレッソもラテも入れられますよ。良い機械ですね」


 私の言葉に雄介さんは目を見開くと、一言。


「朝はカフェラテだと助かる。起きてすぐはご飯が食べられないので、いつもラテを買っていたが明日からはここで飲んでから出社することにする」


「分かりました。明日の朝は何時に出られますか?」


「明日は七時半には下に迎えが来る」


「分かりました。七時には飲めるように準備しておきます」


「あぁ、君はこれだけ家事も出来るなら仕事でも優秀だったのだろう?ただしばらくは、このうちの家事全般をよろしく頼む。仕事が済めばゆっくり自由にして構わないから、ちょっとした休暇と思えばいい。あぁ、買い物や必要な物はコレで済ましてくれ」


 そう言って差し出されたのは、家族カードのプラチナカード。


 さすが、財閥の御曹司。


 使用制限なしの、早々お見かけしないカードをアッサリ人に預けるあたりやっぱり金銭感覚は異常だ。


「現金は持ち歩かないのですか?」


 私の問いに、こてんと首をかしげて雄介さんは言う。


「一応現金の持ち合わせもあるが、カードのほうが支払いに困らないだろう?」


 わたしは深い溜息を吐くと、一言物申した。


「あなたに合わせた生活水準の買い出しでも、流石に三万円あれば今のところ事足ります。このカードは閉まって、現金をお願いします」


 私はそういうと、カードを差し戻した。


「そうなのか、たしかに俺はそういった面では世間知らずと言えるのだろうな。じゃあ、これで」


 そういうと封筒にお金を入れて持ってきてくれた。


 三万と伝えたが、五万円入っている。


「少々多いと思いますが?」


「今日の働きに対しての賃金込みとしてくれ」


 いや、掃除と片づけで二万っておかしいでしょ?


 しかも二時間ちょっとの仕事よ?

「掃除洗濯に調理もあったのだから、こんなものだろう?」


 んー、この生活の御曹司が雇う家政婦さんなら日当もそこそこなのかもしれない。


 とりあえず、ここは受け取っておくことにする。お金はあっても困らないものね。


「分かりました。ありがとうございます。とりあえず今後は一月ごとでお願いします」


 私は、こうして、御曹司宅での家政婦としての一日目を終えたのだった。



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