第7話 探究欲とモルモット

 わたしが怖い思いをしながら今後の実験の心配をしていると、博士から思いもよらない提案があった。

 もう一度わたしの視覚を消したいと言うのだ。


「嫌です」

「そんなこと言わずに」

「嫌です!」

「あと少しだから!」

「しつこい!!」


 何がそんなに博士を駆り立てるのか。考えなくてもわかる。科学者には必須であろう探究心だ。博士のそれは個人的な欲にまみれているようにも思えるけど、とにかく調べたくてたまらないのだろう。

 それでも、次に戻せるのがいつかもわからない状態で、また暗闇に放り込まれるのはごめんだ。

 けど……。


「頼む! あとふたつで終わりだから!」


 いくらこちらが拒んでも、博士は止まることがない。

 このままでは底知れない欲の海に、わたしはただ浮かび続けることになる。それは魂が削られるのと同義だ。

 はじめたからには、終わるまで博士に従うしか道はない。


「……はぁ。わかりました。やればいいんでしょ、やれば」

「そうでなきゃ!」

「ただし条件があります」

「条件?」

「視覚の実験が終わったら、ゆっくりお風呂に入らせてください」

「お風呂……? なんだそんなことか。それなら好きなだけ入るといいさ」

「ええ、入りますとも」

「よし、じゃあちゃちゃっとはじますか!」

「あとふたつですよね?」

「ああ。それも、君にはそこにいてもらうだけでいいやつだから」

「そうですか。では早く済ませましょう」


 わたしは特殊な電磁波を浴び、再び視覚機能を失った。

 わかってはいても、目を開けているのに見えないというのはかなり怖い。視覚情報がどれだけ重要なものかは、外に出なくてもわかる。

 人間は目に頼りすぎなのだと、痛いほど感じる。実験を通して知ることになるとは、なんとも皮肉なものだ。


「ひとつ目は光だ。それもかなり強い光」

「光? 視覚がどんなものかわかってますか?」

「もちろん。ただ、人間には想像力というものがある。それがどんな反応を見せるか、僕は知りたいんだ」

「はあ」

「では今から太陽レベルの光を照射する。君はかんかん照りを想像してくれればそれでいい」

「太陽レベル? そんな強い光、浴びても大丈夫なんですか?」

「問題ないよ」

「日焼けの心配は?」

「いらないいらない」

「そう、ですか」

「想像する準備はいいかい?」

「あっ、はい」

「では、照射!」

「……」


 かんかん照り、かんかん照り……。

 今わたしの体には、夏の太陽が強く照りつけている。

 皮膚はピリピリと焼けていき、汗が滝のように流れる。

 のどはカラカラになり、目もくぼんでいく。


 思っていたより細かく想像はできたけど、それによって光が見えるように感じることはなかった。ただただ、頭の中で光が再生されただけ。あたりまえか。

 皆既日食のときに漏れ出て見えるコロナくらいは期待していたけど、その薄明かりでさえも見えないことで、あらためて視覚を失っていると実感した。


「しっかり想像できたかい?」

「はい」

「何か変わったことは?」

「ないです」

「うーん……こちらも特にはなさそうだ。じゃあもうひとつに移ろうか」

「はい」

「ふたつ目は闇だ」

「闇? それこそ意味ないじゃないですか」

「意味がないかはやってみないとわからないよ。君は特別なんだから」

「特別……そうですね」


 わたしは自分が特別な人間とはこれっぽっちも思っていない。これから何度も言われることになりそうだけど、それはこの先も変わることはないと思う。


「ではこれより、その部屋から光を完全に遮断する」

「今度は何を想像すればいいですか?」

「イメージしやすいのはブラックホールだけど、それだと別の要素が強すぎるからなぁ……。そうだ、地下洞窟ってのはどうだろう。まだ発見されていないものであれば、真っ暗闇にちがいないし」

「わかりました」

「準備はいいかい?」

「はい」

「では、暗転!」

「……」


 地下洞窟、地下洞窟……。

 今わたしは、誰にも知られていない深い闇の中にいる。

 寒さか恐怖か、全身がぶるぶると震える。

 ときおり水滴の落ちる音が聞こえ、その響きが頭の中に残る。


 もとより光はないわけだけど、それに同調することはなかった。

 むしろ自分が発光体のように感じてしまった。これは自分の白さを記憶していて、俯瞰ふかんで自分を見ていたからかもしれない。

 この想像は不完全だ。


「どうだい?」

「ダメですね。今わたしの目は闇を見る状態。それで闇の中に身を置いても、見えるものに変わりはないです」

「そうか……」

「ただ、わたし自身が光になっているように感じることはありました」

「ほう」

「おそらく自分の見た目を覚えているから起きた現象だとは思いますが、少しだけ安心しました。やっぱり光は心を包むと」

「まったく意味がないわけではなかったようだね」

「……その言い方だと、今回もわたしの脳に変化は見られなかったんですね」

「ああ。これ以上は負担が大きくなってしまう。視覚の実験はここまでにしよう」

「わかりました」

「そんな顔しなくてもいいさ。まだ感覚は四つある。気楽に気楽に!」

「……前から気になってたんですけど、わたしはいつもどんな顔をしてるんですか?」

「顔?」

「はい。博士がよく『そんな顔』と言うので」

「ああ、それね。君はいろいろな表情をしているよ」

「いろいろ?」

「喜怒哀楽もそうだけど、呆れた顔や、複雑な感情が混ざったものもある。まあ、いろいろだよ」

「いろいろ……」


 わたしは記憶がないわけであって感情がないわけではないけど、記憶がない人はそれに伴って感情も薄くなると思っていたから、それを聞いて少しだけホッとした。

 わたしは見た目はアレだけど、中身は普通の人なんだと。そう思えた。


「顔についてはもういいかな?」

「あっ、はい」

「じゃあ一応だけど、試してみるかい?」

「試す? 何をですか?」

「電磁波だよ」

「あぁ……。でも詩がトリガーだったら戻らないですよね?」

「だね。ただそれがわかれば少しは対策を考えられる」

「はあ」

「戻らなかったら不安かもしれないけど、悪い話じゃないだろ?」

「……試してください」

「了解。じゃあちょっとだけじっとしててくれ」

「わかりました」


 わたしの頭に電磁波が流された。それは博士の言葉のみで、感覚はまったくない。これからも続くこの不思議な体験には、慣れることはなさそうだ。


「うーん……どうやら詩がトリガーになっているのはまちがいなさそうだね」

「そうですか。ならわたしの目はしばらくこのままってことですね……」

「悪いね」

「いえ、わたしが決めたことですから」

「……君は強いな」


 わたしは強い、か……。本当にそうなのだろうか。

 いや、ちがう。わたしは疲弊しているだけ。実験にも、現状にも。

 抗う気持ちは奥にしまい込んで、ただただ、言うことを聞くだけだ。


「……っ!」


 この感覚は……詩が来る……。

 脳内を誰かが泳いでいるような、それでいて何かを伝えようとしているような。

 わたしはただ、身を預けるしかない。



 *

 君が為と男は笑い

 それならばと話を聞く


 常軌を逸する治療方法

 試す少女はモルモット


 はじまり告げる合図とともに

 両の目差し出し世界が消える


 はてと傾げる着せ替え人形

 頭を捻りて答えを見つける


 仲良く並ぶ同士たちが

 世間話に花を咲かせる


 小耳に速報

 お先真っ暗


 雲ひとつない青空で

 期間限定の天体観測


 私欲の塊い願い

 世界は再び暗黒へ


 天下人が光を操り

 心身ともに黒々と


 地底人が闇を操り

 神秘の光に包まれる

 *



「ふぅ……」

「そ、それが君の言っていた詩かい?」

「あっ、はい」

「なるほど……」


 わたしは博士が近くにいたことをすっかり忘れていた。いきなり声をかけられて少し驚いたけど、この詩を博士が聞いていたのは都合がよかった。なにかしらの対策を練ってくれると信じよう。


「どうですか? やっぱりこの詩がトリガーになってますか?」

「……あ、ああ、うん。思っていたとおりだったよ」

「じゃあ戻せるんですね!」

「ああ。さっそく戻そうか」

「お願いします!」


 このあとわたしの視覚は元に戻り、世界はカラフルに染まった。

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