第4話 四感実験

「それじゃあ僕の番だね」

「はい」

「さっきも言ったけど、これから話すことはかなり驚くと思うから、落ち着いて聞いてくれ」

「わかりました」

「まず、君の記憶喪失に関してだけど、これは僕が治療というか、改善できるようにいろいろやっていく」

「へ? 科学者ですよね? 医師免許はあるんですか?」

「ない」

「ダメじゃないですか」

「まあそうなんだけど、君の状態に対応できる医者がどこにもいないんだよ」

「えっ……」


 それはつまり、わたしの病状は今までの例にないということ。わたしが病院にいなかった理由でもあるわけか。

 ただの記憶喪失ではないというのはなんとなく感じるものはあったけど、まさかそこまでとは思いもしなかった。

 でもそれなら、どうして博士が対応することになるんだろう……。


「まあだからといって、なんで僕がって思うよね」

「そう、ですね」

「簡単に言うと、僕の研究に関係するからかな」

「……どんな研究なんですか?」

「そうだなぁ……詳しくは言えないけど、生命について、とだけ言っておこう」

「生命……」


 博士の口から出たのは、記憶に関係があるとは思えない研究テーマだった。

 本当にこの人に任せて大丈夫なんだろうか。


「最初は不安だろうけど、僕の言うとおりにしていれば大丈夫だから」

「はあ」

「じゃあ実際に何をしていくかなんだけど、君には僕の実験に付き合ってもらう」

「実験?」

「そう」

「それは実験台になれ、ということですか?」

「まあ言い方を悪くするとそうなるね」

「じゃあよくすると?」

「うーん……被験者、かな」

「ほぼ同じじゃないですか」

「まあまあ。実験は君の記憶を戻すためのものだから」

「……確認ですけど、博士がただ科学を追究したいがためのものじゃないですよね?」

「僕がそんなふうに見えるかい?」

「はい」

「おいおい、ひどいな」

「むしろそんなふうにしか見えないです」

「はぁ……まあいいか。僕のことはどう思ってもらってもかまわないよ。ただ、実験には協力してもらうからね」

「強制ってわけですか」

「別にそういうわけじゃないよ。君が自分を知りたくないと言うのなら、どこへ行ってもらってもかまわない」

「……」

「ただ、君が自分を知りたいと言うのなら、その願いを叶えられる可能性があるのは僕だけだというのは頭に入れておいてほしい」

「わたしは……」


 自分を知りたい。

 自分が何者か。どこから来て、何をしようとしていたのか。

 自分の中には、本当に他の人格が存在していないのか。


 空っぽのまま過ごすことが悪とは思わない。

 記憶がないというのは、その記憶がわたしにとって必要ないもので、わざわざ思い出すものではないのかもしれない。

 それでも、わたしはわたしを知りたい。わたしがわたしらしくこの世を生きるために。


「わたしは何をすればいいんですか?」

「協力してくれるんだね?」

「はい」

「ありがとう! それじゃあ今から説明するから、わからないことがあればすぐに聞いてくれ」

「はい」

「君の記憶を戻すためにはそんじょそこらの方法じゃダメだ。いわゆる正攻法では意味がない」

「正攻法……?」

「しばらく安静にするとか、気になる場所に行ってみるとか、催眠もしくは薬物療法とか。まあ、記憶を戻すために行われているようなものだよ」

「それらがわたしには通用しないということですか……」

「絶対とは言えないけど、可能性はゼロに近いね」

「なぜですか?」

「君の状態は特別だからだよ」

「……」


 わたしは特別。

 あらためて聞くと、博士の高校時代の話を思い出す。

 いきなり現れた特殊な存在の転校生。

 博士からすれば、わたしも同じような存在なのかもしれない。博士を熱中させるような、そんな科学的におもしろい存在。

 そういえば、その転校生はどうなったんだろう。これもいつか聞いてみよう。


「じゃあそんな君にいったい何をしていくか。それはだね、君の五感をひとつずつ消していくことで脳に影響を与えるのさ」

「……は?」


 自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。聞きまちがいでなければ、わたしはこれから人造人間への道を歩むことになる。記憶を戻すためとはいえ、いくらなんでもおかしい。


「もちろんずっとじゃないし、最終的にゼロになるとかではないよ」

「どういう意味ですか?」

「ひとつ消してはひとつ戻しってのを繰り返すのさ。つまりは四感状態でいてもらうってこと」

「四感……そんなことができるんですか?」

「僕は天才科学者だからね」

「はあ」


 自らを天才だとのたまう人に、わたしは自分を預けなければいけないのか。

 考えただけでも身の毛がよだつ。


「ちなみに、その実験は他の誰かに試したことはありますか?」

「ネズミにはあるけど人にはないよ」

「えっ……」

「人は君が第一号」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫だって! そんな心配しすぎると体に毒だよ?」

「わたしからすればその実験が体に毒なんですけど」

「まあまあ。僕を信じていてば大丈夫だって!」


 わたしがはじめての被験者。それも、自称天才科学者の……。

 記憶のないわたしに、そして特別な状態のわたしに、選択肢なんてないことはわかっている。

 それでも、限りある命を大切にする気持ちは普通の人と変わらない。

 わたしは自分を知りたい。けどそれ以上に、わたしは生き続けたい。たとえ自分を知ることができなくても。


「……例えば視力を失ったとして、それをすぐに戻すことができるということですか?」

「ああ。説明するのは難しいんだけど、脳内のスイッチを切り替えるって言えばわかりやすいかな。実際に失うわけじゃないから戻せるってわけさ」

「それは……切り替えるときに手術が必要になりますか?」

「いいや。ボタンひとつで切り替えられるよ。しかも遠隔でね」

「えっ」

「脳内の一部の領域にだけ特殊な電磁波を流すんだよ。そうすれば、感覚を変えられる」

「電磁波……それ、危なくないですか?」

「大丈夫だよ。他に影響が出ないのと、元に戻せるのは確認済みだから」

「それはあくまでネズミですよね? 人間には試してないですよね?」

「まあね」

「いやいやいや……さすがに怖いですよ。まずは博士が試してください」

「僕が試して万が一のことがあったら、誰が僕を助けられる?」

「それは……」

「僕がふたりいるならいいけど、僕はこの世にひとりしかいないんだ」


 わたしもひとりしかいない! と叫びたい気持ちが溢れそうになる。

 ただ、わたしにはどうすることもできない。


「大丈夫。もしものことがあっても僕が必ず君を助けるから」

「なぜそう言い切れるんですか?」

「僕は天才だからさ」


 ダメだ……。この博士は完全に危ない人だ。もしかしたらマッドサイエンティストなのかもしれない。

 そんな人に何を言っても無駄だと思い、わたしは仕方なく博士を信じることにした。

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