第2話 逃亡

「どこに向かおう!?」


 アパートから路上に転がり出たものの、行く先が分からない。


「敵は高性能ドローンだ。考えろ、ウォルター。お前なら分かるはずだ、奴らの弱点が」


「パピヨンの弱点、脆弱性…」


 瞬間、脳裏にバルニバービのセキュリティレポートが蘇る。あれは確か開発部のセンサー部門が出していた。


「ドローン用小型索敵センサーは、熱感知式だ。フレアで騙せる」


「それだ。だが俺からフレアは出せんぞ」


 でもフレアじゃなくても、体温を欺ける高温ならいい。あそこならもしかして。


「マズい、お客人が直にご到着の様子だ」


「イイイイイリリリリリリリリッ」


 その瞬間、甲高いモーターの駆動音と空を割くファンの唸りが路地に響いた。

 姿は見えないが、来ている。


「参考までに、パピヨンだが、カタログスペックでは機銃の射程が300m、航行速度は時速60kmだ」


 それを聞いたと同時に、気がつけば身体が猛スピードで走り出していた。全身の本能が死を拒もうと暴れ狂う。


「遮蔽をうまく使え、じゃないと死ぬぞ。目的地に向かってジグザグに進むんだ」


 HALの言葉を遮るように、羽音は大きくなっていく。


「すばらしいスプリントだ。だが、どこに向かう気だ、ウォルター」


 路地を抜けた瞬間、目の前には無数の人で賑わう中華街が広がっていた。


「ダーウェイ祝祭飯店街」


 広々とした通りの両脇に、無数の屋台が旨そうな料理を広げて道ゆく人々を誘惑している。そして熱々の蒸気が煙のように広がる。


「こ、ここなら、きっと。はぁ、アイツもターゲットを、絞れない。それに、蒸気の高音が、ノイズに、なる」


 息ができない。心臓が破裂しそうだ。


「名案だ。だが、いつまでもここに居座るわけにはいかないだろう」


「わ、分かってる」


 ちょうどその時、目当てのものがやってきた。

 人々の群れが左右に別れ、間から現れたのは、軽快な金属音を鳴らすレトロな路面電車だった。

 ゆっくりと走る路面電車の最後尾、その手すりを掴み俺は車内に滑り込んだ。

 それと同時にHALがバイブレーションで警告する。


「来たぞ、アイツらだ」


「イイリリリリ」


 手すりの陰に体を隠しながら背後を見ると、路地から飛び出してくる二機のドローンが現れた。

 細長い本体に、二枚のファンが備えられ、本体下部にぶら下がるようにして可変モジュールが搭載されている。その名のごとく、蝶のような見た目が特徴的だ。


「機銃が一機、もう一機のモジュールは武器じゃなくコンテナか」


 道ゆく人々が頭上のドローンが装備する銃に気づき、悲鳴が上がり始める。


「まさか市街地に武装ドローンを飛ばすなんて」


 パピヨンは、本体先端の索敵センサーを緑色に点滅させながら周囲を旋回する。ターゲットを絞り切れていない証拠だ。


「いいぞ、そのまま見失え」


 だが、不意にパピヨンがこちらに向き直り、真っ直ぐと飛行してきた。

 パピヨンは滑るように電車に接近してきた。だが不意に減速し、一定の距離を保ったままになった。どうやらゆっくりと付いてくるだけらしい。


「嘘だろ。なんでこっちって分かるんだ」


「熱だけじゃない、トラッカーだ。そもそもあいつは真っ直ぐこっちを目指して来やがった。位置情報か何かをトラッキングされてるんじゃねえか」


 迂闊だった。でも一体何を追跡されているんだ。見当もつかない。

 思いが逡巡し出したその時、路面電車が徐々に速度を落とし始めた。振り返り、進行方向に見えて来たのは、


「ダーウェイ中央駅、終点だ」


 エイジャ最大都市、ダーウェイが誇る最大の中央駅が、巨大な壁のように迫って来た。

 いたずらに積み木を積み上げたように歪な直線が天に聳え、壁面からは無数のレールが延びており、その下を吊り下げ式のモノレールがひっきりなしに行き来している。

 駅の向こうに広がるのは大量の船が泊まった港だ。


「こいつを降りるとき、間違っても一人になるなよ。その瞬間お前、ミンチと血の霧に変わるぜ」


「分かってる。できるだけ人の間に紛れて、特急に飛び乗る。平均速度200kmオーバーの電車ならドローンを振り切るのなんてわけない」


 車両の扉が開き、人々が空中のドローンを訝しみながらぞろぞろと降り始める。俺は人の間に挟まるようにしてホームに降り立ち、人の流れに合わせて中央駅の改札に向かった。


「このまま次発の特急に乗ってダーウェイを離れる」


 マッチボックスを手に、改札ゲートを抜けようとした時だった。


「エラー、このアカウントは使用できません」


「え!?」


 ゲートの周囲にホログラフィックが表示され、赤い警告マークが立ちはだかる。そのロゴには見覚えがあった。


「バルニバービのトラフィック部門が、まさかここまでするのか」


 ゲートが塞がったことで、周囲の人々が左右のゲートに分かれ始める。


「ウォルター、まずいぞ」


 振り返った先、百メートルほど先の駅の入り口でホバリングしていたパピヨンのセンサーが、赤く光った。


「トラッカーと相対位置情報が合致したみたいだ。つまり俺たちは今、ロックオンされた。走れ!」


 HALの叫びと俺のダッシュ、そして駅のコンクリート床を抉る銃声が響いたのはほとんど同時だった。


「ぎゃあああ!」


「ドローンの暴走だ!」


「逃げろ!」


 人々はパニックになり、四方八方に走り始めた。俺はその中を縫うように走る。できるだけパピヨンとの間に人の壁ができるようにしながら。

 今思いつくのは、一つしかない。

 駅の裏口から出ると目の前には、陽光を反射する大海原が広がっていた。海岸沿いの船着き場には沢山のコンテナとクレーンが並ぶ。

 俺は急いで目当てのコンテナを探す。そして見つけた、左脳と右脳の描かれた目当てのロゴマークを。


「イイイイイリリリリリリリリッ」


 二機のパピヨンがコンテナの間を矢のように飛翔する。センサーは赤く輝く。


「ポン」


 コンテナの影、熱源をセンサーが捉えた。だがトラッカーの位置情報と照合が取れない。エラー。

 二機のパピヨンは、煙を上げる棒状のブロックに魅了されてしまった。


「HAL、クラッキングスタンバイ」


「要求を承認。ネットワークを構築した、エディターアクティベート」


 マッチボックスの画面にパピヨンのプログラムが表示される。

 バルニバービのコンテナから拝借したフレアの燃焼時間はおよそ30秒、時間は全くない。

 だが目当てのコードの位置は見当がつく。バルニバービのプログラム規則は全部門で標準化されているからだ。


「あった、ENEMY = {“Target 2”}、これを」


「警告、フレアの燃焼が終了。急げウォルター!」


 パピヨンの銃口がこちらを向き、赤いセンサーが光る。


「イイリリリリッ」


 パピヨンが急接近し、頬に風が当たる。銃がこちらを向く。

 背中を汗が伝う。

 間に合わなかったか。思わず目をつぶる。


 瞬間、全身を弾丸が貫いた、かのように錯覚する。


 だが、いつまでたっても痛みは襲ってこない。

 恐る恐る目を開くと、目の前のセンサーの色は緑に変わっていた。


 マッチボックスの画面には「ENEMY = {“ ”}」、敵はいない、という表示が浮かんでいる。


「ひゅー、冷や冷やしたが、すっかり博愛主義者に去勢されちまったな、こいつ」


 機銃で武装したパピヨンは緑色のセンサーを光らせたままホバリングしている。

 コードの改竄が成功した。今、目の前の刺客は俺を敵だとは認識できなくなった。

 ほっとしてその場に座り込む。

 だが、隣のコンテナを装備したパピヨンは依然、赤いライトを光らせている。


「あっちは黙らせておくか」


 俺は再びマッチボックスを開き、「ALLY = {“Pappion 2”}」とあるコードを見つけた。ALLY、つまり友軍機を定義する箇所だ。


「これでどうだ」


 書かれたコードは


「ALLY = {“Target 2”}、ENEMY = {“Pappion 2”}」


 エンターキーを押した瞬間、パピヨンのセンサーが赤く輝く。背後のコンテナを備えたパピヨンに向くと、機銃が唸りをあげて弾丸をぶちまけた。


「イイリリリリッ」


 コンテナのパピヨンは瞬時に破壊され、バラバラのパーツが煙を上げて地面に落ち、爆発した。


「ハラショー!ウォルター!敵は同士討ちさせるに限るな」


「ああ、なんとかなったな。これで逃げられる」


 だがそう思ったそのときだった。

 突然、目の前のダーウェイ中央駅のモノレールが爆発した。


「どかあああああん」


「なんだ!?」


 すさまじい爆風が巻き起こり、その熱風が港にまで押し寄せる。


「普通の火力じゃない。隠れろウォルター、ここは危険だ!」


 だがHALの警告も虚しく、衝撃で吹っ飛ばされた俺の身体は港から海に転落していった。

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