第3話
少し駆け足で正門へ向かうと、菜乃が俺を待っていてくれた。
「用事は済んだのか」
「万事解決した」
「何かあれば、遠慮無く私に相談すると良い」
菜乃は大きな胸を一層反らし、良い笑顔を浮かべた。俺からすれば、その心意気だけで十分だ。
「今日、ドリンクバーが半額なんだって」
「えー、それやばくない?」
「マジやばいって。ありえないって」
女子生徒の集団が、きゃっきゃと嬌声を上げながら俺達を追い抜いていった。別にやばくはないだと思っていると、菜乃が俺を凝視してきた。
「高校生がバーなどと、この街は随分風紀が緩んでるな」
「悪魔の台詞か、それ」
「太郎がどう思ってるかは知らないが、悪魔には秩序もあれば規律もある。……それで、その小洒落たバーは私が行っても問題ないのか?」
そう来ると思ったよ。
結局その女子生徒達の後を追い、駅前のファミレスへ入店する。
確かに学生に限りドリンクバー半額というポスターがあちこち貼られてあって、そのせいか制服姿の客が目立つ。
「ドリンクバーを2つ」
「それと、レアチーズケーキを1つ」
「かしこまりました」
端末を見ながら復唱をしたウェイトレスが下がった所で、俺は菜乃からメニューを取り上げた。
「誰がデザートを楽しむと言った」
「人を騙した報いだ」
菜乃が、結構本気の表情で抗議してくる。
俺が騙した訳ではないが、詳細を説明しなかった時点で有罪確定らしい。
いまいち納得は出来ないが、運ばれてきた空のグラスを指差す。
「要は、ジュース飲み放題って事だ。何でも好きな奴を注いでこい」
「豪気な店だな」
菜乃はうむうむと満足げに頷き、すっかり上機嫌になってドリンクバーの方へと歩いていった。さすがに娘とは言わないまでも、姪っ子を相手にしてる気分だな。
何となくぐったりしてソファーにへたり込むが、菜乃がいつまで経っても戻ってこない。これは1人、黄昏れてる場合では無さそうだ。
俺も空のコップを持ってドリンクバーへ向かうと、菜乃がグラスを持っておたおたしていた。こいつは勉強も運動も得意だけど、日常生活にはとことん不向きだよな。
「あ、溢れてくるぅー」
菜乃のグラスを見ると、確かに縁の方から炭酸の泡がこぼれている。
「氷の入れすぎだ」
菜乃の頭を手の平でぽふっと叩き、グラスを受け取って少し飲む。正確には泡を飲むんだが。
「俺が入れるから、席に戻ってチーズケーキを待ってろ」
「今度は優しく入れてくれ」
だから、他の客がいる前でそういう事を口にするな。
コーラとウーロン茶を注いで席へと戻り、菜乃へコーラの方を渡す。
「くっ、殺せっ」
「甘い物ばかり食べてると太るぞ」
そう言ってウーロン茶を飲み、小さく息を付く。俺もパフェくらい頼めば良かったかな。
「それで人間界はどうですか、菜乃さん」
「悪くはない。愚かしい事も多々あるが、日々努力を惜しまず前へ進もうとする姿勢は称賛に値する」
「魔界はそうでもないのか」
「全てが行き着いたと思っている者が多く、緩やかに進歩はしていてもこの世界程の勢いは感じられない」
いつになく真面目な口調。こういう話を聞くと、本当に悪魔なのかなと信じてしまいそうになる。
「何か、得るべき物はあったか?」
「チーズケーキのレシピについては、是非とも持ち帰るとしよう」
菜乃は運ばれてきたチーズケーキを一口頬張り、感慨深げに呟いた。絶対、この瞬間の事しか考えてないだろ。
小姓よろしくドリンクバーのお代わりを取りに行こうとしたところで、視線に気付いた。
さっき教室でもあったように、菜乃が注目を集める容姿なのは承知済み。だが今感じている視線は、そう言った類の物とは違う気がする。
あの手のねちっこさではなく、もっと鋭利な感覚。敵意と表現するのが、的確だろうか。
少し遠回りをして、店内を確認しながらドリンクバーへと歩いていく。大半の客は連れとの会話に夢中で、廻りを気にしている様子はない。1人客も何かを読んでいるか、スマホをいじっているだけ。
ただ1人、明らかに菜乃の方を見ている女子生徒がいる。彼女と同じセーラー服を着ており、つまりは同じ学校だ。
長い黒髪と抜けるような白い肌。切れ長の瞳が印象的で、菜乃とは対照的な和風美人といったところ。しかしその視線は菜乃から外れず、加えているストローを噛みちぎりそうな程である。
単なる女子高生なので大して危険では無さそうだが、それは素手を想定した話。菜乃ではないが、武装していれば小学生だろうと大人を打ち負かす事が出来る。
急いで自分のテーブルへ戻り、持ってきたコーラを一気飲みする。でもってウーロン茶も一気に飲み干す。柄にもなく、緊張していたようだ。
「何をしてる」
メニューで軽く頭を叩かれた。そりゃ、そうなるだろうな。
「喉が渇いてたんだ。行くぞ」
「まだ飲む気か」
「帰るんだ」
もう1度叩かれると来たもんだ。
チーズケーキが殆ど食べられなかったと菜乃にちくちく突っ込まれつつ、すぐに駅へ向かい電車に乗る。先頭車両に乗って壁を出来るだけ増やし、周囲の監視をしやすくする。
「……最近、誰かとケンカしたか?」
「そんな事はない。私か仏かと言われてる程穏やかな性格だぞ」
そう言って、菜乃は両手を合わせた。悪魔じゃなかったのかよ、おい。
「どうしてそんな事を聞く」
「ファミレスで、菜乃を睨んでる奴がいた」
敢えて隠さず、ストレートにそう伝える。また菜乃は木刀を持たせればその辺の奴は歯牙にも掛けないので、本人が自覚してくれれば危険は減る。
「恨みを買うような覚えはないが」
「世の中、色んな奴がいるからな。菜乃は悪くなくても、歩き方が気にくわないってだけで嫌う奴もいる」
「気を付けよう」
菜乃は案外素直に答え、神妙に頷いてみせた。こう言うところがあるので憎めないんだよな。
なんて思ってると、その姿がコンビニへと吸い込まれていった。
「何買うのか」
「ウーロン茶とチーズケーキ」
そう来ると思ったよ。
結局ウーロン茶とチーズケーキをおごらされ、家へと戻る。幸い後を付けられるなんて事はなく、俺もようやく胸を撫で下ろす。
夕食を食べ終えたところで菜乃はチーズケーキを持ってきて、それを食べ始めた。ちなみに今日のデザートは桃で、それはそれで食べている。
「本当に太るぞ」
「その分動いているから大丈夫だ。……結局刺客は襲ってこなかったな」
「刺客って。それこそ、魔界にいた時の敵じゃないのか」
「魔界をなんだと思ってる。悪魔は平和と調和を尊ぶ種族だぞ」
悪魔が聞いて呆れるな。
とはいえその悪魔である菜乃は穏やかな性格で、平和を尊ぶと言うのも頷ける。悪魔前提での話だが。
「私を睨んでいたという輩こそ、むしろ人間の言う悪魔の類ではないのか」
「なるほど」
「で、その桃は食べないのか」
こいつは悪魔と言うより、餓鬼の類だな。
風呂を上がり自分の部屋でベッドに寝転がりながらテレビを見ていると、ドアがノックされた。
「はい」
「ちょっと良いか」
ドアを少し開けて顔を覗かせた菜乃は、俺が頷くと大きなクッションを持って部屋の中に入ってきた。
そして床にぺたりと座り、クッションを抱いたまま俺をじっと見上げてくる。
「抱いてくれ」
「え」
思わずベッドから転がり落ち、したたか顔を打ってうめき声を上げる。
普段冷静に振る舞っていようと、俺も所詮は年頃の男子。悶々とする事も無くもなくもない。だからこんな言葉を聞かされては、1人で大慌てもするという物だ。
「このクッションを抱いてくれ」
「あ?」
「どうも抱き心地が思わしくない」
胸元へ、ピンクのクッションが放られた。床に寝転がったままそれを抱きしめ、少し顔を埋めてみる。
さすがに今は顔を上げる気分ではない。
「匂えとは言ってない」
言うと思ったよ。
「……別に普通のクッションだが」
「揉んでみろ」
次から次へと悩ましい事を言ってくれるな。良いけどさ、この際。
「……特に普通だが」
「クッションの機微も分からんか」
菜乃は鼻先で笑い、仕方なさそうに首を振った。
結構どうでも良い事だが、イラッと来るな。
「クッションの機微など知りたくもない。客間に座布団があるから、いくらでも持っていけ」
「私に座布団を抱いて寝ろと?」
低い声で答えた菜乃は目を三角にして、俺を真上から見下ろしてきた。綺麗な顔立ちなだけに、こういう真似をされると逆に恐怖感すら抱いてしまう。
「抱き枕の話か。……あいつでも持っていけ」
俺が部屋の隅にある等身大の抱き枕、苦笑気味に指差した。アニメのキャラクターがプリントされているあれでである。
別に好きで手に入れた訳ではなく、良く分からん懸賞で手に入ってしまった物だ。なまじ人型というかイラストがプリントされているので捨てるに捨てられず、夜中に目が覚めた時に俺を驚かせる代物でもある。
「あれは太郎の嫁だろう」
「おい」
「私が欲しいのは下劣な妄想の権化ではなく、今渡したくらいのクッションだ」
お前、今結構な数の人間を敵に回したぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます