砂漠都市の水争い(3)

 砂漠の厳しい太陽がオアシスに降り注ぐ中、盗賊団との交渉は一触即発の緊張状態にあった。リーダーのケルス・サーハが許可を与えたものの、部下たちの中には一見して砂漠の民ではないハルトたちを信用できない者も多かった。その中でも特に目立っていたのが、長身に浅黒い肌、鍛えられた身体に鋭い眼光を持つ男、グライドだった。


「リーダー、本当にこいつらを信じるのか?」

 グライドは険しい目つきでケルスを見上げた後、ハルトに視線を移した。

「口先だけの学生野郎に何ができる?ここでの生き死にを知らない奴らに、水源を託せるはずがない」


 ケルスが抑えようとしたが、グライドの視線は鋭さを増し、ハルトを睨みつける。


「だったら、試してみるか?」

 ハルトは一歩前に出て、グライドの挑発を受けた。心臓が高鳴るのを感じながらも、表情は冷静さを保つ。


「俺たちが本気かどうか、ここで確かめろ」


 ケルスはため息をつきながらも、その申し出を拒否しなかった。


「勝負は一対一だ。剣だけを使え。命を奪う戦いではないが、真剣勝負とする」


 広場に即席のリングが作られると、周囲には盗賊団のメンバーとジャリムたちが集まった。それら視線が刺さる中、ハルトはVRゲーム『ブレードアリーナ』で鍛えた記憶を思い出しながら、手に取ったサーベルの感触を確かめた。


 対するグライドは、砂漠の生活で鍛え抜かれた腕力と技術を備えた男。互いに剣を構え、一瞬の静寂が場を包む。


「ハルトくん、気をつけて!」

 みひろの声が背中を押す。美玲は腕を組みながらも、その瞳は真剣に戦況を見つめていた。月奈は無言でハルトに視線を送るが、その微かな頷きには信頼が込められていた。


 合図とともに、グライドが先手を打つ。鋭い一撃がハルトの肩口を狙うが、ハルトは一歩下がってその勢いを流すようにかわす。


「この程度か?」

 ハルトは軽く挑発を交えつつ、体勢を整える。『ブレードアリーナ』の経験から得た動きが自然と体に染み付いている。次の瞬間、彼はサーベルを軽く回し、虚を突くように前進した。


 両手剣とは違い、このななめに傾いた中段の構えからの縦方向の回転切りは片手剣術——特に片刃のサーベル術の特徴である。


 グライドの動きは素早い。ハルトの剣を受け止めると、反撃の斬撃を繰り出した。その速さに観衆が息を呑む。だが、ハルトは冷静だった。彼の目は既にグライドの癖を見抜いていた。


「ここだ!」

 タイミングを見計らい、ハルトは一気に踏み込む。サーベルがグライドの剣を弾き飛ばし、刃先を彼の喉元に突きつけた。


 静寂が場を支配する。


「……降参だ」

 グライドは剣を下ろし、苦笑を浮かべた。


「やるじゃないか、若造」


 周囲から拍手と歓声が上がり、ケルスが場を締めるように進み出た。

「これで分かっただろう。彼らは本気だ。協力する価値がある」



 その後、月奈が盗賊団のアジト近くで古い地下水路の痕跡を発見する。薄暗いトンネルの中を調査しながら、彼女は冷静に語った。

「古代の遺跡のよう。この地下水路を復旧させ、新しい水路として利用すれば、この地域全体が恩恵を受けるはず」


 美玲も加わり、「現代の灌漑かんがい技術を応用して効率を上げれば、砂漠の限られた水資源でも十分に利用できるわ」と続けた。


 ハルトは地元の部族長たちと話し合いを始める。

「争っても水は増えない。だけど、協力してこのカナートを完成させれば、みんなで水を分け合うことができるんだ」


 みひろはその隣で笑顔を浮かべながら、「異世界にだって“助け合い”の精神が必要だよね!」と明るく声をかけた。

 その姿に部族の若者たちが感化され、協力を誓う。


 この時点で、シミュレータの時間加速が起動したのがハルトたちには感じられた。

 カナート建設の作業は、朝日とともに始まり、夕陽が沈むまで続いた。灼熱の砂漠の中での作業は過酷そのものだったが、地元民も盗賊団も、そしてハルトたちも、その手を止めることはなかった。


 月奈が発見した古代水路は、砂に埋もれ、長い年月の間に崩れてしまっていた部分もあった。それでも、地中深くを掘り進めれば、まだ新鮮な地下水脈にアクセスできると確信していた。


「ここがカナートの主水路よ」

 月奈が地図を指差し、慎重に説明する。その声は冷静で落ち着いていたが、瞳の中には希望が宿っていた。

「このルートを復旧し、浸透井戸を掘り直せば、水を再びオアシスから都市に引き込めるはず」


「ただ掘るだけじゃダメよ。水の流れを計算しなきゃいけないわ」

美玲が腕を組みながら頷く。

「現代の灌漑技術を取り入れて、蒸発を最小限に抑える構造を考える必要があるわ」


 盗賊団のリーダー、ケルス・サーハも作業に加わり、部下たちを指揮していた。「昔、俺たちの祖先はこれを作り上げたんだ。その時代に戻ったつもりでやるしかない」


 ジャリムも、砂に埋もれた古代の知恵を語りながら指揮を執った。

「カナートは単なる水路じゃない。人々が力を合わせて築いた希望そのものだ」


 地元の農民たち、盗賊団、部族の若者たち、そしてハルトたちが、一つのチームとして動き始めた。掘削の音が響き、砂漠の静寂を切り裂いていく。作業には人力のほか、古代から伝わる簡素な道具が用いられた。掘った土砂をバケツで運び出し、水が流れるための勾配を微調整する。


「この傾斜角度、ちゃんと測った方がいいな」

 ハルトは美玲に確認を取りながら、地元民たちに注意を促した。

「少しでも角度がズレると、水が流れなくなる」


「ハルト、こっち!砂の壁が崩れそうだよ!」

 みひろが大声で呼びかける。ハルトが駆けつけ、周囲の作業員たちと力を合わせて壁を補強した。


 宗冬もまた、重い土砂を運ぶ作業で大いに力を発揮していた。

「これくらい大したことないさ!」と笑顔を見せながらも、額には汗が光っている。


 盗賊団の若者が作業の合間にポツリと呟いた。

「こんな風に皆で協力する日が来るとは思わなかったな」


「確かにそうだな」

 ジャリムが静かに答えた。

「このカナートが、争いを超え、人々が手を取り合うための象徴なんだ」


 ケルス・サーハも無言で手を動かしていたが、その表情はどこか和らいで見えた。


 数日間の作業の末、ついに最後の掘削が行われることとなった。月奈が慎重に最後の石板を動かすと、水路の奥底からほのかな湿り気を帯びた風が吹き込んできた。


「これで終わりよ」

 月奈が静かに告げると、全員の動きが止まり、緊張の中でその瞬間を待った。


「いくぞ!」

 ハルトの合図で、最後の壁が取り除かれる。次の瞬間、地下から湧き出した水が勢いよく流れ出し、長らく干上がっていた水路——カナートへと注ぎ込まれていった。


「やった……本当に水が戻ってきた!」

 ハルトたちは達成感とともに、この地での使命を全うした感慨に浸った。


 みひろが「やっぱりハルトってすごい!」と無邪気な笑顔で褒めると、美玲は「まあ、それなりには認めてあげるわ」とそっぽを向きながらも、微かに口元を緩めていた。

 月奈は一歩近づき、カナートの水の流れを指差しながら静かに語りかける。

「きみが盗賊団との対話を選んだからこそ、この結果が生まれたわ。その判断が正しかった」


 そのやり取りを見ていた宗冬が、土埃を払いながら笑う。

「ハルトが盗賊団と交渉するって言ったときは耳を疑ったけど、案外いけるもんだ。まあ、俺と現地の皆さんの力仕事がなかったらここまで進まなかったけどな!」


「それは本当に助かったよ」とハルトが笑顔で返すと、宗冬は満足げに腕を組んだ。


 その背後では、ジャリムとケルスが水の流れを見つめながら静かに頷いていた。

 オアシスに広がる水面は、夕陽を反射して黄金色に輝いていた。それは、協力と信頼の末に掴んだ希望の象徴だった。



 異世界シミュレータのメインコンソールが整然と並ぶ監視ルームでは、鬼塚冴子が一人モニターを睨んでいた。冷静そのものの彼女の表情には、僅かに満足げな微笑が浮かんでいる。


 巨大なモニターパネルには、砂漠の異世界で奮闘するハルトたちの姿が映し出されていた。水が水路へと流れ込む瞬間、人々が歓喜に包まれる光景を見届けながら、鬼塚は手元の端末を操作する。モニターには数値やグラフが次々と表示され、ハルトたちの行動に応じて記録されているデータが解析されていく。


「新モジュールの効果は上々ね。チーム全体の協調性が向上している。それに、彼の即興的な判断能力……やはり特待生に選ばれるだけのことはあるわ」

 鬼塚は低く呟く。画面越しの彼女の視線は、特にハルトの姿に注がれているようだった。


 しかし、その目には冷徹な光が宿っていた。彼女が微笑を浮かべながらも、感情を抑えた口調で続ける。

「これで第一段階はクリア。次のステップに進めるわ」


 その言葉に呼応するように、背後の端末群が微かな電子音を立てる。複雑なプログラムが動作していることを示す無数のインジケーターが、暗い室内でほのかな光を放つ。


「適応力、柔軟性、そして精神的な絆。彼らがこれほど早く基準を満たすとは……予想以上ね」

 静かに言葉を呟く鬼塚の横顔は美しいが、その内面には学院の深い謎を秘めた冷徹な計算が見え隠れしていた。


 モニターに映る異世界の夕陽が黄金色に染まる中、鬼塚は端末から視線を外し、静かに息をつく。指先で軽くモニターの枠を叩くような仕草をしながら、その場を後にした。薄暗い部屋には彼女の足音だけが響き、消えていく。


 しかし、その場に残された機器の数々が、学院の背後に潜む意図と、この異世界シミュレータ実習の真の目的を物語っているかのように、暗闇の中で微かな光を放ち続けていた。

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