剣と魔法とファンタジー(2)

 教壇に立つ鬼塚冴子が、黒板ならぬ大型モニターを背にして生徒たちを見回す。画面には『神秘学の具体例』と題された項目が表示されている。


「これらの講義の内容は、科学の基礎を異世界でどのように応用するかを教えるものです。ただし、希望する生徒は神秘学を学ぶこともできます」


 その言葉に、みひろが再び首をかしげた。


「神秘学って、結局オカルトみたいなものでしょ?」


 それに対し、鬼塚は冷静な笑みを浮かべた。


「神秘学とは、科学が確立される以前に存在した学問や思想を指します。たとえば、錬金術は化学の原型であり、パラケルススの研究が科学の進歩をもたらしました。他にも占星術や道教、陰陽道、カバラなどが挙げられます」


「占星術って、星座占いのこと?」


 みひろが手を挙げながら勢いよく尋ねる。目がキラキラと輝いている。


「そうね、現代でいう星座占いは占星術の一部。ただし、本来の占星術はもっと学術的だったの。天体の動きを観測し、それが人間や自然に与える影響を研究する学問よ。星の配置図は航海術にも応用されたわ」


「へえ。じゃあ、科学っぽいじゃん!」


 みひろの声に、鬼塚が頷いて答える。


「ええ、実際、占星術は現代の天文学や気象学の基礎となったの。惑星の運行や季節の移り変わりを知ることは、農業や政治に役立てられていたわ。」


「でも、星座で性格が分かるとかは、ちょっと信じられないかな。」


 ハルトがぼそりと呟く。鬼塚は軽く肩をすくめた。


「確かに、現代の科学では証明できない部分もあるわ。でも、当時の人々にとっては、それが世界を理解する重要な手段だったの。」


「じゃあ、道教ってのはどうなの? 不老不死を目指すって、本気で?」


 美玲が涼しげな表情で尋ねる。その言葉に、鬼塚は少し目を細めた。


「道教は中国発祥の哲学体系で、宇宙や生命の調和を追求するもの。不老不死は理想のひとつとして語られるけど、実際には健康や長寿を目指す技術が中心だったのよ。たとえば、錬丹術や風水といった技術は、漢方薬や建築学に影響を与えているわ。」


「風水って、家具の配置とかだっけ? 実際、効果あるの?」


 みひろが興味津々で食い下がる。


「科学的に見れば疑問視される部分も多いけれど、環境と人間の関係を考えるという点では、心理的効果があると言えるわね。」


 鬼塚の回答に、みひろは納得したように頷いた。


「カバラって、聞いたことないんだけど。」


 今度はハルトが口を開く。その質問に、鬼塚はモニターを操作し、新たな図表を表示した。


「カバラはユダヤ教に基づく神秘思想で、宇宙や生命の根本原理を探求するものよ。この『生命の樹』を見たことがあるかしら?」


 モニターには「セフィロトの樹」と呼ばれる複雑な図が映し出されている。


「おお、アニメとかで見たことある!」


 みひろが目を輝かせる。鬼塚はその反応に微笑みながら続けた。


「カバラの生命の樹は、宇宙の構造や人間の精神を象徴しているわ。数学や哲学にも影響を与え、数秘術や占いの基礎となったの。」


「でも、それって何かに使えるの?」


 ハルトが真顔で尋ねる。鬼塚は少し首を傾げて答えた。


「直接的な効果は期待できないけれど、象徴を理解することで物事の本質を探る手助けにはなるわね。特に、異世界での文化交流には役立つかもしれないわ。」


「陰陽道というと、日本古来のものですね?」


 美玲が質問を投げかける。鬼塚は再び頷き、説明を続ける。


「陰陽道は、日本古来の自然哲学で、陰陽五行説や方位学を基盤にしているわ。災厄の回避や健康管理に使われていたの。たとえば、暦の制定や吉凶の判断などに役立てられていたのよ。」


「へえ。じゃあ、占いの一種ってこと?」


「一部はそうね。ただ、陰陽道は実際に政治や軍事にも影響を与えたわ。たとえば、方位や時間の吉凶を見て出兵の時期を決めることもあったの。」


「でも、そんなの信じてたら失敗しそうだけど……」


 ハルトの言葉に、鬼塚は静かに微笑んだ。


「信じるかどうかは別として、当時の人々にとってはそれが現実だったのよ。異世界でも、こうした文化や信念が社会を動かしていることがあるかもしれないわね。

 ——ただし、これらの学問を学んだからといって、実際に超常的な能力を得られるわけではありません。それは異世界でも同様です。」


 みひろが落胆したように肩を落とす。


「つまり、現実は甘くないってことですね……」


 その言葉に、ハルトがぽつりと呟いた。


「結局、自分の力で勉強して、その知識をどう使うかって話か」


「ただ現代の兵器運用思想が、異世界の魔法戦において応用できることもあるでしょう。」


鬼塚の一言が、教室の空気を一変させた。


「具体的にはどういうことですか?」


 それまで黙っていた藤原美玲が、鋭い視線で問いを投げかける。


「例えば、火力支援の考え方ね。」


 鬼塚はモニターを操作し、現代戦の戦術図を表示した。戦車や火砲が描かれたシンプルなイラストに、生徒たちの視線が集まる。


「火球を投げる魔法使いがいると仮定してみましょう。彼らを火砲部隊のように運用すれば、前線で戦う剣士や槍兵を後方から支援する形が可能です。」


「なるほど、直接戦うだけじゃなくて、役割分担を決めるってことですね!」


 みひろが目を輝かせながら声を上げる。彼女の頭の中では、すでにファンタジーの世界が広がっているのだろう。


「そうです。そして火力支援だけでなく、さらなる応用が可能な可能性もあります。例えば、現代戦の『三角攻撃』という戦術があります。」


鬼塚が再び話を戻した。モニターには三角形の形に配置された部隊図が映し出される。


「三方向から敵を挟み撃ちにすることで、敵の防御を分散させる戦術です。魔法使いが火力支援を行い、剣士が前衛を務め、弓兵が側面から攻撃する形に応用できます。」


「それ、めっちゃ強そうじゃん! わたし、十文字槍で側面から突撃するよ!」


 みひろが勢いよく叫ぶと、教室内に笑いが起こる。


「ただし、異世界では魔法の使用にリソースが必要な場合があるかもしれません。」


 鬼塚が一瞬で笑いを沈めた。


「例えば、魔力の消費が激しい場合、火球の一発で戦闘力が失われる可能性もあります。そのため、魔法をどのタイミングで使用するか、慎重に見極める必要があるわ。」


「リソース管理、か……それって現代の戦争での弾薬管理みたいなものですか?」


 ハルトが呟くように言う。鬼塚は満足そうに頷いた。


「その通り。魔法のリソースを弾薬のように考えると、運用方法の選択肢が広がります。異世界でも、現実的な思考を捨てないことが重要です。」


「現実的な思考か……やっぱり異世界でも甘くはないってことだな。」


 鬼塚は頷き、少しだけ柔らかな表情を見せた。


「その通り。異世界においても、私たちの科学や戦術が通用する可能性は高いです。ですが、持ち込めるのは自分の知識だけ。スマホやARグラスのような便利な道具は使えません」


「ちなみに異世界で科学が通用しない可能性はないんですか?」


 美玲が挙手して発言する。


「それはいい質問ね。」


 鬼塚は微笑みを浮かべながら、教壇に手を置いた。背後のモニターには地球の物理法則を象徴する公式や図表が表示されている。


「人間原理という考え方によれば、どのような異世界であれ、基本的に私たちの科学や戦術が通用する可能性が高いとされています。」


「人間原理?」


 ハルトが首をかしげると、みひろが勢いよく手を挙げた。


「それ、たしか『宇宙が人間に都合が良すぎる』って話ですよね? この前ネットで読んだ!」


「正確に言えば、人間原理は『私たちが存在できる環境だからこそ、そこには私たちの知識が通用する可能性がある』という考え方ね。」


 鬼塚の説明に、みひろは「なるほど」と頷いたが、美玲は冷ややかな目で反応する。


「つまり、異世界に行ったところで、地球の物理法則がそのまま通用するとは限らない、という可能性もあるのね。」


「その通りよ。」


 鬼塚が美玲に視線を向けて肯定する。


「ただし、転生する異世界が人間にとって生存可能な環境である以上、基本的な物理法則や化学的な性質が一致している可能性が高いわ。」


「でも、先生!」


 みひろが声を張り上げた。


「もし異世界の空気に酸素がなかったらどうなるんですか? それって、科学とか以前の問題じゃないですか?」


「それも考えられるわね。ただ、現実的には、異世界転生が可能だと仮定した場合、私たちが生き延びられる環境が整っているのは、転生そのものが人間の生存に配慮したものだと考えられるからよ。」


 鬼塚は再びモニターを操作し、異世界シミュレーションの環境設定を示した。


「酸素濃度、重力の強さ、気温などの要素が一定の範囲内であることが前提です。そうでなければ、転生する前に私たちは死んでしまうでしょう。」


「なるほど……」


 ハルトは腕を組み、納得するように頷いたが、まだ何か考えている様子だった。


「でも、そうだとしたら、異世界が魔法とか未知の力に支配されてたらどうするんです? 科学が通用しないどころか、魔法に全部押し負けるとか……」


「その場合でも、科学と魔法が全く対立しない可能性もあるわ。」


 鬼塚の言葉に、教室内の生徒たちがざわつき始めた。


「科学と魔法が……対立しない?」


「ええ。魔法が存在するなら、それを科学的に解析することが私たちの課題になるでしょう。現実でも『超常現象』が科学的に説明される例はいくつもあるわ。」


「なるほど、たとえば電気とかも昔は『魔法』みたいな扱いだったって話ですよね?」


 みひろが目を輝かせる。鬼塚は満足そうに頷いた。


「そうね。異世界で魔法に出会ったとしても、それを科学の視点で捉えることが可能かもしれないわ。」


「それって面白そう! でも……実際に魔法を解析できるかどうかは未知数ですよね?」


 美玲が慎重な口調で指摘する。鬼塚は軽く頷いた。


「その通りよ。ただ、科学と魔法が交わる瞬間こそ、異世界転生者に与えられた特権とも言えるかもしれないわね。」


 ——そのとき、不意に御船月奈が呟いた。


「……マクガフィンはひとつだけ。」


 その言葉の意味を誰も理解できなかったが、彼女の横顔はどこか遠い場所を見つめていた。その声は小さく、教室に溶けていった。

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