剣と魔法とファンタジー(1)
「先生、ひとつ質問いいですか?」
授業の合間、クラスの中央に座る快活そうな男子生徒が手を挙げた。その声に教室が一瞬静まり返る。鬼塚冴子は軽く頷き、その質問を促す。
「どうぞ」
「異世界シミュレータでは……魔法ってないんですか?」
クラスの一角から飛び出したその問いに、教室内は一瞬ざわついた。教壇に立つ鬼塚冴子は、黒のスーツをきっちりと着こなし、整った顔立ちに冷静な表情を浮かべたまま、視線を生徒たちに向ける。
「ゲームでよくあるような魔法のことを言っているのかしら?」
鬼塚の問いに、男子生徒は勢いよく頷く。そのやり取りに、教室内の空気は一層高まった。
「たとえば、火球を放ったり、雷を落としたりするようなものですね?」
その言葉に、教室の空気が変わった。ざわざわとささやき声が広がり、クラスメイトたちが興味津々の表情を浮かべる。長住みひろは真っ先に反応し、隣のハルトに勢いよく身を乗り出してきた。
「聞いた? ハルト君! 魔法だって! 異世界といえば魔法でしょ! 大ガエルを使役したりとか、かまいたちで敵を切り裂くとか! ああ、夢が広がるなぁ!」
(みひろの言い方だと、やけに忍術っぽいな……)
「そうだな……でも、それが現実的かどうかはまた別の話だろ」
ハルトは冷めた口調で返したものの、内心では同じように期待している自分を否定しきれない。どこかで魔法のような現象が現実になるのではないか、という淡い希望が胸をよぎる。
「夢がないな~ハルト君は。異世界って言ったら魔法と冒険でしょ!」
みひろの無邪気な反論に、ハルトは苦笑いを浮かべる。そのやり取りを聞いていた藤原美玲が、涼やかな声で口を挟んだ。
「もし現実と同じ科学原理が通用するなら、魔法も何かしらの理論に基づいているはずではなくて?」
その理知的な指摘に、鬼塚が微かに頷いた。
「興味深い意見ね。実際、魔法をシミュレータ内で再現することは、技術的には不可能ではありません。シミュレータの映像技術とフィードバックシステムを使えば、火球を放つ感覚を体験させることも可能です。課題しだいではそういった魔法を使える設定の場合もあるでしょう。」
「本当に!? いつ魔法を使えるんですか!?」
みひろが目を輝かせながら身を乗り出す。
「でも先生! それって意味あるんですか? シミュレータの中だけで魔法を使っても、実際に異世界に行ったら役に立たないですよね?」
美玲がみひろの発言に反論する。
鬼塚はその質問に対して頷き、教壇の端に腰を預けて話し始めた。
「その通りです。この学院が目指すのは、現実の科学知識や技術を用いて異世界で生き抜く力を養うことです。その一環として、魔法のような現象をシミュレータ上で再現することもあります。しかし、『魔法』の存在自体は異世界の可能性に委ねられるもの。魔法のような現象を再現するのは、実際の異世界で応用できる科学的な思考を鍛えるためです」
鬼塚は背後の大型モニターを操作し、学院のカリキュラムを呼び出した。そこに学院の講義の詳細がズラリと記載されている。
「たとえばどんな講義があるんですか?」
みひろが尋ねる。彼女の目は期待でキラキラと輝いている。
「例えば火薬の製造と応用ね」
鬼塚は大型モニターに化学式を投影する。そこには硝石、硫黄、木炭の割合と製法が書かれている。
「中世の技術レベルで火薬を生成し、兵器として活用する方法を学びます。異世界の技術水準によっては、これだけで戦況を一変させられるでしょう」
「でも、火薬ってそんな簡単に作れるんですか?」
ハルトの疑問に、鬼塚は小さく頷く。
「基本的な材料さえ揃えば可能よ。ただし、その製造過程で注意しなければならないのは安全性ね。爆発事故を起こせば自滅するだけ。だからこそ、理論を正確に学ぶ必要があるの」
「すごいね! 異世界で花火とか作れるかも!」
みひろが夢見心地で言うと、美玲が冷ややかな視線を向ける。
「その程度の使い道では、革命者とは呼べないわ」
「むっ、美玲ちゃんは意地悪ね!」
みひろが口をとがらせるが、鬼塚は静かに次の話題へと移る。
「他には、抗生物質の精製ね。」
「抗生物質って、ペニシリンとか?」
ハルトが小首をかしげると、鬼塚は大きく頷いた。
「その通り。医療環境が整っていない異世界では、これが生死を分ける鍵になるかもしれないわ。」
「でも、ペニシリンって、カビから作るんじゃなかったっけ?」
「そうね。具体的には、パンに生える青カビから作ることができるわ。ただし、それを精製するには専門知識と手順が必要。ここで教えるのは、あくまで基礎的な理論と応用法よ。」
「それって……異世界で自分たちが医者みたいなことをしなきゃいけないってこと?」
みひろが眉を寄せて尋ねると、鬼塚は少しだけ柔らかな表情を浮かべた。
「そうなる場合もあるわね。でも、それが人命を救う手段になるとしたら?」
その言葉に、教室は一瞬静まり返る。ハルトは腕を組んで考え込んだ。
「うーん……確かに、異世界の村とかで疫病が流行ってたら、必要かもな。」
「そうね。医療だけじゃなく、技術面でも異世界に影響を与えられる可能性があるわ。」
鬼塚がそう言いながら、モニターに新たな図を映し出す。それは鉄鉱石や銅鉱石の精製プロセスを示すスライドだった。
「冶金技術と鋳造技術を学ぶこともいいでしょう。鉄器や青銅器の製造法を学び、武器や日用品の製作に活用します」
「鉄器……たとえば剣とか?」
美玲が真剣な表情で尋ねると、鬼塚は頷いた。
「もちろん、武器だけではなく、農具や建築道具など、生活に密接に関わるものも含まれるわ。これらの技術を教えるだけで、異世界の社会構造を変えることが可能です」
「社会構造を変える、か」
ハルトがぽつりと呟く。彼の視線は、モニターに映る古代の鍛冶場の再現映像に向けられている。
「でも、それって逆に敵を作ることになりませんか?」
「その可能性は否定できないわ。」
鬼塚はハルトを見据えた。その瞳には、教育者としての真剣さが宿っている。
「だからこそ、学ぶのは技術だけではなく、それをどのように使うべきかという倫理観も含まれるのよ。」
「うーん……現実ってやっぱり甘くないな」
ハルトが小さく息をつくと、みひろがにっこりと笑った。
「でもさ、ハルト君、こういうのってなんかロマンあるよね! 異世界で救世主として名を残せるかも!」
「そういう発想がみひろらしいよな。」
ハルトが苦笑すると、美玲が冷ややかな声で釘を刺した。
「私はどのような立場であれ、知識を持つものとしての責任を全うしたいわね」
「その通り。技術と知識は、異世界での生存に直結するわ。しっかりと身につけておきなさい。」
その言葉に、ハルトたちは改めて異世界での未来を想像し、心を引き締めた。
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