第十九話
ロベルを呼び出したのはフェルナータ家のタウンハウス。つまり私の家だ。
婚約者として最低限月に一度は手紙を認したためているので、話し合いをしたい旨のみ文面に含ませた。
あらかじめ話し合いの内容を知らせておくことも考えたが、開けた後の手紙をあの子がどう扱うかも自信がなかったので止めておいた。
(昔は私からの手紙を部屋の隅に放っておいているのをエルクが見つけて喧嘩になっていたっけ)
エルクに言わせれば手の付けられない天の邪鬼とのことだが素直すぎるエルクもエルクで扱いにくかった。
ふたりの性格が交ざった弟だったら。そんなことを考えたこともあったが、あれらの性格が混ざり合っても打ち消し合うことはなさそうなので更に厄介な弟が生まれるだけだっただろう。
ロベルを待たせていた応接室の扉を開ける。
「君からの呼び出しなんて珍しいじゃないか。僕に見捨てられないか不安にでもなったわけ?」
相変わらずである。婚約者になる前から、この子はそういう子だった。
「その前にロベル。いくら私が待たせたとはいえ、人が来たら立ち上がって出迎えるぐらいなさい」
その言葉にロベルがこちらを見つめる。いつもならロベルの振る舞いや言葉に物言いをつけることはなく、彼にとっても青天の霹靂だろう。
「どういう風の吹き回しだい。そもそも話し合うことってなんだよ。妖精探しに文句でもつける気?」
「あなたとの婚約を解消したいの」
結論を先に述べればロベルの青灰の目が瞠られた。
「なんだいエルクに何か言われたわけ? 確かに僕もあいつが義理の弟なんてごめんだけどさあ」
「弟は関係ないわ。私があなたとの未来を思い描けなくなっただけ」
「いきなり何なの。お互い不満はあるけどそれで全部ぶん投げるような人間じゃなかっただろ。話しなよ、理由」
婚約の解消を申し出れば二つ返事で了承が帰ってくると思っていただけに、意外にも食い下がられ困惑する。だが、引く理由はない。
「好きな人ができたの。その人と恋人になりたいし、結婚したい。あの人の人生が欲しい」
正直になってしまえば理由は恐ろしくシンプルだ。自由に恋をするため、婚約をなかったことにしたい。それだけだ。
「運命の出会いでもしたわけ? 物盗りから助けてもらった? 図書館で同じ本を手に取った? ひと目見た瞬間に電流が走った?」
歌劇の中の出会いが連ねられていく。それら全ては劇的で、星の巡りのような必ず訪れるもの。波乱と幸福が約束された最初のページだ。
「いいえ、突飛なことは何もないわ。お相手はエルクの上司で、あなたの行動に心を痛めた私を慰めるため来てくださった方よ」
私たちの間に運命なんてものはない。出会いは仕組まれていたし、最初から仲良くする意思があった。エルクという共通の知り合いがいて、彼からすれば私たちの相性が良いというのは引き合わせる前から分かりきっていたことだろう。
「結局あいつの差し金じゃないか。それで何が変わるのさ。婚約者をすげ替えたって君本人は変わってない。……白髪交じりの陰気なエリエス。父親の次は弟の言いなりか」
そう吐き捨てるロベルは常の軽薄さを捨て憎々しげに私を睨め付けた。
「あなたの言い分は関係ないわ。私は義理を通しに来ただけ」
誰も彼も、私がロベルに全て納得してもらうため話し合いを設けた思っているんだろうけど、違う。
「運命の出会いなんて私には必要ない。婚約破棄はあの人を伴侶にするための一歩よ」
私は以前のお転婆な性格も、今の大人しい性格も好きではない。けれどそれらは紛れもなく己の一部だ。たまには昔に戻って譲れない我儘を通してやりたくなるときだってある。それが今だ。
「僕からの逃避でない保証はどこにある」
「数十年かけて証明してあげる。しっかりご覧なさい」
理屈なんて少しも通っていない主張。あの人に私のことを考えてもらっている間、私は未来について考えた。
パレルモの女主人として商会を取り仕切る未来は真っ先に棄却した。
長子のエリエス、責任感のあるエリエス、領民を思うエリエス。その全てを脱ぎ捨てた私が一番欲しいものは決まっていた。
沈黙が場を支配する。
この子の目を見つめるのは本当に久し振りだ。
かつてより大人になっているが、どうしても私には幼い日の思い出が印象深い。
どちらも口を開かず、幾ばくかの時間が経った後、扉の外から声がかかる。
「失礼します」
返事をする間もなく開かれた。緊張なさっているかと思ったけれど、顔つきは常のごとく穏やかだった。
「初めまして、ロベルくん。僕とも話をしていただけませんか」
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