第二十話
エリスが去った後、彼は途端に矢継ぎ早に喋り出した。
「大体さあ。君、エリエスを幸せにできるわけ?」
よく通る声で見得を切るように首を傾げる。劇場の近くで会えば舞台役者と勘違いしていたことだろう。
「僕との結婚は家同士の繋がり。幸せどうこうは含まれてないけど君は違うでしょ」
椅子の肘おきにしな垂れかかってもだらしなく見えないのは、その仕草がどこまでも芝居がかっているためだろう。
「君たちには幸せになる義務がある」
囁くように告げられる。この場面のみ切り取れば華やかな容姿も相俟って天使のようだ。
「それこそドリトル座の荘厳華麗なクライマックスのようにね!」
先程エリスに向けられていた剣呑な眼差しを思わせぬ快活な青灰の目がこちらに向いた。
「君は不思議な人ですね」
自分が彼について知っていることは少ない。幼馴染であるエリスとエルクからの話を聞いて人柄を推察したくらいだ。
今日はじめて出会い、まず感じたことは彼には偽りがないことだった。エリスの幸福を願いながらも彼自身が幸福にする気はない。
「別にありふれてるんじゃない? 僕自身がエリエスと結婚なんてごめんだけどね」
これも真実。彼自身はエリエスとの婚姻を心の底から疎んじている。
「侯爵だっけ、いいんじゃないの。同位ではないけど、フェルナータは歴史だけはあるし。お貴族さま同士仲良くしなよ」
年齢の割に大人びた顔は笑うと幼さを伴い、礼を失した振る舞いを許してしまう甘さをはらんでいた。
「……貴族位を理由に彼女と僕の釣り合いを話し出したら、君は納得しないでしょう」
一つ息をつき心を落ち着かせる。どうも彼はペースを作るのがうまい。
「君が尋ねているのは彼女を幸せにできるか、です。君との結婚で、彼女が幸せになれない理由は身分差ではない」
エリスと彼の間の不和は身分によるものではない。
「ロベルくん。確かに僕はエリエスと出会って日が浅い。ご両親にお会いしたこともなく周囲の信任は少ないです」
父から侯爵位を継ぐ予定ではあるが、この先大病を患うこと、あるいは事故に遭う可能性も否定できない。
「先のことは約束できません。変わらぬものは無い。ですが、僕は彼女と話し合いたい」
彼とエリスが辿れなかった道だ。周囲からの視線を強く感じ変わったエリス。彼女の変化を受け入れられなかったロベルくん。直接見てきたわけではない。フェルナータの姉弟からの話、今目の前にいる彼から受けた印象。それらを軸に彼らの関係を推量した。
ほんの些細なことであったはずのかけ違いは婚約という関係の変化が拍車をかけ、幼なじみとしての親しみすら失くしかけていた。それが僕の出した答えだ。
「変化は悪いことじゃない。君にとって望まぬ変わりようだったとしても否定されるものではない」
「ご高説をどうも。さぞいい学校を出てるんだろうさ。でもそれエリエスから聞いた主張を鵜呑みにしてるだけだろ。僕の意見も聞いたらどうだい?」
「請うたところで話してはくれないでしょう。それに僕は君たちの喧嘩の仲裁に来たわけではない。ただ納得してほしいだけです」
エリスは形式として義理を通すと言ったが、できることならば彼にも納得してもらいたい。
「そのお綺麗事に尻尾を振ってるのかな。あの赤頭は」
彼女に対する嘲りに血が昇りかけるが収めた。今したいのは話し合いだ。
「みんな仲良く。なんてお題目を掲げたいわけではありません。彼女との将来を考える上で差し障るものは先に取り除いておきたい小心者の浅慮ですよ」
その言葉で彼が目を瞬しばたかせる。今度は何だ。
「君の方はいい年なのかもだけどさあ。十七の小娘相手に将来って。結婚とかの話でしょ、重っも」
そういう話をしに来ているんだが。
「あーもう馬鹿らしくなってきた。……口では運命じゃ無いだの何だの言ってやることが女の婚約者の説得とかつける薬もないんだけど。そもそもあの眼鏡の上司だったな。だったら狂ってるか」
部下の少年にまで累が及びはじめた。考えてみれば彼らも幼なじみか。
「別にいいんじゃ無いの。小父さまは借金で胃をキリキリさせてるけど、借入先は金貸しじゃ無くて縁戚の貴族だし。領地経営だけでない収入もそのうち入るでしょ」
言外に次期当主であるエルクの出世を確信しているようだった。
「受け入れていただけますか」
「好きにしなよ。元々書面も交わしてない口約束だ。でもさ、最初にも言ったけど」
「はい。心得ています」
ドリトル座は絢爛たる演出も有名だが、座が組まれたときからの特徴がある。必ず「めでたしめでたし」の大団円の結末が訪れることだ。
彼は確かに彼女の幸福を祈っているのだ。
落ち着きなく庭を歩き回っていると、屋敷の方からヴァル様が走ってくる。
「エリス!」
大きな身体で駆けてこられると小さな庭ではあっという間で、すぐに私の許へと来てくださった。
「君に伝えたいことがあります。聞いてくれますか」
「私もです。ヴァル様」
顔を上げ、目線を合わせる。興奮のせいか猛禽めいた瞳孔が絶え間なく収斂と拡散を繰り返しているけれど恐怖は無かった。
「どうか、僕とお付き合いをしていただけないでしょうか……」
勢いのよさとは裏腹に、控えめな申し出だった。
「すみません、喜びと不安がない交ぜになって自分でも混乱しています」
右の手で口許を隠されてはいるが隙間から半端な位置の口角が見えている。
「不安にならなくともよろしいのでは?」
なにせ自分は先日、二人っきりの馬車で彼を誘惑したのだ。正直思い出すと今でも顔がひどく火照る。
「頭では分かっているのですが、どうしても」
言葉の通りどこか落ち着かない様子で目線が揺れる。そろそろ安心していただきたい。
「これから、どうかよろしくおねがいします」
大きな彼の手に自分の手を添える。握り返された手に安堵を覚えた。
どうか、この手を取り合う未来を守っていけますように。
「お前は本当に……」
ランヴァルドが去った後、応接室を訪れたのは屋敷の住人のエルクだった。目を眇め腕を組み、呆れた様子でロベルを珍妙な動物でも観察するかのように眺めている。
「なんだよ見せかけ眼鏡。お前には関係ないだろ」
彼らは生まれついての幼なじみではあったが折り合いが良かった時など片時も無かった。
「関係あるに決まってるだろ。このくそ坊ちゃん」
「技をかけるなくそ貴族!」
エルクの言葉とともに関節が極められる。城勤めでは決して要求されることの無い技能が発揮されていた。
「お前の精神構造はどうなってるんだ? 姉上を幸せにする気はないのに、幸せにできない奴は許せないとかどの立場だよ」
「お前だって上司と姉の交際の世話するとか心が老け込んでるんだよ。ガールフレンドの一人でも作ってみろおかっぱ頭」
「「……」」
しばしの沈黙の後、少年たちはジャケットを投げ捨て、考え得る限りの肉体言語を尽くした。勝敗は定かではないが、お互い相手に勝ち越せないのが彼らの常だった。
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