第十八話
お茶会が終わり、ネルフィナ様とともに門扉へ向かえばいつの間にかヴァル様が馬車の傍らに控えていた。
「お疲れ様です、エリス」
昼過ぎに始まったお茶会だったが、早い時間に登城したヴァル様の帰りと重なったらしい。
「あら、用意周到ね。使いなどは出していないのだけれど」
「年の功ですよ。終わる時間は何となく分かります」
「古狸にもなりたいの……? 熊鷲狸、語呂が悪いわ。早急に改めて頂戴」
「呼ぶのはネルフィナ様だけなのでは……」
「私が呼ぶ。それだけで意味ができてしまうのよエリエス。覚えておくといいわ」
「エリス、気にしたら負けです」
一通りの会話の後、ネルフィナ様はお屋敷に戻られた。名残惜しそうになされていたけれど、彼女も侯爵令嬢として多忙の身だ。そんな日々の中で私とのお茶会の時間を設けてくださったのが素直に嬉しい。
「送らせていただきます。エルクも一緒に来ないか誘ったのですが、済ませる用があると断られてしまいました」
気を遣われたようだ。青空に弟の清々しい無表情が浮かぶ様を幻視した。
「フェルナータ邸までご一緒しても? ネルフィナが何を言ったか気になりますし」
「そんな。とってもよくしていただきましたよ」
途中、ヴァル様の未来が危うくなっていたが。
「あなたの前では予想外のはしゃぎ方をするようなので不安になるのですよ」
その言葉とともに手を取られ馬車にエスコートされる。幾度かの外出で少しずつ慣れてきたものの、脈が速くなることには変わりがない。悟られぬよう気を付けつつ座席の斜め向かいに腰かけ合った。
ヴァル様はその体躯に見合った脚の長さをしているのでどこか窮屈そうだ。
馬車は緩やかに道を進んでいく。アーネスティア邸と自宅は離れているので少しかかるだろう。
不意にネルフィナ様からの言葉が頭をよぎる。
(少し、勇気を出してみるべきかしら)
馬車が道を進んでいく。しばらくすれば閑静な通りに出てしまう。今しかない。
「……ヴァル様。私今からとてつもなくらしくないことをしますが、どうか呆れはてないでください」
「? はい、わかりました」
了承を得たので斜め向かいから隣の座席に移動する。膝についている手に自分の両手を添えた。
「エリス……?」
名前を呼ばれたがいっぱいいっぱいで返事をする気力もない。
(ここから。ここからよエリエス……!)
先程のネルフィナ様との茶会を思い出す。
俯けていた顔を上げればこちらを心配そうに見遣る臙脂色と目が合う。深い色の中、一際濃い瞳孔が動揺のためか引き絞られていく。
(名前を、名前を呼ばなければ……)
思考回路の袋小路に迷い込んでいる内にヴァル様が距離を取った。
やはり、はしたなかっただろうか。
「勇気を出してくださりありがとうございます。ですがこれ以上は堪え性のない僕が耐えきれませんのでご容赦ください」
一息に喋ると今度はヴァル様が俯いてしまわれた。濃灰の髪の隙間から赤くなった鼻先や耳がのぞいているのであまり意味はないが。
いくらか経った後、今度はヴァル様が覚悟を決めたようにこちらに向き直る。
「エリス。片手を差し出してくださいませんか」
その言葉に従い利き手を浮かせヴァル様に差し出す。その手を両手で取られ、ゆっくりと引き寄せられていく。
右の手がヴァル様の額に導かれる。お互いの手に力は込められておらず、身じろいだ瞬間にでもこの体勢は崩れてしまうだろう。
「……僕はあなたに心を受け取ってほしい」
心の奥底から心情をあやまたず伝えようとしてくれている。
「始まりはエルクやキーファ達の共謀でしたが、僕は君との未来が欲しい」
心臓が早鐘を打つ。
恋愛小説に判を押したように登場する慣用句が実感を伴う。
「言葉を尽くして君に想いを伝えることも、行動を以ってあなたに理解していただくこともできない今が耐えがたい。そのための資格が僕はなんとしても欲しい」
想いを伝えたいと述べられることすら愛の言葉になるのだと初めて知った。
「君の婚約者と話し合う機会をいただけないでしょうか」
ザスマン邸の隅には自分用の花壇がある。来客からは見えない屋敷の西端。一応嫁に行った姉たちの分の花壇もあるがそれらに手が付けられたことは無い。
今日は少し土を寄せてやろうか。株が育ってきたので追肥をしてもいいかもしれない。
(手をかければ応えてくれるわけでも無いのがこの花の難しいところだ)
コルネアは由緒ある高貴な花だが、人が手をかけてやるほど花弁は小ぶりになり発色が褪せる不思議な花でもある。
王宮でも栽培されているがその性質のため温室では無く庭園の各所に直植えされている。
今のところ花壇のコルネアの生育は順調で、この分なら来年にでもつぼみを付けてくれることだろう。
(我ながら女々しすぎないだろうか)
心寄せる女性に贈るため数年かけて花を育てる。これがキーファなら薔薇の花束を担いでいるだろうし、エルクなら目も逸らさずに手を握りしめているだろう。
(人は人、自分は自分だ)
なろうと思って彼らのような伊達男になれるわけではない。尽くせる心を尽くして想いを伝えることしか自分にはできない。
今できるのは花壇のコルネアを枯らさないための簡素な世話だけだった。
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