第十六話
「ヴァル様見てください。この彩色、この編み目。劣化、摩耗もせずに当時織り上げられた状態を保っています」
「ええ。ヘネウス朝中期のタペストリーがこの状態で残っているとは。驚嘆に値します」
外出先として選んだのは王立の博物館だった。七代前のフェルナータ家の当主も出資者の中に名を連ねており、今でも氏族は休館日での来訪が許されている。
「こちらの食器類も当時としては珍しい絵付けで、使用されていた家は南方との交流が篤かったとのことです」
「当時のオーソドックスとはまた違っていますね。ですが装飾に関しては似通っています。興味深い……」
(とっても楽しい……!)
エルクと来たこともあるが、その時ははしゃぐ自分とそれを見守る弟の構図になってしまった。最初手紙でお誘いした時は自分の趣味を押し付けすぎたかと懊悩したものだが、登城するエルクに持たせた手紙がその日の内に色よい返事になって返ってきたので安心した。
「エリス、向こうも案内してくれませんか」
猛禽の瞳がせわしなく動いている姿が愛らしかった。上方の展示に背筋が伸びたかと思えば瞬く間に身を縮められるので糊の利いていたシャツがたちまちにしわくちゃになっていく。上背が高く胸の厚い彼のシャツなので特注品であることは間違いないが今や見る影もない。
目許がうっすら上気して、心から楽しんでいてくれることが嬉しいので指摘することはなかったが。
「もちろんです。ですが今日で全部は回りきれませんので、少ししたらお茶にしましょう?」
王立と冠されていることもあり収蔵品は多岐に渡る。博物館の建物そのものにも歴史的価値があり、流し見るだけでも多くの時間を要する。
先程のように一点一点に興味を割きながら見ていけば時間がいくらあっても足りないのだ。
「よければ僕のおすすめの店に案内しても良いですか? 馬車も入れないので少し歩くことになりますが」
詳しく聞くと区画的に隣り合っている書店街の奥にある店とのことだ。
「最近運動が楽しいので、よろこんで」
ネルフィナ様に体幹を褒められて以来、少し運動に積極的になったのだ。
先日はエルクに見守られながら乗馬を体験してみた。生き物と息を合わせて地を踏みしめる感触がなんとも言えず心地よかった。
「博物館を見て回ると決めた時点で歩きやすい靴を選びましたし、疲れてもいません」
屋内ではあるが、自分もヴァル様も一通り眺めるだけではすまないと思っていたための選択である。服装も動きやすさを意識し、白のドレスシャツと伽羅色に格子模様の入ったベスト、スカートを合わせてみた。ネルフィナ様に勧められ挑戦してみた慣れない恰好ではあるが悪くないのではないだろうか。
「流石ですエリス。では、着いてきてください」
ヴァル様も常の品の良さを残しつつも堅苦しさを除いた服をお召しになっている。白い肌に深い藍色のシャツがよく映えていた。胸元で光る赤と紫のスカーフピンについ気恥ずかしさを感じてしまった。
(いけない。自意識過剰だわ)
左手を取られ歩き出す。二人分の足音が響く。
少し固い音は私のパンプス。館内に馴染む音はヴァル様の短靴。
重なってずれて、また重なる。音の連なりが心地よかった。
博物館にほど近い書店街。ヴァル様が案内したのは外から覗いても古本屋にしか見えない喫茶店だった。
「建物自体は小さいものではないのですが、何分中の蔵書が桁違いでして」
言葉の通り、外観から受けた印象よりもこじんまりとした店内だった。本来窓があるであろう場所にも本棚が置かれ、店に入る光は色の入った曇り硝子からの仄かなもののみだ。
「ここのプディングに僕は目が無くって。しっかりとした口触りと苦めのカラメルが素晴らしい。紙まみれの店内でオーブンを使う型破り具合も中々です」
軽口に乗せてはいるが、煉瓦造りのこの店で万が一が起きれば漏れなく蒸し焼きになることは想像に難くない。
「店内の本は全て自由に手に取って大丈夫です。目録はテーブルごとに置かれていますのでそちらを参考に」
言葉の通りそれぞれのテーブルに同じ装丁の本が置かれている。あれが目録だろう。
「ヴァル様、少し活き活きしてらっしゃいますね」
少年らしい側面が強く出ているというか、ちょっと得意げな様子がまた愛らしい。
「おい坊主。年下のお嬢様に見透かされてんじゃねえか。浮かれすぎだろ」
店の奥、厨房から出てきたのは店主と思われる男性だ。物語のドワーフを思わせる骨太な御仁だ。
「で、こいつがお前の婚約者のアーネスティアのご令嬢か?」
「いえ、彼女はエリエス。友人です。今日は近くの博物館の見学に来たので寄らせていただきました」
紹介にあずかり姿勢を整える。
「エリエス・フェルナータと申します。ランヴァルド様にはよくしていただいております」
簡易的にカーテシーを取ると店主は目を丸くした。
「止してくれよ。ここは偏屈じじいか物好きの学者先生ぐらいしかこねえ店だ。……貴族の坊主がただでさえ浮いてんのに、お嬢様まで連れてきやがって……」
喋りながら店主は後ずさるように徐々に厨房へと消えていく。完全に姿が見えなくなったところで椅子を勧められた。
「学生時代、レポートの執筆で関連書籍が必要になって書店街を歩く機会がありまして。休憩に立ち寄った店なんですよ」
言葉とともに目録を差し出され受け取る。使い込まれてはいるが経年による破損にも手が入れられており、大事に扱われていることが分かる。
(先程の方が店主なら、蔵書はどのようなものかしら)
父より少しばかり年嵩で、職人のような居住まいの方だった。試しにとばかりに目録をめくってみる。
「あら?」
私でも知っている童話の原書が並んでいた。
テーブルの周囲を改めて見回すと、茶や緑の装丁に馴染み深いタイトルが並んでいる。
「意外ですよね」
ヴァル様が臙脂の瞳を細めこちらを微笑ましそうに見ていた。
「実はこの辺りの本は奥様のものでして。この国由来のものだけでなく諸国の童話や寓話が多く収められています。訳用の辞書も共に」
そう続けられた言葉の通り、書籍は使用言語ごとに分類されており境界として辞書が置かれている。
「勉強はお嫌いではないんですよね?」
「はい。外つ国の物語にも興味があります」
「予想が当たってよかった」
翻訳が為され、母語になった物語も訳者の技量が伺えて好むるところではあるが、手間をかけて文意を探り意味を当てはめていく時間もパズルを解いているようで心が穏やかになる。
読み進めていく内に最初に推量した意味とは全く違う物語の全容が見えた時の達成感はたまらないものがある。
「君のことを朝な夕な考えた結果です。答え合わせができて何よりです」
その言葉と共に唇が弧を描く。気を抜くと表情が抜ける彼が笑うと、こちらの心臓が跳ねる。
このストレートさ、ネルフィナ様に通ずるものを感じる。
「ですが流石に店内で訳述ができるほどの技量は無いのですけれども……」
不自然でない程度に胸を押さえ不安を問う。勉強は嫌いではないけれど、弟のような頭脳があるかと問われれば答えに窮す。
「カウンターの近くにある帳簿に本と自分の名前、住所を書けばひと月借りていってもいいんです。延長したくなれば、また店に訪れて帳簿を書き直せばいい」
性善説に則っているというか、なんとも大らかなルールだ。
「超過すれば店主が職人街の親戚を引き連れて訪ねてきます。絶版本は持ち出さないように徹底しているので今のところこのやり方で問題ないそうです」
行使できるだけの実力も備わっているようだ。
「それなら安心ですね……?」
「ええ。不届き者がいないとも限りませんから」
真面目な顔をなさるヴァル様だが、どこかズレているところに再びネルフィナ様を幻視した。
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