第十五話

「会議を始めましょう」


 フェルナータ邸の一角。三人の貴族令息、令嬢が顔を突き合わせて円卓を囲んでいた。銀の妖精、お伽噺の王子、叡智を振るう賢者めいた彼らが声を潜めて語り合う。


「姉上とランヴァルド様の仲は良好。お互い憎からず思っておりますし、感性も近いものがある。この上なく申し分ないと言っていいでしょう」


 眼鏡の奥の菫の瞳がいつになく輝き、口数が増える少年は普段の端麗さが形を潜めていた。


「当家の困窮から結ばれたロベルと姉上の婚約はまだありますが、私の稼ぎも将来的には悪くないものになる」


 十五の現在で城勤めをはじめ、出世頭のランヴァルドの側近として出仕しているエルクは将来有望といって差し支えない俊英だ。領地経営に追われるフェルナータ伯が危惧するほどフェルナータ家の財政はそう悲観するものではない。

 姉に似て華奢な顎の前で指を組む少年の肩を金の青年が宥めすかすように軽く抱いた。


「まあいざとなったら、ランもまとめてうちで拾うよ。あいつの母君の実家との交易も面白そうだ」


 ドワイト領は紡績業が盛んである。建国神話にもドワイト領に位置する河原で布を水にさらす乙女たちの話が編纂されている。

 その神話もあってか彼の領では綿花の栽培、生糸の生産、牧羊が盛んに行われ様々な織物を特産にしている。


「機織り、興味ありますね。細かい作業は好きです」


「私は苦手。エルク、私の式用のベールでも作らない? オーガンジーにレースを縫い付ける。工程を聞いただけで目眩がするわ」


 淑女として一通りの教育を施されているネルフィナだが、適性があることと興味が向くものは違う。

 彼女は一歩ごとに落馬しかける乗馬や防具すら着けることがままならない剣術を好むし、本物と見紛うコルネアを刺すことができる刺繍をひどく退屈に思う感性を持っていた。


「そういえばお二人の結婚式は、いつになるのでしょう」


 ベールの話を振られ、エルクは思い出したように結婚式の日取りを尋ねた。

 実際この少年の頭の八割を占めるのは姉の困り顔なので疑問が出ただけ重畳といえる。


「会場を押さえてしまえばあとはどうとでもなるのだけれどね。招待客へのこだわりはないし」


「極論うちとアーネスティアにザスマン。あとは君ら姉弟さえいれば俺としては文句なし。学友共にネルの晴れ姿はもったいないくらいだ。……持てるものこそ与えなければってのは嘘だよ。俺は爪の甘皮ほども与えない」


 そう語るキーファの目は翠玉の輝きを保ちながら洞を想起させるものだった。

 そんなキーファを咎めるようにネルフィナが彼の唇に繊麗な指先が宛がう。


「狭量な私の恋人。私の晴れ姿を国中に広めるくらいはなさらないの?」


「すまないね俺の月。憐れな男に慈悲をくれないだろうか」


 戯曲じみたフレーズを交わした黄金の貴公子と白銀の妖精たちを気にもせず、少年は続ける。


「何はともあれ、本日は姉上たちのデートです。そのお陰で大手を振ってこの会合を行えている」


 少年の肘をついて紅茶を啜るというマナー違反を指摘するものはいなかった。最も少年は常に謎の風格を醸し出しているので外で行っても咎めるものはいないだろうが。


「今までは手紙を回しての打ち合わせだったからな。あれはあれで諜報員染みていて面白いんだが」


「何の変哲も無い茶封筒の中に、新装開店のチラシと見せかけて手紙を入れるお遊びはもう一度やりたいわね」


 家令に迷惑をかけぬよう、予め言い含めてあるので戯れ以上のものはない。彼ら三人は幼少期からこの手のいたずらには事欠かない。


「そういえば、肝心の二人は? 出かけるとは聞いたけれど」


 現時刻、午前十時。屋敷にエリエスの姿はなく逢い引きにしては早い出立である。


「王都西部に行くと聞いています」


 エルクの答えを聞いた途端、ネルフィナとキーファの顔が歪む。


「王都西部というと……」


「答えはひとつしか無いじゃない。正気?」


「姉もああいった物は好んでいるんですよ。その分野に関しては僕も舌を巻きます」


 誰ともなく三人、目を合わせ紅茶をあおる。


「俺たち三人とも、現実主義者というか歴史浪漫には心惹かれないからな……」


「今私がここに生きている現在が最高に素晴らしいのに過去に目を向けられても……」


「ネルフィナ様のそれは何か違いませんか? ……そろそろお開きにしましょう。お二人はこれからランチでしょう?」


 エルクの言葉で空になったカップが円卓の上に戻される。三人とも食の好みが違うので茶請けなどは出されていない。


「その通りだけど、別にあなたも来て構わなくってよ? 夕方からのオペラはあなたの椅子を用意すればいいのだし」


 侯爵家の令嬢令息ともなれば個室が用意される。狭い場所でもないので椅子を一脚用意する程度のことは我儘にすらならない。


「有り難いですが秋の収穫に向けての打ち合わせがありまして。昼過ぎには領に向けて発つ予定です」


 フェルナータ領は王都から南西に馬車で半日ほどの場所に位置しており、話し合いが恙無く進めば二日後にはまた王都に戻ってこれる計算だ。


「君も大概仕事人間だなあ。ランのことは言えんぞ」


「今だけですよ。もう少しすれば母や女性陣が仕切る冬ですし」


 食料や財産などの備蓄の管理、手仕事の陣頭指揮は女主人の役割である。普段は娘のエリエス同様控えめなフェルナータ夫人もこの季節は人が変わったように采配を振るう。


「毎年の恒例行事よりも姉上の恋模様です。なんてったって僕らは今を生きていますから」


 エルク・フェルナータ、十五歳。歴史への目覚めはまだ遠い。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る