第十三話
一通り踊り終えた後、人気の無い北側のバルコニーに二人で引っ込む。少しホールから距離はあるがガラス張りの開き戸は開け放たれており疑惑を差し挟むような余地は無い。
「風が気持ちいいですね」
濃灰の髪をなびかせながらランヴァルド様が言う。常であれば項の辺りでゆるく結んでいるのみだが、少し高い位置の結い髪が新鮮だった。
夜風は乾燥しておりダンスの余韻たる熱気をさらってくれる。
「それはそうとヴァル様。いくらエルクが無理なお願いをしたからといって無理に私を褒めなくてもいいんですよ?」
少し交友を重ねただけでも彼が優しい人だということは分かる。だからこそ、この疑似恋愛などというふざけた取り組みにも真摯に向き合ってくれているのだろう。
「……謙遜は過ぎると誰も幸せにしないものですね」
伏せられた臙脂の瞳がやるせなさを映す。
「エリス。君を美しいと感じた僕の心を受け取ってはくれないんですね」
虚を突かれたように立ち尽くす。
そんなつもりはなかった。けれど、私はどうしても自分が美しいとは思えないのだ。
「君が僕の感情を無下にしたくて言っているのでは無いことは分かります。それでも堪えるものがあります」
胸元で両手を握りしめる。ランヴァルド様の声に責めの色が無いことが余計に私を追い詰めた。
「何があなたをそうさせるんですか」
光源の少ないこの場所でも分かるほどに真っ直ぐ見つめられている。
そんなことはありません。あなたの気のせいですよ。
そう言ってしまえばランヴァルド様もごまかされてくれる。言えばいい。それでこの夏が終わればきっとエルクの悪ふざけもひと段落がついて、会うこともなくなる。差し障りなく関係が終わる。
「……エルクから昔の話を聞いた。と仰っていたのでご存知かと思いますけど。私、以前はもっと物怖じしない性格だったんです」
御為ごかしを口にするはずだった。私もこの人も傷付かないように、表面だけの関係をなぞるつもりだったのに。
気付けば昔話を話し出していた。
「エルクの方が泣き虫だったくらいで。領地にいた頃はあの子たちの手をひいて冒険ごっこをするのが好きでした」
けど、それも長くは続かなかった。領地から出ると、この赤髪はたちまちに衆目を集めた。
「私だけ変わってしまいました。人の目線に怯えてこんな性格になってしまいました」
とどのつまりは。
「私は他人が怖いんです。私を愛してくれる人たちの言葉が意味をなさないほどに」
それがどれだけ不毛なことか分かっている。
自分を興味本位に傷付ける他人より、大切な人からの言葉を胸に抱くべきだった。きっと私は最初から間違えた。
昔語りを終え、息をつく。夏なのにひどく指先が冷える。普段は口が重いくせに、どうして今日にかぎってこんなことを。
「変わることが必ずしも悪いことではないと思いますよ」
ゆっくりと言葉が紡がれる。私を傷付けないために、一音一音が優しかった。
「極端なことを言えば、あなたが物怖じしない性格のままだったら幼なじみのパレルモ氏と上手くいって、僕とあなたは出会うことがなかったかもしれません」
首を傾げながら、顎に指を添えながら物語りは続いていく。濃灰の髪がさらさらと動きに合わせて流れていく。
「怖いことがあって、変わってしまった自分を愛せなくとも誰かに許しを請う必要はないんです」
変わらずにいるなんてこと、人間には不可能ですから。
そう続けるランヴァルド様の感情を見通すことはできず、やっぱりこの人は私よりも年上の、立場のある方なのだと強く感じた。
「同じところに留まるには、全力で走らなければならない。異国の物語の一節ですが、全速力で走って位置が変わらずともそこに残るのは消耗しきった己だけです」
単純な言葉遊びだ。真理の一面を照らし出していても、それが真ではない。変わらずにいれる人も世の中には確かに存在する。
「反証にはお互い心当たりがありますが、目をつむっていてください。長々話しましたが、僕は以前の勇敢なあなたを知りません。でも、今のあなたをとても好ましく思っていますよ」
虚を突かれた心地になる。そんなはずはない。こんな辛気くさい女、エルクの頼みでなければ一緒にいてくれる人なんていない。
胸の前で両手を握りしめる。
「嘘です。いくら考えても、私のような人間を好くはずがありません」
「どのようなものでも、考えを巡らせ続ければ欠点ばかりが目に付くものです。美点すら瑕疵になってしまう」
寡黙は無愛想。理智は頭でっかち。情熱の赤は魔女の髪。
「エリス、君は自分のことについて考えすぎています。だから、まずは別のことを考えましょう」
手を取られ、目線が上を向き、臙脂と菫が交差する。
「その間、あなたのことについては僕が考えます。そして、あなたの素敵なところも、ちょっとどうかと思うところも言葉にします。だから自分を嫌うことを休んでください」
わけ知らず、涙がこぼれる。心の杯にあたたかなものを注がれたようだった。
「……きっとあなたも私のことを思い尽くして嫌いになりますよ」
「では、どうかそれまで傍に置いてくれませんか」
残酷な人だ。私のことを嫌いになるために傍にいようとする。それが明日なのか、もっと先の話なのか私には分からない。
今この時からその瞬間を怯えながら待つことになってしまった。でも、彼の臙脂色の中にわずかな間でもこの赤髪を映しこんでくれる瞬間があるのなら、私の人生はそれだけで生きていけるかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えながら、気付けば了承の言を口にしていた。
しろがね色の星月夜。愚か者の過ちは月の輪だけが知っている。
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