第十一話
夜会に出るのはしばらくぶりだった。
午前の内からの準備には流石に人手がいるのでアーネスティア家のメイドに何人か来てもらっている。
数日前にドレスを決めれば、着飾る本人が当日に行うことはない。流れに身を任せ、心を殺すのみだ。
「カレンさん、打ち合わせの時にあったアクセサリーは?」
「あれはエルクさまがお嬢様のために集めたものなので、保管場所が違います。ただいまお持ちします」
「先に湯船に浸かっていただきますか?」
「その前に軽食を。お嬢様は空腹時にコルセットを締めると、締まりすぎて気を失いやすいんです」
気絶はかよわい乙女としての嗜みだが、今回の夜会で気を失うわけにもいかない。渡されたサンドイッチを摘まんでいく。
「……ねえカレン、ほんとに髪を下ろしても見苦しくないかしら」
「おろすと言っても癖の強い部分はおまとめするんですから、大丈夫ですよ」
「でも、左の横髪はそのままにしておくのでしょう?」
「今お悩みになられても、変更はききませんのでご了承くださいませ」
どうして私はこの髪型を了承してしまったのか。考えても思い浮かぶのは白銀の妖精の愛らしい姿だけだった。
夜会の会場はかつて使われていたトリシア離宮だ。数代前の王の御代、継承権を持たぬ王弟が暮らしていたとされる場所である。
当時としても古式ゆかしい造りを王弟はひどく気に入り、己の好む調度品や芸術作品で飾り立て、長くも虚しい生涯の慰めとした逸話が残っている。
まあ今となってはもっぱら、天井の高い開けたホールがあることから夜会や式典の会場になっているのだが。
そんな益体もないことを考えながらアーネスティア家所有の馬車に揺られ、若干の胃の痛みとともに会場に向かう。
はす向かいにはエルクが座り、我が家の帳簿と睨めっこをしていた。
「エルク。勤勉で倹約家な弟を頼もしく思いますが、会場で当家の窮状をうっかり洩らさないようになさいね」
「ご安心を姉上。表紙を貼り替えて今流行の騎士物語風にしました。今から紐で固く結んで中身は見えないようにしておきますので。会場で落としてもご安心ください」
「気遣いの方向が迷走するのはどうしてなのでしょうね……」
そもそも馬車に帳簿を持ち込まないでほしかった。
「実際活字より手書きの数字の方が癒やされませんか? ほら、ここの数字を見てくださいよ。間隔が詰まりすぎて十の位と百の位が混ざって残りの計算が台無しですよ。その時点で気付け僕」
弟はもうだめかもしれない。若いうちから苦労をかけすぎたせいだろうか。
「こんな完璧な僕でも失敗しますが特にひどい目には遭っていないので、姉上も今日の夜会は楽しんできてください」
「エルク……」
もしかしてわざと間違えた帳簿を使って私をなぐさめてくれたのだろうか。
「あ、これはガチです。幸いにしてさっき家を出る前に気付きました。今日の内に書き直して朝一番で早馬を出して領地に届けさせます」
緊張は吹き飛んだが、代わりの悩みで胃は変わらずにキリキリと痛んだままだった。
朝早くに叩き起こされる馬と御者のことを思いながらも馬車は順調に会場へ向かっていく。
さほど遠方でもない会場なので、そうこうしている内にトリシア離宮に到着した。弟に手をひかれながらホールへと歩みを進めていく。
ヴァル様とネルフィナ様は夕の入り頃に屋敷を発つと言っていたので、おそらくもう既に到着していらっしゃることだろう。
本当はこちらが早めに着いてお待ちしたかったのだが、迷惑をかけているのはこちらなのでどうか気を揉まずゆっくり来てほしいと言い含められてしまった。
そのときの”こちら”の言い回しに線を引かれた気がしてしまって、ささくれ立った心には気付かないふりをした。
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