第七話

 公園は快晴と言うこともあってあちらこちらに日傘を差したご婦人や帽子をかぶった紳士が見えた。

 だが人々の目当てはこの時期が見頃のアイリスのようで、コルネアの花壇には人影が見当たらなかった。

 コルネアの花は多年草で乾燥した空気を好む。温室でも育つが、屋外で育てた方が茎が太くなり花の色も鮮やかになる特徴を持つ。


(人がいなくて良かった)


 いくら日傘を差していても赤髪は目をひく。不躾に眺めてくるような人は滅多にいないが、思わずといったように見られることも自分にとっては耐え難かった。

 穏やかに花を楽しもうとかがんだところで、不躾に声をかけられた。


「うららかな公園に似合わぬ赤頭。エリエス、エリエスじゃないか」


 うんざりするほど通る声が公園に響いた。


「相変わらず君は陰気だ。少しは流行に通じた方がいい」


 心臓に鉛を詰められたようだった。

 ロベルは穏やかな男だ。他の商家出身の男性に比べればよっぽど貴族のように振る舞うし、感情の起伏も緩やかだ。

 子供嫌いでもないし、金遣いが荒いわけでも無い。歌劇が趣味だが自分が自由にできる範囲の金で楽しんでいる。

 学園の貴族子女にも人気なようで、パレルモのご長男に関しては好意的な噂話をよく耳にする。

 それでも私たちはお互いを尊重できない。ロベルは年を経て穏やかになった私の気質を。私はロベルの流行に敏感で直情的にすぎる性分をどうしても受け入れることができない。


「……ねえロベル。妖精を探し当てたらどうするの?」


「うん? そうだね……あれほど美しい方だ。きっと婚約者がいる。残念だが恋人にはなれないだろう」


 人の話を切るような喋り方はマナー違反だ。けれどロベルは気にした風もない。関心の欠片もない婚約者相手だからなのか、かつての友好の残骸か私には判断できなかった。

 これでもこの男は婚約というものを理解している。パレルモ家に足りないものは家格のみで、それを補うには私との婚姻が必須であることを分かっているのだ。

 エルクは大層立腹してロベルを問い詰める気であったけど、それは止めた。

 外聞は悪いが、現状ロベルに明確な瑕疵はない。


「それでも見つかるまで探すとも! 君と結婚するんだ。それぐらいは許されて然るべきだろう?」


 ロベルは声が大きい。舞台に立つ役者のように声が響く。

 アイリスの咲く人工池にいる人々の視線がこちらに向くのが感じられた。

 彼には配慮が足りないだけ。きっといい主人になるはず。いつかは変わってくれる。

 そう言い聞かせて、五年という歳月が息つく間もなく過ぎていった。


「おや、そろそろメノイ座の新作歌劇の開演時間だ。無趣味の君には理解しがたいだろうが、僕はこれで失礼するよ」


 広場の大時計を確認すると、そう言い残してロベルは去って行った。

 日陰に置かれた長椅子に移動して息をつく。体中の血が水銀に入れ替わったみたいに重い。 


「エリス? 気分が優れませんか?」


「……ヴァル様?」


 あまりにも参ってしまって、ついにランヴァルド様の幻を見るようになってしまったのだろうか。


「日陰にいても、手袋で肘まで覆ってしまえば熱が逃げませんよ」


 指摘されるままに二の腕で結んでいたリボンを解き、手袋を外す。火照っていた肌の上を風が撫でていく。


「今、飲み物を持ってこさせますから、少々お待ちください」


 従者の男性に言付け、ランヴァルド様がベンチの隣に腰掛ける。間にもう一人が座っても充分余裕があり、なんとも常識的な距離だ。


「エリスは散歩ですか? この時期ですと、アイリスでしょうか」


「いいえ。アイリスも見事ですが、今日はコルネアのつぼみを見に来ました」


 引っ詰めた髪の中に熱がこもっている気がする。髪の量が多いため、ただ纏めただけでもその厄介さからは逃れられない。

 これだから夏は嫌いだ。


「……ヴァル様は、夏がお好きですか?」


 花のことを話していたはずだったのに、口をついたのはそんな疑問だった。

 幼子のような唐突さに恥じ入っていると、ランヴァルド様は気分を悪くした風もなく、質問に答えてくれた。


「……この国の夏は渇いていて、他国に比べ過ごしやすいとは聞きますが。それでもいささか、僕には暑いですね」


 北方に峰を抱き、地下水資源が豊富なため水不足に陥ることはないが、西方の砂漠から吹く風のせいで一年を通して乾燥しているのがこの国だ。


「僕は九つまで、母の国で暮らしていました」


 ランヴァルド様は、幼い頃の思い出を聞かせてくれた。


「身体が弱かったので、空気の澄んだ場所で暮らす方がいいと預けられていたんです」


 西方からの風が強い日は、砂も一緒に運んでくる。身体の弱い子供にとって良い環境とは言えないだろう。


「母の生家は国の中でも南でしたので、見ることはありませんでしたが、季節によっては極光……ベールのような光の帯を夜空に見ることもあると聞きました」


 絵巻物のような異国の話は、灯火のように心を明るくしてくれた。

 紺碧の夜空をたゆたう光の帯。強く発光しているのだろうか、それとも油彩に色をのせたようなものだろうか。想像は尽きない。


「ご歓談中、失礼します」


 従者の男性が二人分の飲み物を持ってきてくれた。


「ありがとう。……桃とシトロン、どちらがお好きですか?」


 さっきのぼんやりした問いかけと同じ調子で尋ねられ、少し恥ずかしくなる。


「思ったより意地悪な方だったのでしょうか、ヴァル様」


「普段はキーファやネルフィナ、三人の姉たちにからかわれ通しですから。たまにはと思いまして」


「私だってエルクやメイドにからかわれてばっかりなんですよ」


「では、今度は僕をからかってください。それでお相子です。それよりも、飲み物はどちらにしますか」


 かけられた声に、はっとする。いつまでも彼の手に飲み物を持たせたままにしてしまっていた。


「シトロンをお願いします」


 受け取った飲み物は意外なほど大きくて、両手でなければ取り落としてしまいそうだった。


(ランヴァルド様が持っていたときは片手で掴んでしまえそうなほどだったのに)


 それほど身体の大きさが違うということなのだろう。手渡されたシトロンの飲み物を口に含む。


「……美味しいです。香りが清かで、飲み心地も良くって」


 ジュースではなく、果実そのものを使っているのか、香りが強い。ストローで吸い上げると果肉の粒まで感じられた。

 美味しいものは好きだ。穏やかな日々に彩りを加えてくれる。


「お気に召していただけて良かったです。僕もこの店の品は気に入っているんです」


 そう言ってランヴァルド様は楽しげに桃味の飲み物を召し上がっていた。

 今更だけれど、桃は男性が召し上がるにしては甘すぎただろうか。つい、自分の好みを優先させてしまった。


「以前屋敷に訪ねた際の手土産も、この店から選ばせていただきました」


 僕は甘いものに目がなくて、と続く言葉に安堵する。


「この時期は果物を使ったパルフェが本当に絶品なんです。氷菓を使っているし、高さがありますから持ち帰りには不向きなので、店の奥にある併設のカフェでしか食べることができないのが難点ですが」


「氷菓の入った果物のパフェですか。とても、美味しそうです」


 屋敷で出される焼き菓子も美味しいが、冷たいものは滅多に出ることがない。

 食品や建物を冷やすのに使える魔石は他国からの輸入品に限られているため、個人で手に入れることはできない。

 何でもないように話題に出された菓子舗だが、きっと名のある名店なのだろう。


「では、是非今の内に。夏が暑いのに、盛りを過ぎればあっという間に冷え込んでしまうのがこの国ですから」


 夏が過ぎれば、乾いた秋と冬がやってくる。四季があるとは言われているが、あくまで暦上のもので春の雨が訪れるまで灰色の日々が続くのだ。


「来年にでも伺いたいです。きっとそのような名店では一見者では気後れしてしまいます」


 気が弱く、気にしなくてもいい些細なことまで気に病むのが自分だ。初めて訪れた店では店員に声をかけて奥のスペースに向かうことすら気後れしてしまうことだろう。

 度胸のある弟と共に訪れることも考えたが、エルクは根っからの辛党で菓子の類いは一切口にしない。年頃のせいもあって年嵩の方から甘味を渡される時もあるが、私にそのまま横流しにしているほどだ。


「付いてきてほしいと言えば弟は来てくれるでしょうけど、あの子は果物の匂いすらあまり好ましくないようなので」


 忙しい子なのだ。せめて休日には好きなことをしてほしい。

 その後、御者が時間を告げランヴァルド様と別れる。ロベルによって乱された心も落ち着き、午後は穏やかに過ごせそうだ。


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