第四話
「本当に申し訳ありません」
庭のガゼボにたどり着くやいなや、大きな体を丸めた謝罪をされた。
「夏期休暇中の令嬢のお宅に大の大人が押しかけているだけでも申し訳ないのにあまつさえ貴女を放って常のごとくのやりとりまで……」
「気になさらないでください。楽しいお話を聞くことは好きなんです、私」
ロベルの楽しくない話は御免被るが。
頼んでいた給仕がガゼボにお茶を運び直してくれる。夏とはいえ日陰は涼しく、風は強い。これならお茶も美味しくいただけそうだ。
「それより、驚いたでしょう。あのエルクの姉がこんなにだんまりだなんて」
昨今の貴族社会では男性も女性もウィットに富んだ会話のできる人物が好まれる。物静かな人物は、一昔前の保守的な貴族像を想起させるとしてあまり人気ではない。
ロベルが私を年寄り扱いするのも、そういった風潮に起因するのであろう。
「いえ、姉弟でバランスがとれているんだと思います」
「そう言って頂けるとありがたいです」
なんというか、優しい方だ。手土産のお菓子や穏やかな雰囲気。エルクやドワイト様の悪ふざけを諫めてくれる真面目な性格。
(このような方が夫だったら心穏やかに過ごせるのでしょうね)
社交界で浮名を流す華やかな性格ではないが、側にいる人間を落ち着かせてくれる。
「ランヴァルド様とドワイト様もお互いの長所を伸ばし合っている、とてもいい友人関係だと思います」
世間では社交界の華キーファ・ドワイトとその友人という位置づけの二人だが実際の二人に会ってみると互いを認め合う対等な友人であることが深く感じられた。
やはり噂というものは当てにならないのだなと思った。
「ありがとうございます、エリエス様」
微笑まれると、細まった臙脂色の瞳に光が差した。それが思いがけず幼くって、落ち着かなかった。
「エリエス様は今現在、学校に通われているんですよね? 王都の西側にあるセザンナ校でしたか」
「はい。よくご存知ですね」
以前は各家庭で家庭教師を雇うことが一般的だったが、近年は教育の均一化のため、十五歳以上の貴族子息子女は、習熟が早く国の認定試験を合格したもの以外は王都にいくつかある学校に通うことが一般的になっている。
弟のエルクは十四で認定試験を合格し、現在王宮でランヴァルド様に付いて仕事を覚えている最中だ。
「実は、エルクからあなたの話を聞いているので、少しは様子を知っているんです」
「本当にあの子は……」
いくらでも回る口があるのに、話すことが姉のこととは。
「とても微笑ましい話を聞かせてもらいました」
「見当がつかなくて、とても恐ろしいのですが……」
「彼の物心の付いてから、十二年分ほどの思い出とお二人のやんちゃを。この一年間で随分と」
「……頭が」
あの子は本当に何を。未婚の姉について嬉々として他家の男性に聞かせるのは本当にどうかしている。
ましてや幼少の頃など、私が一番無鉄砲だった時期ではないか。
「自慢の姉だと常に言っていましたよ。優しく、聡明で公平なのだと」
「機会があれば弟の口を縫い付けます……」
穴があったら入りたい。いや、先に弟を埋めるべきかもしれない。
庭の片隅にでも掘ろうか。小さな屋敷だがそのぐらいの余裕はある。
「それでも僕はあなたについて詳しくは知りません」
ランヴァルド様は庭の木立を眺めながらそう言った。
「もう少し、お互いについて知りませんか。奇特な友人を持つ僕と、破天荒な弟を持つあなたなら、きっといい友人になれると思うんです」
風は強く吹いている。木々から何枚か葉っぱが飛んでいく様子を目で追うこともできず、臙脂の瞳を見つめる。
「あなたのことを、あなたの言葉で教えてください」
木立に向けられていたはずの眼差しはいつの間にかこちらを向いていた。
「……ええ。よろしければ」
気づけば了承の言葉が口をついていた。
「なんだかおかしいです。エルクやドワイト様の差し金なのに、きちんと仲良くなってしまいましたね」
「この年になると友人ができるのは久しぶりです」
「私もです。お恥ずかしながら、学校には友人がいないんです」
「理由をお聞きしても?」
引っ詰めた赤髪が視界に入らないことが私にとって幸いだった。少しだけ勇気が出る。
「……なんだか遠巻きにされてしまって」
入学して二年目になるが、未だに親しい方はいない。
「私表情が固くって、弟のように口が回るわけでもありませんし」
避けられる理由を聞くのも怖くて、直接聞けたことは無い。
「友人は得難いからこそ大切なものです。僕もキーファがいなければ一人で過ごしていたでしょう」
重圧を与えないためか、下から伺うように話しかけてくださるランヴァルド様の様子が、かわいらしかった。
「ランヴァルド様、私臆病で内向的ですけれど、男性が怖いわけではないので、そんなに気を遣っていただかなくて大丈夫ですよ」
八つ上なのに、どこか少年のような人。
「なんというか、周りにエリエス様のような落ち着いたものがあまりいないので、つい畏まってしまうのです」
姉やネルフィナ、母や親戚連中もきっぱりした性分なのだとランヴァルド様は続けた。
「僕は父似なんです。高い背丈は母譲りですが、性格や顔だちは父の若い頃によく似ているそうです」
姉たちは母そっくりですがね。と笑みを含んで続けられる。
「この風貌のせいか遠巻きにされることは多いですが、この出会いも何かの縁です」
やわらかい風が吹く。頬をなでるように、髪を遊ぶように。あの人の言葉を私に届けるために。
「どうか、気軽に呼んで頂けませんか?」
友好的な関係への第一歩。愛称でお互いを呼ぶ。恋人同士でなくともある程度親しい友人なら馴染みのあること。これはそのことへの誘いだろう。
気恥ずかしさはあるが、何せあのエルクの姉である。かしこまられても申し訳なくなる。
「呼ばれたくないものはありませんから。エリーでもエルでも好きなものを」
いっぱいいっぱいになりながらそう返す。十年ほど前、まだ舌っ足らずだった弟に至ってはエーと呼んでいた。
「では、エリスとお呼びしても? 僕のことはヴァルと呼んでください」
掬い上げるように右手を取られ、伺いを立てられる。ロベルにやられると腕の角度だのドレスの押さえ方を指摘され横隔膜や足の腱が引きつりそうになるが、それもない。
「はい。ヴァル様」
自然、己の頬が緩むのが分かった。エルク以外の前で笑うのはいつぶりだろうか。
(とても破廉恥なことをした気がする)
帰りの馬車の中、ランヴァルドは己の失態を振り返っていた。
手を握ってしまった。許可も得ずに八つも下の少女の手を。
(あまりにも寂しげで、放っておけなかった)
破天荒な弟を持ったせいで落ち着かざるを得なかったのだろうが、まだ学舎に通っている年頃の令嬢である。
頼む、時を戻してあの瞬間の軽薄な僕の口を縫い付けてくれ。
しかし、自分の愛称を呼んで微笑む彼女が輝いて見えたのは紛れもない事実だ。
伏せられた睫毛が、ついと上を向いて瞳が下弦の月のように形取られる様が美しかった。菫色の瞳を縁取る深紅に目が離せなかった。
「で、エリエス嬢と話してみてどうだった?」
斜め向かいに座したキーファが愉快を隠さぬ顔で訪ねてくる。
懊悩の海でもがいていたことを悟られたくなくて目許に力を込める。
「…………」
「流行りの令嬢って訳じゃあないが、むしろ古式ゆかしくお前とテンポの合う女性だったろう?」
「……話の合う子だった。本人は自分に自信が無いようだったが、頭の回転も速い」
「だよな! 最近はそんなお前好みのお嬢さんは滅多にいないからな」
自分の返事に色好いものを感じたのかキーファはご機嫌だ。
何故だろう。その姿に薄ら寒いものを感じるのは。
「……疑似恋愛だよな?」
「ああ勿論。ひと夏の疑似恋愛だぞ?」
何か大切なことを見落としている気がする。
ふと思い出したのは、学生時代キーファがよかれと思って引き起こした数々の事件を己は一回も止められたためしは無かったということだった。
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