第三話

 フェルナータ家のタウンハウスに薄紫の繊細な封筒が届いたのは、ある夏の日の昼だった。

 記されてあった内容は正に寝耳に水で、エリエスは初めて屋敷を走った。


「エルク! あなた、私にっ黙って……ひゅ、とんでもないことをっ」


「私、姉上が走るのを初めて見ました」


「走りもします! こんなとんでもないことをしでかすなんて、どういうことですか。説明なさい!」


 部屋の扉に寄りかかりながらエリエスは弟を問い詰めた。

 大声を出すのも久しぶりなせいか、息も絶え絶えといった風情だ。


「あなたがランヴァルド様にとてもよくして頂いてるのは存じておりますが、それが何故このような……」


「ひと夏の疑似恋愛に繋がるのか。ですか?」


「そして何故そのことに関してネルフィナ様からお手紙が届くんですか!?」


 何もかもめちゃくちゃである。お互い婚約者がいる上に、淡い初恋で済ませられるような年齢でもない。


「ご安心ください。その手紙の通りネルフィナ様から許可は取りましたし、ロベルあんちくしょうからは言質を取っています」


「あなたのこと寡黙で冷静沈着などと称してる人達の前に引き回してやりたいわ」


「はっはっは。姉上、お転婆が過ぎますよ」


「眉ひとつ動かさずに姉を軟派な遊びに興じさせようとする弟に言われたくありません」


 エルク・フェルナータ。領地外では麒麟児、鉄の少年の呼び声高き秀才ではあるが、正体は自身の姉がうろたえる姿を好むシスコンであった。




「初めまして。ランヴァルド・ザスマンです」


 現れた相手にエリエスはとても気後れしていた。


(本当にランヴァルド様が来た……)


 ランヴァルド・ザスマンは侯爵家の末子かつ長男で今年二十五になる青年だ。

 平均的な男性と比べ頭一つ飛び抜けた長身と項の辺りで結ばれた濃灰の毛髪が、以前遠目で見たとき印象に残ったことを覚えている。

 今日は部下の家への訪問ということもあってかいささか軽装だ。


「この度は弟が大変なご迷惑を……」


「いえ、私の婚約者も面白がって許可を出していますので……」


 声色からすら誠実な人柄が受け取れ、このような方に無理を通している現状に目眩がする。

 このまま泡になって消えたい。


「ひとまずお茶にしませんか? 手土産に行きつけのパティスリーからいくつか見繕ってきました」


「ではお茶は我が領地のものを……」


 本当にどうしてこうなってしまったのか。


「ご両人、堅苦しくない?」


「外野としては親密度が欲しいところです。姉上、手とか握りましょう」


 弟と付き添いのドワイト氏の勝手な茶々がもはやありがたい。

 弟のふざけた提案を受けるに当たってエリエスは条件をつけた。突拍子がない上に一度決めたら梃子でも動かないのがエルク・フェルナータの特徴だった。

 であればせめて自分にとって都合のいい条件をつけるしかエリエスには道が残されていなかった。

 その条件の一つが、訪問の際はお互い一名以上の付き添いをつけることだ。いくら自分とランヴァルドにその気が無くとも一組の男女が頻繁に逢瀬を重ねていれば自然とそういう目で見られる。

 幸い現在父と母は領地にある本邸におり、宮仕えや学業のために王都のタウンハウスで暮らしている自分たちが何をしているかは感知することはできない。

 悪あがきだがせめて、せめて弟の付き添いであってやましい関係では無いことを内外に示したい。


「エルク。君は本当に表情筋を裏切る言葉を吐くね……」


「私は口から産まれていますので。知人の前以外では口に板を立てていますが」


「ただの内弁慶を言い換えるのは止しなさい。……ああ頭が痛い」


「まあまあエリエス嬢。このギャップが中々に文官のお偉方にウケているんですよ」


 ランヴァルドが付き添いとして連れていらしたのは彼の親友として有名なキーファ・ドワイトだ。金の髪と緑の瞳が童話に出てくるエルフのようだ。


「一見取り付く島もないのに親しくなると遠慮の無い甥や孫のようだってね」


「僕は君やエルクが高官たちと会話をしてると寿命が縮むよ」


「ちなみにランは馬鹿真面目なせいで私的な用事にはあまり誘われませんね。人付き合いが悪いのは旦那として優良です。家にまっすぐ帰ってきますから」


「僕をオチにするな」


「されないように努めるんだな」


 なんというか、圧倒される。

 会話に加わることもできず、手持ち無沙汰にテーブルの菓子を摘まむ。


(あ、美味しい)


 クッキーの間にクリームがたっぷり挟まっているので重めの口当たりを予想していたが、クリームに混ぜ込まれた洋酒を含んだドライフルーツが後を引く美味しさに仕上げている。


(うちのお茶も悪くないけれど、このクリームを引き立てる素朴な味わいの茶葉がいいかしら。それとも風味に負けない飲み物の方が……)


 でもちょっとだけ食べにくい。いくら丁寧に啄んでも欠片がぽろぽろクロスに落ちてしまう。


(いっそ一口で……でも行儀が悪いわ)


 しかしクリームとクッキーが渾然一体となった瞬間、きっと得も言われぬような味が広がるのだろう。


(試したい……)


「お気に召しましたか」


 かけられた声で意識が戻ってくる。

 私は一体何を。お客様の前で菓子にかまけるなんて。


「申し訳ありません。呆けていました」


「いえ。美味しいお茶とお菓子は心を落ち着けますから。友人とはいえつむじ風を連れ込んだ僕こそ申し訳ない」


「俺をだしにするとは、ランも育ったもんだ……」


「生まれ年は同じだが一応学年は下だったんだよ君は!」


「まあ。ドワイト様とは学舎でお会いになったんですか?」


「ええ、王立アカデミーで。始業日に主席入学者の彼を生徒会で二年だった僕が迎えに行ったのが縁ですね」


「主席の通知が来たときは人生で一番やっちまったと思いましたね。あらかじめ台本があるとはいえ挨拶なんざかったるいのなんの! フケようとしたら開式5分前にランに見つかった次第です」


「主席の栄誉に砂をかけますねえ」


 噂通りの破天荒な人柄が今の話と語りで察せられる。


「まあ肩慣らしはこれくらいにしてランヴァルド様と姉上は庭でも散策してきてください。私はキーファ様と茶をしばき直します」


 弟も弟で砕けすぎである。記憶が確かなら彼らとは十歳ほど年が離れているはずなのだが。


「ところでいいブランデーがあるんだが、気付けに少し入れないか」


「いいですね。カーッとなるやつを景気付けにお願いします」


「家の中とはいえ十五歳に飲酒を勧めるんじゃないよ! エルク、君も乗るな!」


 まあ無軌道に見えてちゃっかりしているのが我が弟なので、気の合うドワイト様もこれで手堅いところがあるであろうことをエリエスはそっと推測した。

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