暴怒女
「はぁ、はぁ、ゼェゼェゼェ…」
アイは全速力で逃げた。靴は脱げ、足の血豆から鮮血が垂れだし、息をする暇もなく絶え絶えとなっている。
日はすでに落ちかけ…彼女の虚な目にグラグラと浮かぶのは、紅色の夕日と真っ暗な暗闇だけだった。遂にはその場で跪き、激しく嘔吐する。この世のものとは思えない者との遭遇…それは彼女の日常を壊すには充分過ぎた。
しかし、それだけではない…彼女の虚な目には闇が映っていた。奇怪なことに…それは蜘蛛足の化け物よりもゆっくりとした速さで、それも一歩一歩を着実に歩むようにして迫ってきていた。
「お、おい!君…大丈夫かい!?」
愛菜が上を見上げると、そこにはこちらを覗き込む一人の男性警察官がいた。
「すぐに救急車を呼ぶからね…!!うおっ!足も血塗れじゃないか!!」
彼はすぐさま愛菜を担ぎ上げ、道路の道端に立てかけるようにして座らせる。
「そのまま安静にしててね…もう大丈夫だから」
真っ青な顔で小刻みに震える少女を一人の警官は優しくなだめるように声をかける。しかし、もうそれどころではなかった。
愛菜は必死に顔を横に振っていた。何故ならば…彼の背後から死が迫ってきていたからだ。
次の瞬間…愛菜を追ってきていた化け物の触手が警官の背骨を貫いた。『バキバキィ』と言う音と共に血飛沫が飛び散り、それが愛菜の全身にかかる。
「ゴバァァ……」
内臓が一気に貫かれ、口からも血飛沫が飛び散る。その血飛沫で愛菜の視界は紅く染まった。
「ジャマァだよ…虫ケラ」
化け物が腕のような触手を体から引き抜くと、警官はその場に倒れる。既に灯火は消え亡骸となっていた。
「ドケヨ邪魔だなぁ。まぁ…イイや」
その時、愛菜の中で何かが切れた。
「ふざけるなよ…」
愛菜の物静かな声に、化け物は物早に返す。
「ウン分かるよ…怖いよネェ。心配ないよ、すぐにキミも…」
「黙れよ!化け物!!!!」
アイは喉から出せるありったけの声で叫んだ。それまで悠長に喋っていた化け物も、彼女の叫びに思わず言葉を詰まらせる。
「昨日気絶させられた時…アンタが私に何をしたかは分からない、分かりたくもない。でもそれ以上に…アンタは私とは無関係の人までも手にかけた。フザケナイデ…この虫ケラぁ!!」
彼女はゆっくりとその場から立ち上がった。結び目が解け、だらんと下に垂れ下がった長髪の隙間から、少女は警官が身につけていたある物に目をつける。そして…ゆっくりと警官の方に近づくと、それを片手に持っていたスタンガンと一緒に手に入れた。
「ムダだよ、抵抗しても。僕ミタイナ失敗作とはイエ、今の君のじゃあ僕には勝てない」
「一体あんたらは何がしたいの…?私達をこんなにも傷つけて何がしたいの!!!!?」
愛菜は化け物に必死に言葉を振り絞る。
「へぇーシリタイ?教エテあげるヨ…それハね」
すると、愛菜はバケモノの話を遮るように愛菜は手に持っていた物を構える。それは警察官が持っていた一丁の小型拳銃だった。
「もういいよ、さっさと死んで…化け物」
愛菜は引き金を引いた。弾は空を抜け、化け物となった男の脳天を貫いた。ウチガラヤッキョウが血が浮かんだ水溜まりにカランと落ちる。
彼女のボサボサの髪から銃の照準に向けて、おおよそ少女ものとは思えない血眼が化け物を覗いていた。
「へぇ、コモレビアイナ…流石モトになっただけはあるヨ。でもムダだよ…君はボクに勝てナい」
蜘蛛足を生やした化け物となった男は、自身の眉間を貫かれていてもなお平然としていた。
だが、愛菜の視線はある一点へと狙い定まったままだった。
「コレは
愛菜の意識はそこで途切れた。
————————————
「よぉ…オリジナル。腰が抜けて気絶しちまったってか?随分と腰抜けだな」
彼女が目を醒ますとそこは昨日と同じような水の中だった。そして、目の前には自分と全く同じ姿身なりをした少女が立っている。
「貴方…やっぱりわたしだよね?」
愛菜が水中でそう呟くと、どうやら相手にもそれは聞こえていたようであった。彼女と向かい合っている少女は、腕組みをしながら睨むような目つきで答える。
「あぁそうさ…私は
「えっと、つまり…?」
「交代だ。オリジナル…」
と、小さく呟いたその時、愛菜と向かい合っていた少女は愛菜の頭を踏みつけ、その勢いで水の中をずんずんと登っていった。頭を踏まれた衝撃で愛菜は闇に落ち、頭を踏んでズンズンと水の中を上昇していく少女は、水面に映る光を目指してさらに昇っていった。
————————————
「ふぅ…ヤっと大人しくなったヨ」
化け物となった男は、気絶している
愛菜の体は宙へと浮くが、ピクリとも動かない。
「サテ…こんなアリ様じゃあそのうち誰かに気づかれる。早いとこあの方にオウエンを頼まなくては」
メキメキメキ…
その時化け物は何かが握り潰されるような、異様な音を聞いた。
「ヘェ、一筋縄じゃあ…イカないってことでイイんだね…」
メキメキメキメキ…ゴシャ!!
愛菜の小さな腕が、化け物の手を握り潰していたのだ。
「オリジナルが世話になったなぁ。クソッタレ」
髪の隙間から流れる刃のような視線、先程の血眼とはまた違った眼光をみた化け物の顔には、思わず笑みが浮かぶ。
「ナルホド…コレがあの方の言っていた、もう一人の
愛菜は地面に降り立ち、片手で勢いよく蜘蛛の足を引きぬく。
ブチブチブチィ!!!
丸太くらいの太さの蜘蛛足はまるでカニの足のように引き抜かれ、地面に勢いよく落ちる。
「クソ…
「モットよく鳴かせてやるよ…虫ケラ」
愛菜は自分の手から落ちていたスタンガンをその場から拾い上げる。
「フン…あの腰抜けも少しはいい物を持ってるじゃねぇか」
愛菜はそう言うと、スタンガンをひょいっと空中に回転させた。
「さぁて…君に何ができるかタメサセテ貰おうカァ」
化け物は愛菜の方を向きながら気持ち悪くニタニタと笑う。
しかし、化け物が行動を起こすよりも早く…愛菜は電光石火の如くその場から駆け上がっていた。黒い疾走が風をまい、それが不意に止んだかと思うと、もう…愛菜は化け物のすぐ側まで迫っていた。
男の脇腹はスタンガンがめり込み、バチバチとスパークが走る。化け物の表情から笑いは消え、愛菜はそのまま化け物をスタンガンで押し上げ、大きく腕を振りあげた。人間の等身大二つ分の化け物は大きく宙を描き、とある一軒家のブロック塀を破壊しながら落下するのだった。
「虫如きが…長ったらしい言葉をほざくんじゃあねぇ」
愛菜は化物が吹き飛んでいった瓦礫を見つめながら小さく呟くのだった。
しかし化け物は息を置く間も無く、ブロック塀からけろりと立ち上がった。そして、愛菜の真上へ勢いよく飛び上がり、愛菜は空から降ってくる黒い物体を接触すんでの所で回避する。
「不意ウチとはヒキョウな。どうやらオシオキが必要みたいダネ」
すると…化け物は糸のような粘液を人間の口からタラリと吐き出し、その場の瓦礫でマユの様な物を自らの蜘蛛足で、何個も何個も器用に作っていく。
「イマカラ僕、面白いことしてアーゲル」
化け物の前には大量のマユが作られる。そして化け物は自身の蜘蛛足と人間の手足を器用に使い、愛菜の方へと大量のマユを投げつけてくる。
愛菜は目の前から迫ってくる大量のマユの嵐を腕で防ぐ。
「ほぉ…確かに面白いじゃねぇか」
しかし、あまりに飛んでくるマユに反撃する余地もなく、その場から動けない。飛んでくるマユの塊が皮膚を掠め、四肢の切り傷から血が流れ出す。
「クソッタレ…動けねぇ」
愛菜はふと化け物から視線を逸らす。すると…数歩の位置にあるゴミ捨て場のネットに、街灯に照らされて白く光る物体を見つけた。
「賭けだな…」
愛菜は咄嗟に体勢をかがめ、迫り来るマユの塊を避けながらゴミ捨て場のそばまで急速に転がり込む。
「喰らえ!!」
と、愛菜は道端に落ちていたものをすぐさま化け物に投げつける。それは化け物から生えていた蜘蛛足だった。足はブーメランのように物凄いスピードで飛んでいき、化け物と衝突する。
それでも、化け物は全く怯まなかった。
「おヤァ?そんな苦し紛れの攻撃じゃア僕はタオセないヨ」
だが、足を投げつけられた化け物に一瞬の隙が生まれた。それは彼女に逆転のチャンスを与えるには十分であった。
愛菜はゴミ箱の中の光り物を拾う。キラキラと夜の街灯に輝くそれは、鉄製のバットだった。
「本命はこっちだ。
愛菜は化け物が立ち直る前にスタートを切った。すると化け物も再び、大量のマユが縦横無尽に投げつけてくる。
「ぶつかる覚悟で引きつけ…」
愛菜は目の前から飛んでくる一つの《マユ》塊弾に狙いを定める。迫り来る弾丸は黒く光り、まるで命を刈り取ろうと迫り来るようだ。
そして今、それが顔に接触する刹那…愛菜は体勢を低く回転させ、バットを振るう。
「そして…放つ!!!!」
弾は流れにのり、化け物へと一直線に貫く。
「ナルホド…面白い。ダけどね。僕にブツリは効かないって君はワカッテルデショ?」
しかし、愛菜は止まらない。化け物の側まで距離を詰めるとスタンガンに電気を目一杯流す。
「あぁ…テメェが電流に弱いこともな」
愛菜はバットに力を込め、男の心臓部分に突き刺し、バットの凹んだステンレスに自分の持っていたスタンガンを押し当てた。
バットからは電流が走り、ステンレスに触れていた化け物と愛菜は思わず顔をしかめる。
「グゲげゲェ…!」
「やはりな…いくら体が再生するっていっても、全身から臓物全体のダメージまでは守れねぇみたいだなぁ!!」
感電の痛みに耐えながらも彼女はニヤリと笑みを浮かべる。愛菜は更にバットを化け物の体に捩じ込み、捩じ込んでいく。
化け物も最後の足掻きといわんばかりに、愛菜の体に自らの蜘蛛足を次々と突き刺してきた。
しかし、愛菜は止まらない。
「さぁ…これで終わりにしょうかぁ!!!」
愛菜は腕にありったけの力を込め、バットから突きを放つ。すると化け物は勢いのままに吹き飛び、一軒家のブロック塀を巻き込みながら吹き飛んでいくのだった。
愛菜はその場に倒れる。体力を大きく消耗しその場から動けない。しかし、それは化け物も例外ではなかった。
水溜まりに大きく寝そべる化け物は、血が浮かんだ水たまりに横たわったまま動かない。
「フフ…これほどまでとは。あの方もとんでもない物を作っているのだなぁ」
化け物は水溜まりに落ちている電線の切れ端をボウっと見つめていた。
「マサかぁ…あの時君は僕を撃ったんじゃなくて、銃弾が私を貫通すると見越した上で送電線の一部を狙い、この水溜まりに切れ端を落とすように計算していたトハネ。完全にしてやられたよ…二人とも。お陰で僕もそろそろ体の損傷が限界を超えそうだ」
その言葉を聞いた時には既に、愛菜はその場から立ち上がっていた
「観念するんだな…お前如きの虫ケラに私が負けるはずがないんだよ」
化け物は愛菜の言葉を聞くと小さく笑い出す。
「ハハッ、ソレもそうだナ…けどね、僕を倒したクライじゃあの方には到底オヨバナイ。ましてやタドリツク事すらもフカだろう。せいぜい足掻くがいいさ、所詮…君もボクらと同じ人ならざるバケモノだ」
「黙れ」
愛菜は化け物をバットで殴る、殴る、殴る。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ!!」
少女のこだまする絶叫は、果てしない紅色で染まっていた。
「私は
愛菜は不意にハッとした。バットで殴られ続けた化け物の体は、既に動けるような状態ではなかったからだ。
すると、愛菜は急に自らの体に猛烈な立ちくらみを覚える。目の前が真っ赤に染まり、視界がぐわんぐわんと揺れる。
「ク…ソ、私は…こんなところで…」
愛菜の意識はそこで途切れた。
◆ ◆ ◆
「いやぁ…派手に暴れるね。最近の試作品は…」
一人の女はこの惨事を陰からひっそりと見ていた。
チカチカと照らす街灯に映る地面は所々が真っ赤な鮮血で染まり、化け物であったであろう骸と、命を刈り取られた警官…そして一人の少女が横たわっていた。
「ごめんなさい。私が来るのが遅かったばかりに…」
女は警官の側に落ちていた拳銃を拾う。
「貴方の無念、アイツを倒さないと…晴らされないだろうからね。さてと…」
女は少女のそばに寄る。少女の長い髪を払い、首筋に手をやった。
「生きてる…良かった。でも急がないと…その内誰かに見つかっちゃうからね」
少女の頬を細く流れる涙をそっと拭いながら、女は優しく呟く。
「君は…いや、君たちは皆んなの最後の希望なのだから…ね」
次の更新予定
隔日 22:00 予定は変更される可能性があります
アライク=アンライク ファンラックス @堕落休 @fanracx
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