Left Ear, First Pierce

今福シノ

「次はアッパーロブに開けてほしいの」

 行きつけの喫茶店に現れた野々華ののかが開口一番に放った言葉を聞いて、私はすべてを悟った。

 アッパーロブ。直訳すると耳たぶの上。要はそこにピアスをつけるから開けてくれ、ということだ。だけど、それだけじゃない。その裏側には別の意味がある。

「ひょっとして、また振られたの?」

 一応、念のため、確認をとる。まあ、ここに呼び出された時点でなんとなくの予想はついていたんだけど。

 商店街の奥にひっそりとたたずむこの喫茶店は、高校生の時に見つけた秘密の隠れ家のような場所だった。何かあったらここに来る、私たちの秘密基地にしよう。そんなことを言い合ったのが懐かしい。来るのは数カ月ぶりだった。

「え、わかる? 深月みづきってばすごいね、あはは……」

「わかるわよ。顔に書いてある」

 野々華は少々ぎこちない照れ笑いを浮かべながら対面の席に腰を下ろす。右手でショートボブの髪を耳にかけると、耳たぶについたシルバーのスタッドピアスがきらりと光った。

 数分経って、店のマスターがブレンドふたつと、それからたっぷりの砂糖とミルクを運んできてくれる。私が先に注文しておいたのだ。

「これで三人目、だっけ?」

 ひい、ふう、と野々華の右耳につけられたピアスを数えて訊くと、ブレンドと砂糖の間を往復するスプーンが止まった。すでに何往復したのかは数えないことにした。

 ややあって、野々華は針を落とすようにつぶやく。

「うん……昨日の夜、会った時にね。私のこと、妹みたいにしか見れないんだって」

「そっか」

 その別れ文句は奇しくも、野々華が初めてできた彼氏に言われたの同じだった。本人が気づいているかどうかはともかく。

「やっぱり私、恋愛向いてないのかなあ」

「そんなことはないんじゃないの。少なくとも今までの彼氏全員、向こうから告白してきたんでしょ?」

「でもでもみんな振られてばっかりなんだよ~」

 野々華はモテる。小柄な体格と、あいくるしい目鼻立ち。高校の時から言い寄ってくる男はいたが、大学に入ってもそれは変わらなかった。むしろ髪を明るく染めてゆるふわパーマにしたおかげで、一層拍車がかかった。

 初めての彼氏はたしか高校三年の時だったか。だけど大学に入ってすぐに別れた。その時も、こんな風にこの店に呼び出されたっけ。そして私に向かってこう頼んできた。

『ピアス、開けるの手伝ってほしいの』

 そうして冒頭の台詞に戻るわけだ。

「まさかこんなに習慣になるなんてね」

「私だって何度もしたいとは思ってないってば~。振られたんだからしょうがないでしょお」

 いじける野々華を横目に、私は同じように自身の黒髪を耳にかけ、コーヒーを口に含む。しっかりとした苦味とほのかな酸味が舌の上で踊った。

 野々華は失恋すると私にピアスホールを開けてほしいと言ってくるようになっていた。初めては大学一年生の六月に、その次は夏休み明けの九月。そして今、秋も深まりそろそろ冬になろうかという十一月が三度目だった。

「私だってわかってるんだよ? こういうの、あんまりよくはないんだろうなーって」

「だったら」

「でも深月に開けてもらったらね、振られて悲しい気持ちとかがすーっと消えていく気がするの。それで、次こそがんばろうって思えるの」

 そう言って野々華は自分のコーヒーをぐいっと飲んだ。砂糖とミルクがたっぷりで、その見た目にコーヒーの面影はすっかりなくなっていた。カフェオレみたいだ。

「だからお願い! 今回も開けてほしいの」

 顔の前で両手を合わせてくる。亜麻色の髪を揺らしながら。

 そんな姿に私は少し大げさに息を吐いた。

 消えていく、ね。

 それは違うんだろう。私は思っていた。それは、上書きに他ならない。失恋の悲しみを、痛みを、ピアスホールを開ける痛みで塗りつぶしているに過ぎないのだ。

「……もう、しょうがないわね」

 だけど私はそれを野々華に向かって言うことはしなかった。なにせこれは自傷行為の裏返しともとれなくはない。高校を卒業してからも交友の続く数少ない友達が、私が断ったせいで自傷――たとえばリストカットなんかに嵌ってしまったら。であれば、痛みで塗りつぶす役目は私が引き受けないと。

「わかったわよ」

 なので、私は毎回こんな風に渋々といった様子を装い、承諾をする。

「ありがとうー! 深月がいてくれてホントよかったよ~、心の友ってやつだね」

「調子いいこと言って。どうせ私が渋っても頼み込んできたでしょ」

「あ、バレた?」

 野々華はもう一度照れたような笑みを向けてくる。今日見た中で一番かわいい笑顔だった。やっぱり、野々華は笑っているのがよく似合う。

「でも、大丈夫?」

「なにが?」

「だってこのままのペースでいったら野々華の耳、来年には開けるところなくなっちゃうわよ?」

「えっ、それって……ええっ!?」

 野々華はまるで火傷した時の仕草みたいに右耳をぎゅっと握る。きっと一瞬想像したんだろう、自分の耳がビジュアル系バンドみたいにピアスまみれになっていることを。同時に、言葉の意図も理解したのだろう。

 自分は今後も振られまくる、ということを。

「も、もう! 深月のいじわる!」

 必死に眉間に皺を寄せるとともに頬を膨らませて抗議の目線を送ってくる。私は「笑顔だけじゃなくて、こういう表情もかわいいんだな」なんて思って。

 その直後、野々華に言い寄る男たちも、こんなことを考えたんだろうな、という思考が追いかけてきた。私はそれをブラックコーヒーに包んで、静かに嚥下した。

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