【第1回HelvaticaBooks短編小説賞一次通過】首を挿げ替える

くいな/しがてら

首を挿げ替える

 お、ひょっとして新聞屋さんですか。最近絵を描く人変わりました? え、あなたが引き継いだ? そ、そうですか。いや別に、だから何って訳でもないですよ。 

‥‥‥梟屋の鉢助ですか。なんだってあんな人形馬鹿のこと気になさるんで?

 変わり者ですよ、ええ。

 あれと同じく昔から、この地にいるんですがね。これからどれだけの年月をかけようと、あたしは奴のことを腹の底まで知れるとは思えませんで、ええ。おかしいんだ、あれ。お天道様が昇ったら起きて、沈んだら休むのが自然の決まりってやつでしょう? ところがね、あいつは昼夜を問わずずっと人形人形なんだ。昼は町中をふらふら放浪して、時たま話せば、やれ塑像がどうだ、蝋燭がなんだって人形の話ばかり。ちょいと仮眠をとって丑の刻を回るとむっくり起きて、こそこそ作業場へ行くんですわ。ひょっとして、直接あいつのもとを訪ねる気ですか。よしておきなさい。行くの? ははあ、あんたも似たり寄ったりの変わり者だ。

 唯一判ることがあるとすれば、人形にとり憑かれてるってことくらいですかね。

 人形ですよ。あたしに芸術ってもんはどうも判らないけど、その界隈の方にはとびきり有名らしい。

 見たい? 難しいと思いますよ。

 なんでも作ったそばから売れちまうらしいんですよ。見られるとすれば‥‥‥ヤッパリ作業場になるのかな。完成しているとは限りませんがね。そこ以外で奴の作品を拝むことは叶いませんよ。

 再三云う様にあたしに芸術ってやつは判りませんが、そんなに評判なら欲しくなるのが人情ってものじゃないですか。長年のよしみに免じて、要らないやつや簡単なやつを一つくれって云ってみたことがあるんですがね、吝嗇な奴だ、断られちまいまして。買うならいいって云うから値段を聞いたら、あたしは目玉が飛び出ましたよ。そんなシロモノが片っ端から売れていくんだ。むしろどうしてあんなボロ家に住んでいるのか首を捻りますよ。

 作業場に行きたい? ヤッパリそうおっしゃいますか。しかし申し訳ない、あたしにはどこにあるのか判らない。一度あとを尾けてみようと思ったことがあるんですがね、油断なくきょろきょろしてるんだ。すぐに見つかって怒られました。怒られるなんて生易しいものじゃない、鬼気迫るってのはああいうのを云うんでしょうな。あれを見ちゃ、例の噂も何か意味ありげに感じられます。

 あ、今の話は書かないでくださいよ。

 梟屋に関しちゃきな臭い噂もありますがね、全部偶然だって信じてますから。あいつはなんら特別じゃない、ただの人形馬鹿です。ところがおたくが煽ったら、もう動かぬ事実みたいなものだ。判らないものには人間、判断がおかしくなりますから。罪をでっちあげて首を落とした方が安心だってね。頼みますよ、友達なんだ。あいつのことはほとんど判りませんが、それでも長い付き合いなんです。


※※※


 ブンヤじゃねえの。錦絵新聞、読んでるぜ。御一新で何もかも変わっちまったからな、俺も商売ばっかやってねえで、ちったあ世間を気にしてるのよ。この時間に走り回ってるっつーことは、取材だな。そうだろ。

 ‥‥‥梟屋の鉢助ェ?

 ああ、昼行燈の。つっても、確かあの明かりのない家に一人で住んでるんだっけ? どうやって食ってんのかな。

 人形? へェ、そう。

 それよりあんたのところの新聞、維新政府にも届くよな? 大変だよな、下手なこと書いちゃマズいだろ。

‥‥‥。

なあ、もしやこの前晒し首になってたのって、あんたの知り合い? ‥‥‥そっか。だよな。あんたと一緒にいたでけえ方だよな。ししゃも余ってるから持ってけよ。な。がははは、あんたはちと薄っぺらすぎだ。たっぷり食って、しっかりやれよ。な。

 しっかし、維新前の晒し首よかマシになったよな。あの頃は首を落として、刀の試し斬りに使われて、三日三晩野ざらしにされてよ。血の匂いを嗅ぎつけた野犬は来るわ、蠅はたかるわ。いくら町の中心だからって、あの様子じゃ振売の経路からも外したかったんだよな。

 でもほら、御一新の一環で、最近晒し首の形態が変わったろ? 衛生の改善だとか刑を重くするためだとかだったか。首はうんと高く掲げる様になって、蠅は上空で飛んで見えなくなったし、野犬は来なくなった。お天道様に近くなって血もすぐ乾くもんだから、きれいさっぱりって感じさ。

 咎人をより辱めるためって‥‥‥本当かな。俺が咎人でも、高く掲げられたところで何とも思わねえが。赤ん坊だって高く掲げられた方が嬉しがるだろ。

 ああ、すまねえな、こっちの話ばっかで。そんなのどうでもいいってこったよな。

 梟屋鉢助の話だったか。俺からは世間話しか出てこねえが、人形に詳しい奴なら知ってるぜ。かなり離れたところに住んでる奴なんだがな、まずそこの角を左に曲がってずっと行って‥‥‥


※※※


 おンやまあ、誰かと思えば錦絵新聞さんかネ。あたしゃ何も悪いことはやっちゃいないヨ。

 エ、魚振売の五兵衛から紹介されたト。あそこの魚は上等でネ、ししゃもなんか特に‥‥‥エ、くれる? 悪いネ。お代として、なンでも喋らせていただくヨ。喋りだけはお前の取り柄だッて五兵衛も云う位サ。

 エエ、確かに人形の審美眼に関してあたしの右に出る者はここらにはいない、なンて自負しちゃいますヨ。

 ‥‥‥梟屋鉢助、ネ。

 一寸待ってなさい、今あれの作品を持ってくル。

 ン? アア、そうだヨ、買っタ。一つしか持っていないがネ。『不要になった』とか言っていたっケ、買い手がついていないようだから、どうか買わせてくれと懇願したヨ。かなり渋ったが、酒を飲ませて金を積んでついでに 蒐集品

コレクション

を見せてやると云ったらやっと売って呉れタ。

 よっこいせ、ト。

 彼は町を行きかう人々を観察し、気に入った人物がいたらその人の首から下だけ人形にするんダ。

 彼なりの美学なのだろうネ。手仕事の痕跡は顔よりもむしろ手足の筋肉の付き方やマメ、姿勢にこそ表れるとか言っていたかナ。それにしても、得体のしれない職人だヨ。

 人形に限らず 芸術

アアト

ってものは聖徳太子の時代からずっと二つの系統に分かれてきタ。一つは現実主義、もう一つは非現実主義ダ。

 救世観音は、あまり人間に似すぎているとありがたみが薄れるから人間離れした特有の微笑を湛えていル。

 西洋の 宗教画

エイコン

の遠近法や陰影に基づく立体感は、祈りの儀式に使う際の没入感を支えていル。

 ところがそこには絶対の掟があるのサ――どれも一貫していなくちゃいけなイ。

 救世観音の腕に毛は生えていないし、西洋の 宗教画

エイコン

に影を持たない者はナイ。現実と非現実の中庸、中途半端はもはや禁忌なんダ。

 ひるがえって鉢助はどうかというと、ホラ、見てみたまエ。これはコソ泥の窮彦といって、主が寝静まった家に単独で堂々と忍び込み金目の物を盗んでは、煙の如く姿を消してしまっていた泥棒の人形らしくてね。少しでも危険があればすぐに退散するような慎重な奴なんだが‥‥‥あ、知ってル? 似顔絵も多いしこの中性的な顔は有名だよネ。大男だとか優男だとか、あるいは男勝りの女だとか、噂は錯綜していて、首から下は誰も知らなかったから、こうしてまじまじと眺められると感慨深いものがあるよネ。

 四肢と胴体は見事なものダ。浅黒く闇夜に溶け込む長細い手足にはしっかりとした頼もしさがある。音を立てずにゆっくりと歩いたり荷物を背負って走る中で育った筋肉ダ。それを繰り出す胴体は大木を思わせル。いやはや、こんな大男だったのだネ。眼を離した隙に逃げ出しそうな姿勢も流石という他無イ。細くしなやかな指先は今にもするりと掠め取ろうとしている様に感じられるし、ああホラ、足の親指の付け根は擦り減っているだろウ。忍び足する奴の特徴はこんなに細かいところにまで表れているのだヨ。執念を感じるよネ。

 しかし‥‥‥気づいたかネ? 首の断面だヨ。

 色が塗られていなイ。脊柱も入っていなイ。

 ほとんど生き写しの現実主義なのに、首元のお粗末な非現実が興を醒ましていル。中途半端なんダ。

 鉢助は途中で製作をやめたからそうなのだと云ッていたが、果たしてどうだろうカ。親指の付け根にすらこれほどの拘りを持って仕事をしている美学の持ち主が、中途半端な品を寄こすだろうカ? それに表情筋にだって生き様が出るような気がするのはあたしだけかネ? ‥‥‥錦絵新聞さん、大丈夫かナ。君、ひどい顔してるヨ。


※※※


 あ、新聞屋さん。大変だねあんたも。でも、書くネタには困らないだろう‥‥‥え、鉢助さん? 

 例の噂を聞かせてって‥‥‥あんたほんとにそのネタでいくのかい。ま、いいよ。

 噂とは云うけれど、あたしはこれが噂なんかじゃなくって真実だって知ってるんだ。

 人形職人はあくまで表の顔で、実は千里眼を持つ占い師、もしくは町に溶け込んで目を光らせてるお奉行さんに相違ないよ。あたしとしては後者だと思う。作業場にこわーい親父が張り込んでいるんだもの。ありゃ堅気の目つきじゃないよ。

 鉢助さんがうちの店で蝶をあしらった真っ赤な簪を買っていった日を思い出すね。あげるような人もいないでしょうって茶化したら、照れ臭そうに笑ったあの日を思うと身の毛がよだつ。たとえ鉢助さんは何も悪くなかったとしてもね。町を勝手に抜けようとした女がさらし首になったのは、それからひと月あとの事だった。真紅の蝶の簪を血の錆びた赤に染め直してね。

 あの人のやり方も怪しいもんだ。町行くなんでもない人をじっくり観察する。時には声をかけて、自分の作業場に連れていくと人形を作ることもあるらしい。その場では何てことないんだけど、人形が完成するひと月後くらいにはその人が大罪で晒し首になってんのさ。

 作業場での様子がどうして判るのかって? どういう意味だい?

 普通の人には見せてくれないの? ははあ、そういうこと。済まないね、人から聞いた話を自分が見たみたいに語っちまうのがあたしの悪い癖なんだ。

 ‥‥‥あたしも自分の目で見たわけじゃなくって、馬鹿亭主づてに聞いたのさ。あの頃はまだ鉢助さんの噂もそれほど流行っていなくって、亭主は天下一の人形職人の題材になったんだって初めははしゃいでいたけれど、あたしが冗談交じりに噂を語って聞かせると血相変えて震え出してね。今思えば、身にやましいことがあったんだろうさ。三週ほど経って失踪して、ひと月後には天高く首が晒されていた。親を殺してたんだってさ。どんな理由があったかは知らないけど、馬鹿な奴だよ。

 他に聞いたこと? そうさねえ‥‥‥。


※※※


 梟屋鉢助。

 天下にその名を轟かす人形職人。強気な値段設定に反し、現実をそのまま写し取ったような精巧な人形は作れば売れるといった具合。「日常」を主題とし、生業の痕跡が残りやすい首から下のみの像を作る。

 人形の参考にされた人物はのちに大罪を暴かれ晒し首になる。例外は町から逃げおおせたという泥棒窮彦のみ。それが梟屋鉢助の正体が目利きの奉行だという噂を生んだ。

 しかし。

 鉢助はそんなに上等な人間ではない。

 先輩は梟屋鉢助を調べ、間もなく晒し首になった。やわらかな輪郭でいきいきと人々を描いていた先輩。自分の錦絵を載せるようになった新聞を見ると、胸が締め付けられる。僕の知る限り最も人情に篤かった先輩は、判を押したような親殺しの罪で天高く掲げられた。血も涙も滴ってくることはなかったが、遠目にも生気が拭い去られていることは明らかだった。

 鉢助のことを調べたからだ。あいつは何かやっている。不意を打って首を狩っても仕方がない。あらゆる罪科を白日のもとに暴露させ、最大級の謝罪をさせたうえで、これまでの被害者の様に、天高く首を晒させてやる。

 女店主の証言で、作業場の位置は割れた。

 鉢助が来るのは丑の刻以降だと聞くから、それより先に忍び込んで罪の痕跡を見つけてやる。張り込んでいるという親父も四六時中いる訳ではあるまい。それに、明日の仕事も蔑ろにはできない。

 闇夜も照らさんばかりの燃えさかる正義感を胸に宿し、錦絵新聞記者は歩き始めた。少し歩くと耐えられなくなって大路を走り出した。子の刻のことであった。


 作業所というのは、風が吹けば飛ばされそうな粗末な小屋だった。灯した提灯が消えてしまったら、と考える瞬間の心細いことといったらなかった。噂通り売れてしまっているのか、鉢助お得意の首なし人形が一つも無かったのだけは救いだった。

 泥棒窮彦のことを考える。

 闇夜に紛れ空き家に忍び込む今の自分はまさしく泥棒だ。彼が例にもれず晒し首になる予定だったとしたら、罪状は何だろうか。晒し首になるほどの重罪ではないから、よもや窃盗ではないだろう。中性的な顔だち、もいかにも小市民と云った具合で、大それた罪など犯せそうにない印象がある‥‥‥いやいや、被害者たちは無実だ。現に先輩は親を殺してなんかいない。窮彦もきっと親殺しや国家反逆や放火をでっちあげられていたはずだ‥‥‥そこで。

 部屋の隅に目を向けた瞬間、凍り付いた。

 生首が、ひっそりと転がっていた。

「ひっ」

 思わずのけ反る。

何だ。何でここに生首なんか。しかも顔立ちに見覚えがある。これは‥‥‥泥棒窮彦の生首だ。

息をするのを忘れていたことに気づき、ようやく生首から目を離せるようになったと同時に、思考がいくらかまとまり始めるのを感じた。

処刑は所定の場所で行われるはずだから、誰かが喧嘩でもした‥‥‥? いや、この生首には何か違和感がある――そうだ、臭い。血や腐敗の臭いがない。提灯で部屋を照らしても血痕も見つからない。

ごくりと生唾を飲み込み、何とか気持ちを奮い立たせる。恐る恐る生首の元にしゃがんで髪に触れると、冷たい感触が手に残った。

「髪じゃ‥‥‥ない」

 だらりと鼻頭に垂れ下がった髪の毛は石で作られているようで、何度頭を振っても髪型は変わらないであろうことを予感させた。

 人形だった。

 鉢助の作業場だ、ただの人形が転がっている分にはなんら不思議ではない。しかし、鉢助は首から下しか作らないんじゃなかったのか? 別のところで発見された、同一人物の生首と首から下の人形。まるで‥‥‥

「首を落とされたみたい、か?」

 背後で扉が開き、月の光が差し込んだ。


「お前は‥‥‥また記者かよ」

 返答を求めない声量で気だるげに男は言った。鉢助が来るにはまだ早い時刻のはず‥‥‥ということは、こいつが張り込んでいると噂の男か。

「またってことは‥‥‥先輩もここに来たんだな」

「先輩って‥‥‥ああ、あいつか。安心しろよ、お前の先輩とやらは生きている。どこかで、たぶんな」

 ‥‥‥え。

 何を言っている? 落とされて晒された首をこの目で見た。生き死にに関してこれ以上動かぬ事実はあるまい。なぜそんなことを云う? 僕が気を抜いた瞬間に殺すつもりか? あるいは‥‥‥まさか。

「晒し首は人形だ。鉢助の馬鹿、だから頭だけ作っていればいいと云ったのに」

 男は吐き捨てる様に呟いた。出口に目をやるが、差し込む月光は男の巨体に遮られていた。

「多分生きてるってどういう‥‥‥ことですか」

「言葉通りだ。死んだことになってる人間がどう使われるかは俺も知らない」

「‥‥‥僕を帰してはくれませんか」

「だめだ」

 取り付く島もなかった。突然走ってみようか、脚には自信が‥‥‥いや。男の立派な体躯を見て、猫の子が首を親に咥えられる様に容易く捕まる予感がした。

「その代わり知っていることなら何でも話そう。どうせお前も今日の昼までの生活には戻れねえしな。情報を渋る理由はねえよ。鉢助は人形に憑かれていて、喋れても会話は出来ねえんだ。俺を楽しませてくれ」

 正直なところ、それほど絶望してはいなかった。晒し首の真相を知ってしまった時点で後には引き返せないことは覚悟していたし、先輩と同じ末路を辿るのなら再会できる可能性も十分残されていると思われたからだ。

「ほら、そこの座敷に座りなよ」


「いつから晒し首が人形になっていたんですか」

「御一新以来、掲げる高さがうんと上がっただろ。あれからだ。いくら鉢助の生首人形が精巧だからって間近で見られちゃ偽物だとバレる。血が滴らないのもよく日に当たる様になったからだと民衆は納得したようだが‥‥‥無理があるよな」

 そういうことだったのか。加えて、いつも通りの高さの獄門台に乗っているのが人形では野犬や蠅が集まらない。その異変に気付かれてはマズいという面もありそうだ。

 生唾を飲み込むと、もうこらえることはできなかった。

「誰が指示しているんですか」

 死んだことになっている人間を集めたがっているのは誰なのか。晒し首の形態を変えられるような人間だから奉行以上ではあるだろうが‥‥‥。男は少し躊躇って口を開いた。

「維新政府だ」

 これはいよいよ俗世間には帰れないな、と思った。予想外に規模が大きい。ますます社会的に消された人の用途が気になるところだが、この男も知らないのだろう。

「鉢助は首も作っているんですか」この質問には答えやすいようだった。

「ああ。全身像を作って首を落とし、首を晒してから下を売る。維新政府との契約を履行するなら首だけ作ってりゃいいんだが、本人の魂が許さないらしくてな。変わり者だよ」

「じゃあここに窮彦の首があるのって‥‥‥」

 ああ、と男は目を伏せた。

「例外が重なったんだよ。窮彦がどこかに逃げたせいで人形は処理に困るゴミになった。しかも首も落とさない内に好事家が買い手として名乗りを上げたものだから、酔っぱらった鉢助は慌てて人形の首を斬って売っちまったらしい。いつもみたいに断面に彩色をするのも忘れて、な」

「首を斬って渡さなくっても良いじゃないですか。全身像でも」

「良い訳あるかよ。全身像が世間に流出したら、鉢助が普段から首から上も作ってることがバレちまう。たまたま頭もつけてみた試作品というには完成度が高すぎるしな」

 なるほど、たしかに。現にたった今、自分は窮彦の生首が本物だと思い込んで悲鳴を上げたのだった。

 普段から頭部を作っているとすれば、首から下しか流通していないのはおかしい。となると首は誰かが買い占めていて、そこには頭部とその下を分割するだけの正当な理由があるに違いないと勘づかれる可能性があるわけだ。

「鉢助の作風が疑われる可能性を所持してるんだから、おいおいその好事家もとっ捕まえなきゃなんねえ。まったく余計な仕事を増やしてくれるぜ。いっそ窮彦があの人形を盗んでくれたら楽なんだが」

「‥‥‥それなら、窮彦の首の処理にも困るでしょうね。窮彦は生きているのだから当然晒すわけにはいかないし」

 男は訝しげな顔をした。

「暢気なやつだな。お前がどういう立場か判ってるのか?」

「いいでしょう、別に。どうせ世間には戻れないんです、それならいっそすべてを知りたいというのはそんなに変な話でしょうか」

「‥‥‥ひょっとしてお前、先に死んだことにされた記者と再会できるかもしれないとか考えているのか?」

「ええ」

 隠す必要もなさそうに思えたので、正直に答えた。男はやっと得心がいったようだった。

「勘違いしているようだが、お前は死んだことにはされねえよ」

「やっぱり帰してくれるんですか」思ってもみなかった。この件からは大人しく手をひいて、田舎でひっそりと過ごす未来を夢想しかけたところで、男は首を横に振った。

 少しして、絶句した。男が何を云おうとしているのか判ったからだ。

「窮彦が消えたことで足りなかった納品は、お前の先輩で埋めた。対して今は事足りている。自由に使える男手は、もういらない」

 提灯がついていてはいけない。自分の位置が見え見えだ。男の方に蹴っ飛ばして、その隙に脇の下をくぐり抜けられるか? 

「窮彦の頭部の処理に困るところだ。水に沈めたり土に埋めたりすれば、万が一の場合ではあるが発見される。そうなりゃ俺も晒し首だろうな。こいつが石像ってのも問題だ。燃えないからいざとなりゃ砕けるが‥‥‥」

 言葉が出てこない。

「すべてを知っちまった奴と、陰謀の証拠の首人形。厄介な二つを別々になくそうとするから苦労するんだ。いっそそのまま組み合わせちまえば、綺麗に解決するんだぜ」


※※※


「親父に聞いたんだがよ、窮彦の奴、せっかく逃げたのに死んだってよ」

「ああ、そんな仕事してるっつってたな。晒し首になったのかい」

「いや、奴は泥棒だ。それほどの罪じゃない。‥‥‥ここだけの話だぞ。窮彦の奴、捕まると、仕込んでいた小刀で喉を掻っ切ったらしい」

「それって……お役所としてはマズいんじゃねえのか」

「実にマズいさ。沽券にかかわる。とりあえず、自害でないように見せなきゃいけねえってことで、お偉いさんが斬れてなかった首をしっかり落とした――親父が見たのはそのあとの状況だったって話だ。誰にも云うなよ」

「それにしては声がでけえな。云わねえよ。どうだい、親父さん、窮彦の身体はどんな具合だったか喋ってたかい。筋骨隆々の大男だとか、どんなところにも身体をねじ込める小男だとか、噂はてんでんばらばらだったじゃねえの」

「俺も気になってたんで聞いたんだがよ、泥棒らしく小柄で痩身だったってよ。腕も足もほっそいもんで、筋肉なんてどこにもついちゃいない。筆より重いもんは盗めなさそうだ、なんて笑ってたな」

「そうそう、筆と言えば」

「なんだよ」

「またブンヤが晒し首になってたぜ。それもまた親殺し、だったかな。曇り空で血が乾かねえのか、まだひたひた滴ってるけど」

「ひい、怖いねえ。しかし親殺し、多すぎないかい。恨まれちゃなんだし、息子に玩具でも買って遊んでやるか」

「おめえはいっつも甘々じゃねえか、心配ねえよ」

 重い雲の立ち込める昼下がり。

 瓦屋根に寝そべって井戸端会議に耳をそばだてていた泥棒は思案した。

 自分はもう死んだことにされている。新聞記者が煽ったことが世間で実質的に真になってしまう様に、自分は実質的にこの町では死んでいるのだ。真は変わらないから真なのであり、自分を死んだことにした何者かは真を真とする努力は惜しまないだろう。わざわざ首を突っ込んで、落とされてはかなわない。

 この嘘の平和で満ちた町に一刻も早く別れを告げよう。泥棒は逞しい四肢を駆使して風の様に飛び走り、煙の様に消えた。

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