金銭さえ渡せば

三鹿ショート

金銭さえ渡せば

 放課後の教室で、私は今日もまた、彼女と雑談をしていた。

 昨晩に見た夢の話や、通学途中の電車の中で目にした迷惑な人間の話、その日の授業で理解することが出来なかった内容についてなど、話題は多岐にわたっている。

 彼女は窓の外を眺めたり、図書室から借りてきた本を読むなど、私の話を真剣に聞いているとは考えられないような態度だったが、私が問いを発すると、即座に答えてくれていたことから、どうやらしかと話を聞いているらしい。

 人間的な魅力を何一つ有していないためか、誰にも相手にされることがない私にとって、家族以外の人間との会話というものは、良いものだった。

 私が口元を緩めていると、彼女は不意に教室の時計に目をやった。

 その行動に釣られて同じように時計を見ると、彼女と過ごす時間が終焉を迎えたことが分かった。

 無言で立ち上がった彼女に対して、私は財布の中に入っていた紙幣を彼女に渡した。

 彼女は受け取った紙幣を数秒ほど見つめた後、私に視線を向けると、

「このようなことのために金銭を支払うなど、やはりあなたは、変わっているのですね」

 そのような言葉を吐くと、彼女は小さく手を振りながら、教室を後にした。


***


 彼女は、金銭さえ支払えば此方の願望を叶えてくれることで有名だった。

 そのような話を耳にして、学校に通っている人間がどのような願望を叶えようとするのかなど、想像に難くない。

 実際のところ、誰が最初の相手であるのかは不明だが、この学校では、石を投げれば彼女と関係を持った人間に当たるほどに、彼女は数多くの異性と濃密な時間を過ごしていた。

 そのためか、私の願望を耳にしたときの彼女は、目を丸くした。

「本当に、ただ雑談をするだけで良いのですか」

 彼女の問いに、私は首肯を返した。

 おそらく彼女だけではなく、他の人間もまた、私の正気を疑うことだろう。

 確かに、女性として、彼女は魅力的である。

 小石ばかりの地面に存在する岩のような人間で、その容貌は否応なしに他者の目を奪い、目にした相手を漏れなく虜にしていた。

 そのような人間を、金銭さえ支払えば好きなように扱うことができるということとなれば、汚れた願望を満たすことが多いことは仕方の無い話である。

 だが、私は彼女に対して下卑た視線を向けることはなかった。

 その理由は、単純である。

 しかし、それを周囲に知られることがないようにするために、あえて私は、彼女との時間を過ごすことにしたのだ。

 汚れた願望を叶えてくれる彼女と過ごしているという話が広まれば、自然と私もまた、有象無象の一員として数えられると考えたのである。

 しばらく彼女と過ごした結果、私の考えが間違っていなかったことが証明された。

 それでも、彼女と過ごす時間を失うわけにはいかなかった。

 念には念を入れる必要があるからだ。


***


 答えることに対して抵抗が存在するのならば口を開く必要はない、と前置きをしてから、彼女は私に問うた。

 それは、何故自分に手を出さないのか、ということだった。

 私は、答えるべきか悩んだ。

 彼女は多くの人間と関係を持っているが、いずれもその場限りの関係であるためか、親しい人間は存在せず、常に一人で行動していた。

 彼女の行為を思えば、人間性に疑いを持ったとしても仕方の無い話である。

 ゆえに、同性の友人が存在していないことに対しては、納得することができた。

 そのことを考えれば、彼女が私について吹聴することは無いだろうが、私は彼女の全てを理解しているわけではない。

 面白がって、言い触らす可能性もまた、存在するのだ。

 だからこそ、私は彼女の問いに答えることができなかった。

 だが、彼女は私の態度に気分を害した様子もなく、窓の外を眺めながら、まるで昨夜の食事について話しているかのような調子で、語り始めた。

 いわく、彼女が金銭を得るために多くの人間と関係を持っている理由は、この学校を卒業して直ぐに、この土地から離れるためらしい。

 彼女は何気ない様子で、父親や兄からどのような仕打ちを受けているかを話してくれたが、私は気が気でなかった。

 逃げ場は存在していないのかと問うたところ、祖父母の家が存在していると答えたが、其処では父親や兄よりも先に、祖父に手を出されたということだった。

 私は、絶句した。

 しかし、私の様子に構うことなく、彼女はこれまで自分が受けてきた仕打ちを、日記を音読するかのように語っていった。

 話し終えた彼女は私に視線を向けたが、其処で目を丸くした。

「何故、あなたが泣いているのですか」

 その問いならば、私は答えることができる。

「安っぽい同情かと思われるかもしれないが、きみが可哀想で仕方が無いからだ」

 彼女は数秒ほど沈黙したが、やがて口元を緩めると、

「あなたのような人間と早く知り合っていたのならば、このような日々を過ごすこともなかったでしょうね」


***


 彼女の自宅が存在していた場所は、現在では更地になっている。

 その理由は、彼女の父親が自宅に放火したからだった。

 卒業式の日だったことを考えると、おそらく彼女が自宅から姿を消すことに耐えられなかった父親が、他の人間の手に渡る前に、彼女を永遠に自分のものとしようとしたのだろう。

 そのようなことを考えたが、真実は不明である。

 私は花束を置きながら、天を仰いだ。

 苦痛に満ちた日々を過ごしていた中で、たとえ微々たるものであったとしても、私との時間が、彼女にとっての慰めだったことを祈るばかりである。

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