第17話:リサイタルデビュー その二

「吉崎先生、いきなりやってくれましたねぇ。演目にもない曲でしたがみなさん如何でしたか? いや、答えを聴くまでもありませんね。みなさんの反応を見れば誰にだって分かります。吉崎先生、なぜ曲を変更したのですか?」


 永山先生は少々恨みがましい目で武夫にマイクを向けてきた。


「緊張しすぎて間違えました……ウソです。でも緊張しすぎていたのは本当です。だから緊張をほぐすためにもどうにでもなれと思って……きらきら星は僕が二歳のときに一番最初に母が教えてくれた曲なんです。それを思い出して、はじめてお客様に演奏を披露するのだから初心に帰ろうと思ってきらきら星を演奏しました」


 永山先生は納得したかのように相槌を打った。


「なるほど、入りが単音だけだったのはそういう意味があったんだね。だけどさぁ、中盤からラストにかけてのあのアレンジはなんなの? あんな隠し玉があったなんて聞いてないよ~」


 なんなの? と言われても、まさか未来の進化したJPOPに寄せたアレンジだとは言えなかった。


「うーん、秘密、かな?」


 そんな感じで、永山先生が軽妙なトークで観客を盛り上げていた。


 そこからはクラシカルな演奏もできるということを示すため、正当なクラシック曲、ショパンのバラード三番を永山先生が弾いて、続けざまに四番を武夫が演奏し終えたところで休憩に入った。



「いやぁ、いきなりぶっ込んできたねぇ。けど、掴みはばっちりだったよ」


 麦茶が入ったグラスを片手に、永山先生がそう言えば。


「タケオ君、わたしもあのアレンジは聴いたことがないな~。教室でまた聴かせてね」


 と、木下先生。


 武夫も冷たい麦茶で喉を潤し、少々やり切った感を出して椅子にもたれかかるように体と精神を休めた。


「さぁ、お客さんもお待ちかねだ。武夫君、続きと行こうか。ダレてる場合じゃないよ」


 二人でステージの最前に歩み出ると、会場からは拍手で歓迎される。


 そこからはリベルタンゴのジャズアレンジの連弾から武夫の鍵盤ハーモニカソロ、モーツァルトのピアノ協奏曲をデュオ、シューベルトのアヴェ・マリアの連弾アレンジ、永山先生作曲の武夫編曲をデュオで、永山先生の自作ノーアレンジソロを二曲演奏し終えたところで終演となった。


 けれどもお約束のアンコールがあるわけで、一旦ステージ袖に戻った二人が終わらない拍手に応えるように再度登場し、ルパン三世78’の連弾ジャズアレンジを二人で演奏して大盛り上がりのうちにリサイタルが終わった。


 かに思えたのだが。


「もう一曲行こうか。ラ・カンパネラ弾いてないよねぇ、武夫君。演目にはあるわけだから最後に弾いてこようか」


 そう言われて武夫は永山先生に押し出される形で再々登場し、大きな拍手を浴びてリスト編曲のラ・カンパネラをクラシカルに弾ききるのだった。


「これで終わりですよね」


 再度のスタンディングオベーションに送られる形でステージから引き揚げてきた武夫は、そう言って疑問の視線を永山先生に送っている。


「うん、これで終わり。さ、武夫君は先に帰って。木下先生お願いします」


 リサイタルが終わっても演者の仕事はまだ終わらない。サイン会が開かれたり、来客や招待客の相手をする場合が多い。今回は永山先生がそれを引き受けると武夫は聞かされていた。


 だから素直に木下先生に手を引かれ、逃げるようにタクシーで会場を後にしたのだった。


 楽屋に残された永山先生の元に、招待されていた音楽家たちが訪れてきた。


「あれ、吉崎君は帰っちゃったの?」

「ええ、かなり疲れていたようなので先に帰しました」

「それは残念だねぇ。こんど紹介してよ」


 招待客を代表するかのように話しかけてきた御仁は、日本を代表するピアニストの一人でもあり、永山先生の師でもある高平五郎という六十代の人物だった。彼はすごくフランクな性格のようで、その話し方には外連味がない。


「機会があれば」

「それにしても、なぜに彼は今まで無名だったの? 編曲家としては数年前から知ってるけどさ。奏者としてあれほど上手いとは驚いたね。世界に出ても良いところまで行けるだろうに」

「彼はコンクールには興味がないそうですよ。なんでも人と音楽で競い合うのが嫌いなようで」

「なんと勿体ない」


 高平先生と永山先生を囲むようにしている招待客たちも、ウンウンと頷いている。


「彼は言っていました。彼の音楽は彼自身が楽しむためのもの、聴衆を楽しませるためのもの、共に演奏して共に楽しむためのもの。だそうです」

「聴衆を楽しませたいなら、コンクールに出て名を売れば早かろうに」


 惜しそうにそう言った高平先生に永山先生は言うのだった。


「だから彼を引っ張り出したんですよ。コンクールに出ずとも、我々が表舞台に引き上げてやれば良いじゃないですか」

「それもそうだねぇ。よし、今度のコンサートに誘ってみるか」

「あ、高平先生、彼は今後六年ほどは勉学にも力を入れるそうです。なんでも、旧帝大合格を目指しているとか。だから誘うのは難しいかもしれませんよ」

「なに? 音大志望じゃないのか。それはまた奇特な……」

「まぁ、彼なりの考えがあるのでしょう」

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