第13話:永山邸

 時は流れて一九八二年八月初旬、小学六年生になった武夫は一人で東京に来ていた。今では体型もスラっとしていて身長も160cmに達している。前世の小六時より7cmも高くなった。


「おお、武夫君こっちだこっち」


 小金井市の駅のロータリーに車で迎えに来てくれたのは永山先生だ。武夫はあれから二回、永山先生の仕事を受けた。編曲した曲数は総計二十曲になる。


 この三年間、武夫は一度も表舞台、すなわちコンクールや発表会に出場しなかった。ただ、ピアニストや音楽家、コアなファンの間では彼の編曲が話題になっているらしい。彼は永山先生や木下先生以外の仕事は受けず、さらに極力正体がバレないようにとお願いしているのだが、どうやらそれも限界に達したらしい。


 さらにピアノの腕前も、永山先生と共演しても引けを取らないほどに上達していて、どうせならピアノの腕前もついでに披露してしまおうと、リサイタルで共演してくれないかという懇願にも似た要請があった。しかたなく父と母に相談した彼に、父は「やっとその気になったか」と喜び、母は「ご迷惑おかけしないようにね。体には気をつけるのよ」と心配ばかりしていた。


 会場が東京になったのは、ご近所さんや同級生に武夫のことがバレないようにするためだ。NETがまだ普及していない一九八二年では、テレビやラジオ、新聞や雑誌で紹介されないかぎり武夫が暮らしている九州までは情報がほとんど伝わらない。当初永山先生は会場を福岡にしようと提案してきたが、武夫が東京を希望したのである。


 ちなみに、小四になった妹は、全国大会で入賞したりするほどに上達しているので、近所では武夫よりも圧倒的に有名人である。一番下の妹は音楽に興味を示さず、ごくごく普通の小学生だ。上の妹は将来は音大に行きたいと言っているから、自分の収入でなんとかしようと彼は考えている。


 というのも、編曲家としての武夫の年収が扶養家族から外れる金額を越えていて、彼は母を法定代理人に、個人事業主として登記している。事務作業は母と税理士任せだ。


 さらに、すでに小説も書きはじめていることから、これが入選して出版されるようになると父の収入を越えてしまうことになる。そのときは母に所長なってもらって事務所を開く予定だ。


 というのも、父は子どもからお金を決して受け取らない人だから、母に所長になってもらって、その給与を家計の足しにしてもらおうと武夫は考えている。そうすれば父は趣味の釣りにもっと行けるようになるし、車の買い替えだってできる。


「観客は何人くらい来るんですか?」

「3000人強の会場だからね、今回は武夫君が出るって言っちゃったから間違いなく満員になると思うよ」


――うげぇ、この人本格的に外堀埋めはじめた。でも3000人か……。




しばらくして、いかにも高級住宅街のなかほどにある永山邸に着いた。


――うん、俺ん家とはレベルが違うな。


 武夫はこの豪邸に三泊四日でお世話になる予定だ。


「さあ入ってくれ」


 しばらく家の中を案内された武夫に、永山さんの家族が紹介された。


「奥さんの絵里子と息子の義和だ」

「永山絵里子よ。武夫君、はじめまして」

「はじめまして、吉崎武夫です。お世話になります」

「永山義和、小六だ」

「吉崎武夫です。僕も小六です」


 義和はちょっと横柄な態度でぶっきらぼうに挨拶してきた。その態度に、永山先生がゴツンと拳骨を落とす。


「武夫君は吉崎朋子さんのお兄さんで、彼女は彼の教え子だぞ。ちなみにだが、彼のピアノの腕前はプロ級だ。お前では足元にも及ばん」


 永山先生が義和に耳打ちした声が、耳が良い武夫には聞こえていた。余計なことまで吹き込んでいるのは息子をたきつけたいからだろうか。そうとしか武夫には聞こえなかった。義和は目を丸くして固まっている。


「あ、あのぅ、お兄様はなぜにそのぅ、無名でいらっしゃるので? コンクールでお見かけしたこともありませんし」


 武夫は義和のあまりの変貌ぶりに吹き出しそうになった。けれどもなんとか堪えて微笑む。


「ふつうに話していいよ。それでね、僕は競いあうためにピアノを弾きたいわけじゃないんだ。僕がピアノを弾くのはただ楽しみたいだけ。ああ、勘違いしないでね。コンクールを批判しているわけじゃないんだ。ただ、僕が出たいって思わないだけ。それにね、今の段階であまり目立ちたくないっていうのもある」

「お前変わってるな。でもその考え方、嫌いじゃない。それでさ、なんでギター背負ってんの?」

「ああ、これは練習を欠かしたくないからもって来たんだ。ピアノほどではないけどギターにも力を入れてるからね。将来バンド組みたいし」


 ちなみに武夫は鍵盤ハーモニカも持参している。それも父に買ってもらったやつではなく、結構なお値段がした高級品だ。


「ふーん、でもさ、ギター弾くとタコとかできるだろ? ピアノに影響出るんじゃないか?」

「タコができたくらいで音が変わるようじゃまだまだって僕は思うよ」

「なんかカッケーな、それ」

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