第12話:棚から牡丹餅

「武夫君、編曲家としての君の力をぜひとも貸してほしい。これはピアニスト永山栄一としての正式な依頼だ」


 この人はなにを言っているのだろうか? それが武夫の正直な感想だった。けれども、そう思っているのは武夫だけだったようだ。


「やっぱりそうなりますよね」


 目を丸くしている武夫を横目に。木下先生は納得顔でそう言った。


――一曲だけじゃないよなぁ。どうしよ……今の時点で世間に注目されたくないんだよなぁ。


「あの、本気で言ってるんですよね? からかってるわけじゃないですよね?」

「もちろん本気だとも。ボクはね木下先生のリサイタルを聴いて衝撃を受けたんだ。新感覚というか今までにない構成のアレンジ。コード進行の斬新さ。完成度の高さ。ぜひとも力を貸してほしい」


 永山先生の勢いに武夫は気おされている。けれどもその真摯な姿勢には断れない力があった。こんな小さな子供にこれだけ対等な振る舞いができる大人を武夫は知らない。


「分かりました。一曲じゃないですよね」

「そうかやってくれるか。嬉しいねぇ。曲数は六曲を考えているよ。二曲が僕の未発表オリジナルで、四曲が既存の曲だ」


――六曲……いくら貰えるんだろう?


「えっと、永山先生。さすがに武夫君一人に決めさせるのはマズいです。お母さんをお呼びしましょう。お金の話もありますし」

「うん、それもそうだな。少し逸りすぎたよ」

「では、わたしはタケオ君のお母さんに連絡を取ってきます」


 木下先生はそう言って席を外した。


「お母さんが来るまで時間があるな。武夫君、連弾しようよ。さっきの曲を聴いてね、ボクも弾いてみたくなったんだ」


 なかば強引に低音側の椅子に陣取った永山先生が、パンパンと椅子の空いている方を叩いて武夫を促す。武夫はヤレヤレと思いながらも、態度に表すことなく彼の隣に腰かけた。


 すると間を置くことなく武夫アレンジのベースを弾きはじめる。


――スゴイ! 一音一音が粒立ってる。


 ピアノの低音域は音がダレやすい。それが全く感じられないことに武夫は戦慄を覚えた。指の動きに注目すると、滑らかではあるがメリハリが効いている。武夫はその動きを意識して主旋律を被せていった。


 最初のうちは上手くいかない。けれども、曲が進むにつれて武夫が紡ぐ音が粒立ちはじめた。その音を聴いていた永山先生はオヤッ!? という顔をし、電話から戻って二人の演奏を聴きはじめた木下先生は目を丸くしていた。


「いやー、良いねぇ。楽しいねぇ。武夫君、チェンジだ」


 二人は素早く座る位置を入れ替わり、今度は武夫が低音部を弾きはじめた。指の動きを意識して音を粒立たせる。


――やっぱり低音域は難しい!


 それでも次第に武夫が紡ぐベースは安定していった。


「いやー楽しかった。武夫君もう一曲、今度は違う曲をやろう」

「あ、その前にトイレ行ってきます」


 武夫が退出したあと、残された二人は顔を見合わせるようにして話しはじめた。


「今の一曲で、タケオ君。ものすごく成長しましたよね」

「いやぁ、ボクも驚いていたところさ。ボクの技術をたった一曲であっさり盗んで自分のものにしてしまった。彼は一種のバケモノだよ」


 その後ピアノ室に母が訪れるまで、それは楽しそうに三人は演奏するのだった。


 慌てた様子で母が到着し、四人で話し合った結果。一曲五万円でこの仕事を武夫は受けることになった。永山先生クラスが満足するような仕事になると、本来はこれの数倍の値段になるそうだが、まだ実績がほとんどないということと、お試しの意味合いが強いということもあってこの値段に落ち着いたのである。


 棚から牡丹餅なお金が入って武夫は嬉しかったが、母は恐縮しきりというか、少し不安そうでもあった。


「あの、永山先生のピアノをもう少し聞かせてください。できれば、編曲する予定のオリジナルを一通り聞いておきたいです。編曲のイメージを固めるためにも」

「ああ、もちろん構わないよ。木下先生、録音できたよね」

「あ、はいラジカセですができますよ」


 木下先生がマイクとラジカセを用意し、永山先生がピアノを弾きはじめた。


――スゴイ!


 永山先生のピアノはテクニカルだが外連味を全く感じさせない演奏だった。ただ、曲全体のコード進行が素直すぎて彼の良さを押し縮めている。それが武夫が感じた第一印象だった。


――かなり大胆にコード進行を変えた方がいいかな。永山先生の技術を引き立てるようにもっと意外性とメリハリをつけなきゃだめだ。


 ひと通りの演奏を聴いて、武夫の頭のなかではすでに大まかな編曲方針が決まりつつあった。


「永山先生、かなり大胆にコード進行を弄っちゃっていいですか? 意外性とメリハリが足らないと感じました」

「そうそう、まさにそれだよ。もっとこうなんというのか上手く表現できないけどさ、リサイタルではもっとはっちゃけたいんだ」


 それからは曲ごとの要望を聞き取り、武夫がお眠になった二十一時過ぎに解散となった。彼の記憶にはないが、永山先生がタクシーを手配してくれて帰宅したらしい。

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