第11話:セイテンのヘキレキ
一九七九年六月半ば、今日も武夫はピアノ教室でレッスンを受けていた。
「うん、だいぶ良くなったね。とくに終盤のアルペジオが気持ちが入っていて良かったわ」
「ありがとうございます。ところで先生、先週のリサイタルはどうだったんですか?」
木下先生の顔がぱっと明るくなった。
「そうそう、聞いてよタケオ君。すごく評判良かったの。いつにも増して拍手も長かったし、スタンディングオベーションしてくれた方もも多かったのよ。それに、永山栄一先生も聴きに来てくれて大絶賛を受けたわ。すぐに帰られたけどね」
「良かったですね。ところで、永山栄一先生って誰ですか?」
木下先生は、一瞬呆れたという顔をしたが、すぐにしょうがないなぁといった感じで教えてくれた。
「永山先生は日本でも有数のピアニストよ。音大時代のわたしの先輩で、懇意にして貰っているの」
「へぇ~そうなんですか。それは良かったですね」
有名人とはいっても、知る人ぞ知る有名人なのだろう。テレビで見たこともないし、そもそも武夫は世界的なピアニストすら知らないのだ。前世で言えば盲目の世界的ピアニストくらいしか知らなかった。クラシック音楽やピアノに興味がない人は、ほとんどが知らないのだろう。
「では、今日も最後にいつものやつをやりましょう」
いつものやつとは、レッスンが終わった後のお楽しみの時間。連弾したりセッションしたりするフリーな時間だ。木下先生はヴァイオリンが弾けるし、この教室にはアコースティックギターもピアニカもある。
木下先生と武夫で毎週交互に曲目を選んで演奏するのだが、今日は武夫が曲目を選ぶ番だ。彼は椅子の左側に座ると低音域のベースを弾きはじめた。
「そうきたかぁ。でも、面白そうね」
武夫が選んだ曲、それはルパン三世のテーマ78’だった。今でもテレビ放送されているアニメの主題歌。それを武夫がトリッキーなジャズ風味にアレンジした。子気味よくてイカしたテンポのペースに合わせて木下先生も即興で主旋律を合わせていく。
二人がそんなことをして楽しみだしてすぐ、ピアノ室のドアがそっと開けられ、一人の男性が入室してきた。見たところ三十代前半で背が高く、カジュアルなスーツを身にまとっている。
男性は、演奏する二人の様子を楽し気に、そして少しだけソワソワしたような、いかにも加わりたいような雰囲気で眺めている。木下先生も武夫も、彼の存在には気づいていない。
サビが終わってアウトロに入る手前、木下先生がアドリブソロをぶっこんできた。曲の雰囲気に合わせたおしゃれなメロディーだ。二人は視線を合わせてお互いを認め合うようにうなずき、タイミングを合わせてアウトロに合流する。
「もう一回行くよ」
今度は席を入れ替えて木下先生が武夫のベースアレンジをコピーしてきた。武夫は彼女の演奏とはアレンジを変えて、テクニカルな旋律を奏でていく。一回目のうっとりするようなおしゃれな雰囲気とはとはガラりと変わって、アダルティーでムードあふれる演奏になった。
最後は武夫も極めてテクニカルなアドリブソロをぶちこみ、演奏を終えたのだった。その瞬間、二人の背後から大きな拍手が聞こえてきた。二人は同時に振り返り、いつの間にか侵入していた、たった一人のオーディエンスと目が合った。
「ブラボー! 楽しそうだね。ボクも混ぜてくれないかい」
「永山先生!」
「来ちゃったよ木下先生。突然でゴメンね。やけに上手かったけど、その子は秘蔵っ子かい?」
「ええ、今教えている生徒ですよ」
「プロ並みの腕だったけど、初めて見る顔だね」
「ええ、コンクールには出てませんから。それに、今の曲もこの子がアレンジしたんですよ。スゴイでしょう」
「え!? 木下先生のアレンジじゃないの?」
永山先生が武夫の顔を、信じられないとばかりにまじまじと見ている。すると表情が鋭くなり、視線は武夫のとある一点へと突き刺さった。つられて武夫がその場所を見ると、そこには吉崎武夫と母の字で奇麗に書かれた名札があった。
下校してから着替えもせずに教室に来たのがマズかったようだ。永山先生が何かを振り払うように頭を振って、武夫を信じられないような目でまじまじと見た。
「君が木下先生の曲を編曲した吉崎武夫? こんな小さな子が?」
「そうなんですよ。タケオ君は演奏も上手いですが、編曲家としての力はそれ以上なんです」
「いやぁ、天才って本当に居るんだね。よくこんな子を見出したよ、木下先生」
「二年前にこの子のお母さんのお友達から話があったんですよ。それで永山先生、今日はどのようなご用件で?」
「ああそれそれ、ボクは編曲家の吉崎武夫さんを紹介してほしくて木下先生に会いに来たんだよ。もう会えちゃったけどね」
この青天の
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