第3話:バタフライ効果
一九七四年五月。
「継美のところ生まれたって。男の子だそうよ」
夕食のおり、母が父にそう告げた。そして武夫は意味が分からなかった。継美とは母の二歳下の妹だ。
――は? 男? 継美叔母さんのところの第一子は女だったはずだ。俺の三つ下だから間違いない。俺の妹は前の人生でも妹だったから気にも留めていなかったが、これはバタフライ効果?
武夫はもぐもぐと咀嚼しながらも考える。ここは平行世界なのだろうかと。冷静になってみれば、過去の自分にタイムリープしたのだからそこで世界線が分岐した。そうとしか考えられない。ここは平行世界だ。でないとパラドックスが発生してしまう。
――いままで考えもしなかった。
よくよく考えれば、バタフライ効果は必ず起こる。それも盛大に。小説とかの逆行転生の歴史ものでは、歴史どおりに歴史上の人物が生まれてくるが、それはありえないのだ。
たとえ逆行転生した主人公が歴史上の人物に直接かかわらなくても、接触した近親の人物の行動は必ず変化するわけだから、その変化が知人から知人へと必ず伝播していく。となれば生まれてきた子の性別が同じになる確率は二分の一だ。その理由は受精の仕組みを考えてみればすぐに理解できる。
――そうとしか考えられないよな。
継美叔母さんの例で考えてみると、武夫の行動が変わったことで彼女の行動も変わっていることは間違いない。ここで彼女の行動がどれだけ変わったかは重要ではないのだ。
たとえば継美叔母さんの子どもが受精したときを考えると、そのとき彼女の夫の動きが一秒でも遅かったり早かったりすれば、卵子に受精する精子は別の精子になるはずだ。
受精する精子が代れば、当然受精卵の遺伝情報も別なものになる。一回の射精で精子の数は数億にもなるわけだから、一秒の違いでも全く同じ精子が受精する確率は極めて低くなる。いや、たとえまったくの同時であったとしても、それまでの夫の行動が変われば、精嚢内での精子の位置関係はシャッフルされたかのごとく変わるわけだから、受精する精子は別のそれになる。
――ていうか、それ以前の問題じゃん。
仮に武夫が前世とまったく同じ行動をとったつもりでも、それには僅かなズレがあるだろうし、ましてや同じ行動をとっていないわけだから、その違う行動が母に伝播し、継美叔母さんやその夫にも当然伝播する。
となれば、継美叔母さん夫婦の行動は前世から必ず変化するわけだし、減数分裂時の卵子の遺伝情報ももちろん変化し、おなじく精子の遺伝情報も変化する。しかも精子は数億もあって、それがシャッフルされてそのなかの一つが受精するわけだから、受精卵の遺伝情報は前世とは絶対に同じにはならない。
――逆行転生の歴史ものに騙されていたのか。
そこまで考えると、例えば逆行転生モノの主人公がどれほど注意深く歴史に関わらないように行動したところで、いや、たとえ歴史どおりの行動をとったつもりでも、僅かに違いが出るはずだから、その違いは人から人へと必ず伝播していく。
いや、逆行転生した歴史上の人物がとった細かな行動なんて、転生した主人公に分かるわけがない。となれば、歴史どおりに歴史上の人間が生まれてくるなんてことは絶対にありえないということが理解できる。
――ということはだ。俺より年下の人間は前世とは兄弟姉妹程度に違った人物になるってことか。性格とか性別含めて。生まれなかったり、余計に生まれたりもするのだろう。バタフライ効果の伝播速度がどのくらいかは分からんけど、それはまぁ考えないでおこう。多分数日で世界中に広がるのかな?
――いやいや待てよ。となれば俺より年下の人物が作曲した曲も生まれないし、創作物も生まれない。というか有名人全てが別人になるわけで、バブル崩壊も起こらない?
――いや、それはないか。マクロ的な経済の動きは似たような進行になるはずだし、当時の社会をけん引している人々は俺よりも年上のはずだ。規模とタイミングは変わるだろうけど、必ずバブル崩壊は起こる。
――となれば、歴史が大きく変わるのはそれ以降か。俺より年上の人物は性格から何から前世と同じなわけだから。
――まぁ、でも、第一は雅美との関係だし、起こるはずの歴史的事件事故を防ぐみたいな、積極的な歴史改変なんかするつもりはない。
――というか、歴史的事件事故が前世の歴史どおりに同じタイミングで起こるとも思えないしな。
そんなことを考えながら咀嚼を続ける武夫だったが、彼の食事量は一般の三歳児よりかなり多い。前世の武夫は背が低くてガリガリだった。だから小さい時からよく食べて、少しでも大きくなろうと努力しているのだ。前世で彼の身長は163cmだった。だからせめて170cmは欲しいと切に願っている。
――チビはモテないからなぁ。
武夫は大嫌いなピーマンも、目じりに涙を浮かべながらもモグモグと食べる。そんな様子を母は微笑ましそうに眺めている。前世の彼は小さいころから好き嫌いが激しくて小食だった。それが低身長の原因だと思っている。だから出された食事は加工食品以外残さず食べるのだ。そしてお腹がいっぱいになるまで必ずおかわりする。
少しでも量を食べ、少しでも大きくなろうと武夫は努力する。父も母も身長は低い方だ。けれども父は前世の彼より少しだけ背が高かった。それを心の支えにして彼は食べ続ける。
――もっと食うぞ。ゲフゥ。
おかげで今の武夫は三歳児にしては大きい方だ。少しぽっちゃり気味だけど大きい方だ。それを自覚している武夫は、ニマニマとしながらゲップをし、食事を続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます