第4話:修行の成果

 一九七五年二月、武夫は四歳になった。ピアニカと英語の本格的な修行を始めて二年が経過している。ほぼ独学だが、予想を超えて上達した自覚が彼にはあった。


 まずピアニカだが、普通に聴ける程度には両手で弾けるようになった。総当たりと自分の耳で和音を調べ、左右の手指は自由自在に動かせるようになっていた。弾けるのは童謡とか母に教えてもらった初心者用の練習曲だけだが。


「母さんに感謝しなくちゃな」


 武夫の上達ぶりをみて、母が積極的に修行に関わってくれたことも大きい。三歳になってしばらくして、母は『子供のバイエル』上下巻を買ってきてくれた。


 母はピアノを弾けない。だからバイエルを読みながら、武夫に練習のしかたを手ほどきしてくれた。彼は文字を読めるが、それを積極的に両親に伝えてはいない。だから母はバイエルを指さししながら読んで教えてくれる。


 唐突ではあるが、我が家は貧乏だ。それというのも、今年の四月に家を新築するからだ。父の給料は安いが、失業の恐れがほぼ無い公務員だ。それをよりどころに、退職金までをあてにした四十年のローンを組んで一軒家を新築するのだ。だから父がまだ若い今現在は、いろいろと切り詰めた慎ましやかな生活をしている。


「思い切ったことするよなぁ、父さん。でも前世ではそのおかげで助かったわけだし。感謝しなきゃ」


 それは置いておいて、バイエルを読み込んだおかげで楽譜が読めるようになった。母に音符や記号の意味を聞きながら、ピアニカの鍵盤を押して楽譜を理解していった。半年もすれば、母の補助無しに楽譜からピアニカを弾くようになっていた。


 けれどもここで問題が起こる。バイエルはピアノ用の教材だ。ピアニカの鍵盤数では少なすぎて楽譜通りに弾くことができない。だから武夫は、ピアニカでも弾けるようにベースのキーを高くしたり、音を抜いたり足したりとか転調を駆使しながらピアニカを弾いている。


 それにもようやく最近慣れてきて、なんとか聴ける音が出せるようになったのである。


「なんとかなるもんだな。為せば成るってことか」


 英語に関しても、予測を越えて学習が進んでいる。今の調子でいけば、今年四月の幼稚園入園までには辞書一冊の丸暗記が終わりそうだ。


 しかも単語を覚えるだけではなく、例文を読み解いて文法や慣用句もあらかた覚えた。前世で聴いたネイティブ発音の記憶を頼りに発音記号の意味を調べて、両親がいない時を見計らって発声練習も進めている。


「幼児恐るべしだ」


 幼児の驚異的な習得能力を武夫は実感している。なに事に関しても、やればやるだけ習熟し、それを忘れない。それに加えて大人の怠けない意思と集中力や知識が加わるのだ。驚異的な成果が出たのも当たり前だろう。


 おかげで今では、ネイティブの発音もある程度は聞き取れるようになった。テレビを見ていてたまに聞こえてくるネイティブの英語。その意味が分かるようになったときには感動すら覚えたものだ。


 ピアニカに関してもそうだ。左右の手指を別々に同時に動かすのに、最初のうちはものすごく苦労したが、練習すればするだけ動きがスムーズになっていった。やりはじめたときは苦行だったが、上達していくにつれて苦行は楽しみに変わり、ますます上達の速度を上げていった。


「ことわざって、やっぱり本当のことだったんだな」


 案ずるより産むが易しではないが、習うより慣れろ、鉄は熱いうちに打て、そんなことわざを実感した武夫だった。それから習い事は三歳からはじめろと言われている理由も、彼には実感を持って理解できたのである。





「先生をつけてあげられなくてごめんね」


 母がよく口にする言葉であるが、武夫はバイエルを買ってきてくれて、勉強までして教えてくれた母にものすごく感謝している。だから彼は、笑みを湛えてこう返すのだ。


「せんせいにならうより、おかあさんがいい」


 プロを目指しているわけではない。音楽をやる一番の理由は、ピアノを弾くのが好きだった雅美と趣味を合わせるためである。尊敬の目で見られたいという欲望もある。趣味が同じであれば彼女とも打ち解けやすくなるはずだ。それ以上の関係になる足掛かりにもなる。


 優先順位が違うのだ。先生をつけてもらうということは、発表会なりコンクールなどに出場して入賞を狙ったり、順位を競い合ったりするということだ。最終的にはプロを目指すということになるのだろう。


――優先すべきは雅美なんだよ。それを忘れちゃダメだ。


 雅美と楽しい時間を過ごすために武夫は音楽を学習している。ピアノのプロになりたいわけではないし、競い合いたいわけでもない。


 発表会とかコンクールではほぼほぼクラシック一択になる。それも武夫が先生をつけてもらおうと思わない理由のひとつだった。クラシックを嫌っているわけでも、面白みを感じないわけでもない。クラシックは歴史ある一分野だし、聴けば感動もする。弾いたら弾いたで面白いし、上手くなりたいとも思っている。


 けれども、クラシックだけをメインに練習しまくるというというのは、武夫がやりたいことではないのだ。彼はロックとかメタルもやりたいし、ジャズとかポップスにも興味がある。総合的な音楽が好きだしやりたいのだ。


 前世では好きで聴くだけだった。音楽を聴くことはただ一つだけの趣味だった。けれども自分で演奏できるようになると、音楽がより楽しくなった武夫なのである。英語に関しても同じことが言えるだろう。上達すれば楽しくなるし好きになる。それが好循環を生んでより上達し、より楽しくなるのだから。

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