第12話 小夜子1

 地上に戻るとゲート付近には人だかりができていた。どうやらダンジョンの進入手続きは完全に停止しているらしい。帰還手続きのカウンターにも長蛇の列ができている。冒険者の他にも見慣れた制服姿の職員の姿も、チラチラと見受けられる。どうやらギルドからも応援が来ているみたいだった。

 顔に見覚えのある職員さんに声を掛けて小夜子さんが居るか尋ねると、彼女はギルド会館に居残りらしかった。

 帰還手続きのカウンターに並ぶことを諦めて、ギルド会館の方を目指す。帰還手続きは基本的にゲートのカウンターで行うことになっているけど、暗黙の了解としてギルド会館でも行える。採取物の鑑定や納品、クエストの完了報告はそちらで行う都合上、どうしても2度手間になってしまうからだ。馴染みの受付嬢に認めてもらった探索者だけが行える、ちょっとした特権だった。

 ギルド会館の中は人が出払っているせいか、受付カウンターの数がいつもより制限されていた。小夜子さんがいつも陣取っているカウンターを探すと、彼女はその中に居た。平時よりも探索者の人数は少ないけど、その分ギルド内の職員は皆、書類仕事に追われている。小夜子さんも塁にもれず、カウンター内に大量の書類と付箋を持ち込んで、上等そうなボールペンを走らせていた。

 ……少し、表情が硬い気がする。機嫌が悪そうにも見える。どうしたんだろう?


「小夜子さん」

「…………?」

「帰還報告して欲しいです」

「――――ッ!」


 私のことを認識した小夜子さんはみるみる顔色を変えて、席から立ち上がる。しなやかな手が伸びてきて、カウンター越しに私の頬をギュッと挟み込むように掴んだ。


「ふにゅ」

「あ、あんた、なんでここに居るのよ……」

「や、だから帰還報告です」

「ゲートの方でやってたでしょ?」

「だってあっちは並んでました。いつもやってくれるじゃないですか。暗黙の了解ってやつで」

「今日は誰も抜けられないようになってたはずなのよ」

「そんなこと言われても、分からないです」


 だって誰にも見咎められなかったし。

 そう伝えると小夜子さんは、ふにゃふにゃとカウンターの上に崩れ落ちる。


「小夜子さん? 手続きは?」

「……ちょっと待って。今再起動するから」


 小夜子さんは突っ伏したまま、「うーー」とか、「あーー」とか奇声を漏らす。たっぷり数分間そうしていた後、急に起き上がると自分の頬を両手でバチンと叩いて、固定電話を手に取った。……帰還報告は?


「もしもし、九重です。吾妻唯ですが、こっちに居ました。……はい、本人は無事の様です。これでうちのゲートから潜った探索者は、全員かと。…………、よろしいのですか? ……はい、承知いたしました。警戒態勢は何段階落としますか? はい。そのように」


 小夜子さんはカウンターから立ち上がると、ギルド会館にいる職員全員に向けて声を張り上げる。


「チーフから指令でました! 警戒態勢は一次警戒まで落として、臨時チームは解散です! お疲れ様でした!」


 お疲れ様でした、とギルド会館内のあちこちで声が上がる。途端に室内の空気が変わったような気がした。緊張から解き放たれた反動だろうか。ふにゃふにゃとした温かい雰囲気に包まれた。


「あー、しんどかった」

「小夜子さん」

「ああ、そうだったわね。帰還報告だけ?」

「納品も良いですか?」

「銀呪草取れたんだ。見せてみな」


 テーブルの上に今日刈り取った銀呪草を並べる。


「うん、間違いないわね。約束通り色を付けてあげるわ。やったわね、ちょっとした臨時収入よ。ほら、タグ出して」

「絶対今日は収支マイナス……」


 投げナイフはともかく、スティレット3本分とポーションの損耗は痛い。後、無理もしたから外套を修繕に出したい。

 タグ差し出すと小夜子さんは専用の機会で読み取り、パソコンで入力をし始める。


「……もしかして、また無茶した?」

「別に? いつも通りですよ」

「前髪、焦げてるわよ。それから服も」

「…………」


 どうにも旗色が悪いようなので、口を紡ぐことにした。小夜子さんもそれ以降は何も言わずに、カタカタとパソコンを叩いている。


「できたわよ。内容確認して」


印刷紙を受け取って、読んでいるフリをする。形だけでもやっておかないと、小夜子さんに怒られてしまう。


「小夜子さん、現金が欲しいです」

「分かった。何円?」

「2万円」

「何度も言ってるけど、電子決済覚えた方が楽だよ? タグで簡単にできるから」

「……苦手です」

「うん、知ってる」


 いつも通りのやり取りをしてから、分ギルドの口座から引き出してもらう。万札が一枚と五千円札が一枚、それから千円札が五枚。小夜子さんは器用に札を弾いて数えてくれる。それを受け取ったら、今日の用事はおしまい。


「あ、唯。あんたこの後時間ある?」

「……何も無いですけど」

「そう。じゃあ少し待っててよ。急な仕事を頼んじゃったし、夕飯ぐらいは奢るわよ」

「忙しいんじゃないですか?」

「昼勤からの居残り組はもう終わりよ。こんな書類の束はドーンよ。明日以降の私の仕事。後は知らん。割とマジで」


 手元にあった書類を放り投げ、小夜子さんは帰り支度を始める。そうしている間にも先に仕事を終えた職員が一人、また一人と挨拶をしてから帰って行く。小夜子さんも声を掛けられると、「お疲れ様でした」と愛想よく答える。このやりとりがこの職場の日常なんだろうと、何とはなしに察せられた。


「お待たせ。どこに行きたい? ……と言ってもその恰好だと、限られるか」

「着替えて来ましょうか?」

「私はそれでもいいけど、唯の手間じゃない? いつものところでもいいんだったら、このままいけるんだけど」

「あそこで大丈夫です」

「分かった」


 連れ立って向かったのは、探索者御用達の飲み屋。中世の酒場をイメージして作られた、探索者向けの店だった。木組みの室内に入るとダンジョン帰りの、外套や鎧を着た客で溢れている。作業着やツナギでも問題なく入って飲める居酒屋の、探索者版とでも言えばいいのかな? 流石に血まみれだったり、汚れが酷かったりした場合は入れないのだが、探索者であればある程度は皆受け入れてもらえる。そんな経営方針が受けて、今ではギルド関係の施設がある町では最低一つはこの店の系列のチェーン店があったりする。

 ギルド職員の制服姿の小夜子さんと汚れを大まかに拭き取った私は、二人掛けの席に案内される。


「唯、何飲む?」

「えっと、檸檬サワーで」

「じゃあ生一つと檸檬サワー。モロキュウ、生ハムサラダ、牛筋煮込みと、……あ、串で砂肝だけ三人前。唯は?」

「唐揚げ」

「唐揚げね。他には?」

「たこ唐」

「……どっちかにしない?」


 小夜子さんはテンポよく注文を入れていく。店の雰囲気に反して、注文はタブレットだった。中途半端に近代化されていて、アンバランスな感じ。でも、女性店員さんの服装は素直に可愛い。胸元の開いたエプロンドレス。お腹の周りをコルセットで締めている。短めのスカートの裾がパタパタと揺れ動く。


「あんたも好きねぇ」

「可愛いじゃないですか」

「いや、肌出し過ぎてて、見てて恥ずかしくなる」

「小夜子さんの制服も可愛いですよ?」

「はいはい」


 そんな話をしている内に、飲み物と出が早いつまみが運ばれてくる。


「それじゃあ、乾杯!」

「かんぱい」


 口を通って胃の中に炭酸が落ちる。少し集中して『毒耐性』を外すと、アルコールが回り始める。体がポカポカする独特の感覚が広がっていく。


「くはー、やっぱりビールのものよ……」

「美味しいですかね、それ」

「究極的にはこれだけでいい」

「苦いだけじゃないですか」

「そんなことないわよ。ちゃんと風味と、それから爽快感もある。……というか苦いのが駄目って理屈だったら、コーヒーも同じじゃない。唯、コーヒーはブラック派だったよね?」

「あれはいいんですよ。苦いだけじゃないですし、苦いのも別に悪くないです」

「なんか、矛盾してない?」

「…………」


 自分で言っていても、何だか変だと感じてしまう。釈然としないし言い返したいのだけど、あまり頭の回転が良くない私では、胸の中のもやもやを救い上げて形にすることができない。……いや、やっぱりビールとコーヒーを一緒に考えるのは変だよ。


「要するに慣れの問題なのよ。続けて飲み続けていれば、ビールの美味しさも分かるようになるわ」


 そう言うと小夜子さんはビールを飲み、ジョッキを一つ空にする。そうして飲み終わった後に、二ヒっと笑う。小夜子さんの気の強そうな印象が、ふわりと緩む。それを見ると何故だかドギマギしてしまって、私も檸檬サワーを飲み干した。

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