第7話 人型殺し1
牛って、赤色を認識できるんだったっけ? とっさに赤色の布を巻いたナイフを投げてしまったのは、昔テレビで見た闘牛の記憶のせいだろう。
『投擲』のスキルによって真っ直ぐ顔面に、意識しやすい程度の速さで投げナイフは向かっていく。視界を頼りにしている生き物である以上、顔に向かって来るものは生理的に無視できない。魔物の注意が投げナイフに一瞬逸れる。その僅かな時間があれば、潜り込める。『隠密』は私の一番の得意分野だ。ましてや相手は魔物と言えど、私と同じ人型なのだ。
『歩行』は本来行軍用のスキルだ。重武装の前衛や、ボーダーなどが長時間の移動の負担の軽減をするために使用する。ただ、ある程度まで熟練度が上がると、それを悪用できるようになる。本来であれば3割増しくらいで発生する過剰な運動エネルギーを無理やり跳ね上げれるようになる。私で言えば、最大2倍ほど。それに加えて『震脚』を同時発動させることにより、スキルの共存効果により、運動エネルギーは更に跳ね上がる。
魔物との距離はおおよそ10m。大体3歩分の距離を『歩行』を使用し続けて加速し、最後の一歩を再び『震脚』で強制停止。僅かに浮き上がりながら運動エネルギーを全て上半身に移す。スティレットを『抜刀』のスキルを発動さえながら逆手に引き抜くと、鞘から引き抜くという動作に過剰に加速が発生する。掌で回すようにスティレットを純手に持ち変え、『震脚』で無理やり変換した運動エネルギーを腕先に乗せて、最速の『刺突』を放つ。
牛顔の魔物は嗤っている。どうしてそんな風に楽しそうなんだろう? 魔物の浮かべる表情は妙に人間味があって気持ちが悪い。貧相な投げナイフに何ができるのだと、嘲笑っている。余計な知能を得て、人をいたぶり殺すことに慣れた魔物の顔だ。胸に、スティレットが刺さる。鋼鉄のような筋肉を突き抜けて、肋骨をすり抜け、心臓に突き立てる。
『グモゥゥ!?』
胸元から発生した衝撃で、魔物が吹き飛ぶ。同時にスティレットが根元から折れた。店売りの中ではグレードは高い方ではあるけど、スキルの5連結にもなると流石に耐えられない。
「痛いなぁ……」
痺れた指先を、プラプラと振ってほぐす。それにしてもこの魔物は、何なのだろうか? この辺りで見かける種類ではないはずだけど。
倒れた魔物は、刺された胸の辺りを必死に掻き毟っている。よく見れば傷口がジュクジュクと音を立てて蠢いている。
『ブモゥ!』
魔物は片手で大剣を掴み、血を口から吐き出しながら倒れたまま大剣を振り回す。スキルも何も載っていないそれを屈んで避け、通り抜け様にスティレットを『抜刀』し、手首に『刺突』を放つ。
「……?」
スポンジで吸収でもされるみたいに、不自然に『刺突』が止まる。何かのスキルが発動しているのは間違いない。……どうにもコレのスキルが読み切れない。
「ねえ、コレって何なの?」
「ミ、ミノタウロス。それの、特殊個体。『超回復』と『炎魔法』を使う」
……ミノタウロス。頭をトントンと叩き、記憶を思い出す。ギルドで貸し出されていた魔物図鑑の内容だ。そっか、『物理ダメージ無効』か。
ミノタウロスは苛立たし気に私の方を見て立ち上がる。スティレットが刺さった胸元がジュクジュクと音を立てて、スティレットが自然と吐き出される。これが『超回復』の効果だろう。
心臓を破壊しても再生するのか。なら脳を壊すしかない。スキルの処理領域は脳内にある。だから頭部を破壊されると、それ以上スキルは発動しない。やることはいつもと何も変わらない。
ただ、頭蓋骨というのは中々に頑丈だ。魔物のものであればなおさら。……目にしよう。眼球から突き刺して、脳を壊す。
『ブモオォォォ!!』
ミノタウロスの突進の勢いのままに、大剣を構えて突進する。『斬撃』のスキルの乗った攻撃は、私のスキル構成では受け止めることはできない。
ミノタウロスの太刀筋は、大振りだ。大剣だからそうせざるを得ないという面もあるのだろうが、基本的には近距離の切り合いでダメージを受けることを想定していないのだと思う。ただ『物理ダメージ無効』を盾に、大質量の得物を持ち前の筋力で高速で振り回すという戦法は、上手くかみ合っていると思う。一撃でももらえば終わりだろうけど、幸いなことに私とは相性は悪くない。
振り下ろしの1撃目を、軽く横ステップで避ける。追撃の切り上げは『歩行』でバックステップに補正を掛けて、下がって躱す。3撃目の袈裟切りは『歩行』と『震脚』で無理やりに前に出て、脇の下をすり抜ける。……ここだ。
人型である以上、永遠に得物を振り回し続けるのは不可能だ。コレの場合だと、『斬撃』を乗せて振り回せるのは、3振りが限界。振り終わった後は、一瞬意識が居着く瞬間が来る。そのタイミングに合わせて『隠密』で認識の隙間に潜る。
小夜子さん曰く、非注意性盲目という現象に近いことが起きているらしい。……なにかゴリラがどうたらこうたら言っていた気がするけど、それについてはよく覚えていない。
要するに頭のキャパシティの問題で、視界の中に入っていてもその対象を認識できなくなる現象のことみたいだった。交通事故の原因になったりするらしい。私の『隠密』はそれに近い現象を無理やり引き起こしている。一度潜ってしまえば、目の前に立っていてもミノタウロスは私を見つけることはできない。
「――――ッ!」
『抜刀』から『刺突』に連結し、ミノタウロスの膝の裏からスティレットを突き入れる。『物理ダメージ無効』は発動しない。そのまま『震脚』と同時起動した『旋回』でスティレットを支点にしてミノタウロスの足を絡め取るように体を捻る。
『ブモゥ!?』
狙い通りにミノタウロスは態勢を崩し、後頭部から地面に落ちる。高速で視界が回転して、頭を打ち付ければすぐには状況を理解できない。当然呆然とする時間が生まれる。その隙があれば、また『隠密』で潜れる。『旋回』の衝撃で折れたスティレットを投げ捨て、3本目のスティレットを『抜刀』し、逆手のまま牛面の眼球に刺突を放つ。だけどそれはミノタウロスの手に突き刺さり、眼球までは届かない。素早くスティレットを引き抜いて鞘に納め、ミノタウロスから距離を取る。
……『隠密』を破られた? いや、刺さっている以上、私の姿は見えていなかったはず。だとすれば咄嗟に致命傷に成りえる場所を守ったということだろう。
ただ、いい加減コレも理解しただろう。どういう訳か目の前の人間は、『物理ダメージ無効』を貫通して、ダメージを与える手段を持っていることを。そして偶々手で守ったお陰で助かったが、自身は紛れもなく死にかけたことも。
慌てて立ち上がったミノタウロスの顔に浮かんでいた表情は、怯えだった。大剣を地面に打ち付けて、『破砕』を放つ。大剣を打ち付けられた岩盤が砕け、広範囲に砂利のつぶてが飛ぶ。一発目を余裕を持って避けると2発、3発と続けざまに『破砕』が発動する。流石に避けきれない。頭だけは守るように腕で庇いながら、今もまだ動けない探索者から離れる方向に誘導する。
何で怯えている? みっともなく砂利をまき散らすような真似までして。コイツの負け筋なんて、脳に直接『刺突』を受けることしかない。反対に防御系スキルなんて一つも無い私は、何を受けても致命傷になり得る。どちらが有利かなんて、火を見るよりも明らかだろうに。
ようするにコイツは、無邪気に一方的な殺しを楽しんでいただけなのだ。自分が害される可能性なんて、まるで考えていなかったのだろう。だから唐突に突き付けられた死の可能性に、怯え戸惑っている。……何だ、それは? ふざけているのか?
頭の隅の部分が、急速に冷めて行く。それに従って自分で動かしているはずの身体を、俯瞰的な視線で観察できるようになる。体の動かし方とスキル回しの精度が跳ね上がる。
飛び交う礫の隙間を塗って、投げナイフを『投擲』する。ダメージが無いはずの反撃が挟まるだけで、ミノタウロスの『破砕』の精度は極端に下がる。アイツに『物理ダメージ無効』が貫通される仕組みが理解できていないのだ。冷静になれば大したダメージは与えられないと分かっているはずなのに、極端な反応をしてしまうのだろう。
これならどうとでもなりそうだと考え始めた次の瞬間、
『ブモオォォォ!』
ミノタウロスの彷徨が響き渡った。
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