第5話 ミノタウロス1(佐倉透視点)

 シダを掻き分けながら進んで行くうちに、『感覚強化』を持たない私でも、徐々に血と糞尿の臭いを感じ取れるようになる。慣れているだろと言われればその通りなのだが、今日はどうにも心臓がどぎまぎしてしまう。

 リーダーたちはもはや軽口一つ叩かない。僅かなハンドサインだけを頼りに、最小限の動きで道とも呼べない藪の中を進んでいる。私はただ彼らに付いて行くのに精一杯になっていた。

 道は軽い斜面になってる。シダを掻き分ける度に、虹色の羽を持った羽虫が宙を舞う。少しでも口を開けば口内に張り付いてしまいそうな程で、より一層無口になってしまう。斜面を進めば進むほど、嫌な臭いはむせ返りそうな程に酷くなっていく。

 暫く進んで行くと、ようやく目の前が開けた。


「おい、佐倉。後ろに下がってろ。見ない方が良い」

「ここまで来て何を言ってるんです? 私だって一応探索者の端くれですよ。死体は見慣れてます」

「…………そうか」


 珍しく立ちつくしているリーダーたちを押しのけて、前に出る。

 草木の生い茂った森林の中で、倒木の関係からかここでけ開けて、光の通りも良くなっている。一面に広がった呪草の群れは、どれもが青色に染まり鋭利な光を照り返している。

 銀呪草の群れの中心には、クビが打ち立てられている。人型の魔物のものでは無い。人間の頭だ。首の根元から頭のてっぺんまで、樹の枝を削って作っただろう杭を貫通させて、円形になるように並べられている。

 視線が嫌でも刈り取られた頭に吸い寄せられる。杭の造りはいかにも適当で、並べ方も雑だった。中には上下逆さまになったまま、地面に刺されているものもある。ただ一様に、首は目を開いて円の外側を向くように、そんなところだけ几帳面に揃えられている。逆さまに突き刺された首と、視線が合う。


「……う、ゴボッ」

「だから見るなって言っただろうが。……ああくそ、ひでぇ臭いだ」


 蹲ってみっともなくえづいている私の頭上に、リーダーたちの会話が響く。


「あー、えっと、9人、いや、10人か」

「首の数だけだったら10だな。なんだこりゃ、身体の方はバラバラか。ご丁寧に腕と足と胴を分けてやがる。あちこちにばらまきやがって、とてもじゃないが数なんて分かりやしねえ」

「これ、魔物っすかね」

「はあ? 魔物がわざわざこんなサイコな真似をするか? 人だろ」

「いや人間だとしても訳分からないっすよ。なんでこんな真似をする必要があるんですか?」

「サイコ野郎の考えることなんて、分かるわけねえだろ! ああ、くそ、ひでぇ臭いだ!」

「クマ、少しうるさいぞ。上皇、どう思う?」

「魔物の中にも儀式じみた真似をする種族も存在するとは聞いていますが……」

「これがそれだと? ……悪趣味が過ぎるだろうが」


 リーダーたちの会話はことさら日常的にしているような、軽い口調だった。だが恐らく意識的にそう振る舞っているのだろう。所々様子が変で、平静とは言い難い。


「タグだけでも回収して帰るか」

「……探してはみるっすけど」

「できるだけだよ。佐倉、立てるか?」

「……大丈夫です」


 ローブの袖で口元に付着した吐しゃ物を拭って、立ち上がる。思考はフワフワと安定しない。そのくせ細部のどうでもいいところばかりに目が走って、見たものの一つ一つが嫌に頭に染み込んでいく。

 銀呪草の草むらの一面に、探索者のものだったであろう腕や足が転がっている。関節を、切れ味の悪い刃物で叩き折るように、雑に解体されている。潰れた筋肉の間に、真っ白な骨が見え隠れしている。タグは全く見つからない。


 気が付けばパーティーの全員が、バラバラの死体の中からタグを探していた。平静を装っていても誰もがおかしくなっていたのだろう。辺りには死体の臭いで満ちていて、よっちゃんの『感覚強化』でも満足に臭いをかぎ分けられなかった。そして、普段なら絶対に置くはずも見張りも行っていなかった。一番無防備な瞬間、ソレはその時をずっと待ちわびていたのだ。


「……え?」


 不意に振り下ろされた大剣が、地面を探っていたよっちゃんの胴体を、真っ二つに引き裂いた。


「米倉ァ!」


 リーダーが槍を構えて立ち上がり、駆け出す。少し遅れてクマさんと上皇も。

 視界のすぐ目の前を、よっちゃんの上半身が回転しながら通り過ぎる。


「佐倉立て! 死にてえのか!」

「……!」


 瞬間、視界が赤く染まる。よくもよっちゃんを!


「『アイスランス』!」


 即座に展開された四つの氷槍が、敵に向けて射出される。ほぼ同時に殺到した氷槍は、しかし大剣によって空中で振り払われる。


「佐倉さん落ち着きなさい。そんな調子で撃ってもあれには効かない」


 いつの間にかすぐ傍に歩み寄った上皇が、私に声を掛ける。いつもの履き違えた口調は、はげ落ちている。


「でもよっちゃんが!」

「後にしなさい。そして敵を見なさい。生き残ることだけを考えるんです」


 上皇に促されるようにして改めて襲撃者の全貌を見る。

2mを越える体躯を高密度の筋肉が覆っている。構えた獲物は赤錆の付いた大剣。恐らくここで犠牲になった冒険者のものだろう。探索者をばらしたのは、あれで間違いない。頭には曲がりくねった角が二本。特徴的な牛面は、悪戯を成功させた子供がするような、奇妙な程に人間臭い笑みを浮かべている。


「……ふざけるなよ。なんでこんな化け物が、ここにいやがる!」


 討伐等級Sランク。牛顔の魔人ミノタウロスは、歪んだ笑みを浮かべ舌なめずりをした。






 ミノタウロスの存在が最初に確認されたのは、アフガニスタンで発生したスタンピードの鎮圧戦だった。派遣されたEUの一個師団が、ミノタウロス一体になすすべもなく壊滅させられ、当時はまだ少なかったスキル持ちを総動員して討伐した。その特異なスキルの性質から、パーティーでの討伐は不可能と考えられている。


「コイツが、これをやったのか? 何の為に?」

「決まってんだろ。俺たちを待ち伏せて、狩るためだ」

「だがミノタウロスにこんな悪趣味な習性があるとは、聞いたことがねえぞ」

「……案外遊びのつもりだったのかもな。死体を惨たらしくばらまいて、それを見た人間がどういう反応をするのか、観察してたんだろう」


 ミノタウロスはゆっくりと私たち全員を見渡して、魔法スキルを使った私の方に視線を合わせる。


「ッ!」

「やらせるかよ」


 ミノタウロスが動き始めるよりも先に、リーダーが先に仕掛ける。ミノタウロスは大剣を上段に振り上げ、リーダーに狙いを定める。


『ブモゥ!』


 『斬撃』のスキルが乗った大剣が、淀みなく振り下ろされる。流れるように繰り出される下段、そして横薙ぎ。リーダーは2発目までを何とか受け流し、態勢が崩れた時に放たれた3発目をクマさんが『防御』で受け止める。


「ッシ!」


 上皇の放った『剛射』のスキルの乗った矢を、ミノタウロスは一瞥すらしない。眼球に当たった矢は、力なく地面に落ちる。


「ガアァ!!」


 後ろに回りこんだリーダーは、『震脚』『強壮』『刺突』のスキル3連結を放つ。


「チッ! 気持ち悪いな!」


 リーダーの必殺の一撃は、しかしミノタウロスの皮膚すらも貫通しない。

 カウンター気味に放たれるミノタウロスの横薙ぎの『斬撃』を、リーダーは『大車輪』で迎撃する。

 上皇はミノタウロスの背中に立て続けに矢を放つが、ミノタウロスの身体には刺ささらない。当たる瞬間に吸い込まれるみたいに勢いが消えてしまう。


「……どうすりゃいいんだよ」


 アフガニスタンのスタンピードの記録では、EU連合の120mm戦車砲を受けてもミノタウロスは無傷で耐えた。観測されたスキルは『物理ダメージ無効』。ミノタウロスの討伐記録は、大概が複数パーティでのレイドで前衛が動きを抑えながら、魔法系スキル持ちの別動隊がダメージを与えるというものだった。つまり、パーティー単位での討伐記録は報告されていない。


「佐倉さん、理解していますね。あなたが頼りです」

「ですが、私一人では火力不足で……」

「分かっています。もはや我々のパーティーでは、アレの討伐は不可能です。……動きを止められればいい。その隙に離脱します。幸いあなたの『氷魔法』は、動きの阻害にはうってつけです」

「……はい」


 『物理ダメージ無効』は脅威だが、それを除いてもミノタウロスの地力は尋常ではない。『筋力増強』のアクティブスキルと、『強壮』のパッシブスキルを持つリーダーと打ち合い、圧倒している。加えて、一振り一振りに『斬撃』のスキルが上乗せされている。圧倒的な能力値に、戦士としての技量まで備えているようだった。


「リーダー、クマ、注意を引きなさい!」

「おお!」


 クマさんが『鉄壁』を発動し、『シールドバッシュ』を仕掛ける。タメージは与えられないが、無視はできない。ミノタウロスは苛立ち混じりにタワーシールドを蹴り飛ばすが、『不退』のスキルによりノックバックが発生しない。


「こっちだ、木偶の坊!」


 クマさんが張り付いた足元とは反対側から、リーダーが顔面を狙って『刺突』を放つ。

 ミノタウロスは焦らず、大剣を地面に叩きつける。『破砕』のスキルが地盤を砕き、大量の土砂が巻き起こる。


「なんと!?」


 足元を崩されたクマさんが吹き飛ぶ。リーダーも『刺突』を止めざるを得ない。


『ブモゥ!』


 ミノタウロスの大剣が、袈裟切りにリーダーに襲い掛かる。リーダーはそれを紙一重で避ける。淀みなく放たれる下段の追撃を『大車輪』で弾く。大剣が器用に翻り、刺突の形を取る。


「なめるなあ!」


 リーダーは『震脚』で無理やり体を前に出す。大振りな剣先が、リーダーの身体を捉える。


「『鉄壁』!」


 大剣による刺突はリーダーの身体に打ち付けられ、しかし貫通せずに止まる。


「そんな武器じゃ、『刺突』は無理があんだろ!」


 槍を手放し、そのまま大剣にしがみ付く。ミノタウロスの動きが止まる。……ここしかない!


「『アイスランス』!」


7本のアイスランスがミノタウロスに向かう。ミノタウロスの身体に突き刺さるが、案の定倒すには至らない。


「『アイスコフィン』!」


 アイスランスが細かく砕けて、宙を舞う。そして氷粒はそのままミノタウロスの右半身張り付き、身体を固める。熱を奪う、氷の拘束だ。


「今だ、走るぞ!」


 リーダーとクマさんが、ミノタウロスに背を向けて、走り始める。私と上皇も彼らがこちらに追いつくこと待たずに走る。僅かに見えた生存への希望に、必死に飛びついて、――熱風が立ち昇る。


「クマ!」


 リーダーの叫び声を聞いたクマさんは、反射的に振り返って、盾を構える。その盾に火球が衝突するが、防御系スキルは間に合っていない。


「クソォォ!!!!」


 炎がクマさんの全身覆い、火だるまになって地面に倒れる。


「クマさん!」

「いけません! もう助かりません!」


 ミノタウロスの全身が燃えている。氷の枷を溶かしつくし、ミノタウロス自身の肌まで焼く。しかし『アイスランス』で傷つき炎で焼けた肌は、巻き戻すみたいに元に戻って行く。


「ど、どうなってるんですか……?」

「『炎魔法』と、『超回復』か?」

「ははは、なんだそりゃ。ミノタウロスがそんなもの使うなんて、聞いたことがねえぞ」

「特殊個体、なんでしょうね……」


 ミノタウロスはニタニタと笑っている。私たちをいたぶっているつもりなのだろう。大剣を地面に振りぬいて、再び『破砕』のスキルが発動する。狙いは、私だった。


「佐倉さん!」


 私を突き飛ばした上皇が、岩盤の直撃を受けて吹き飛ぶ。突飛ばされる瞬間の、何だか満足そうな彼の表情が印象的だった。


「佐倉、一人で走れるな」

「……何を言ってるんですか?」

「俺がここで食い止める。一人で逃げろ。お前一人生き延びれば、俺たちの勝ちだ」

「そんなことできるわけないでしょ!」

「震えてるじゃやないか。足手まといだ。逃げろ」


 リーダーに言われて、ようやく体が震えていることに気が付いた。一度意識すると震えは余計に大きくなった。


「でも」

「佐倉ァ!」


 リーダーが槍を構える。その顔には脂汗が滲んでいる。先ほど体で剣を受け止めた時に、肋骨でも折れていたのかもしれない。クマさんが装飾の焼け落ちたタワーシールドを支えにして、のっそりと起き上がる。顔は焼けただれて、片目も潰れている。


「命令だ、走れ。ただ助かるために走れ。それ以外は、何も考えるな」


 その一言が引き金となって、私の身体は走り出した。背後から響く戦闘の音から耳を塞いだ。

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