火球
夜のビジネス街は人通りが減って昼間と違って歩き易い。女はそんな事を思いながら勤務するコールセンターのあるビルから出て帰りの駅とは逆方向に向かっていた。同じコールセンターに派遣されているメンバーの勤務実績を派遣会社に提出するためだ。多くの派遣先では担当者からオンラインで勤務実績が伝わるのでこんな手間は要らないのだが、彼女の派遣先は情報の秘匿性が高い事もあり外部とのネット接続の制限が会社全体にかかっており一部の管理職の持つ端末以外はクローズドと言っても良い状況だ。彼女は経験が長くリーダー的ポジションと言う事でほんの少しだけ給料に手当をつけてもらって業務実績の配達、メンバーの勤務態度やミスの報告などを任されていた。
「体のいい使いっ走りだよね」
手当の額に不満のある彼女は一人呟きながら派遣会社のビルに入った。エレベーターに乗り込み各階の入居企業の一覧を確認する。7階と8階にUtility Global Membersと書かれている。過去に何の通達もなく別の階に引っ越している事があったので必ず確認するようにしていた。
7階でエレベーターが開くと目の前にUGMと大きなロゴが飛び込んでくる。その横の入口を入り受付カウンターの内線を押すとすぐに繋がった。
「お疲れ様です。メンバーの四堂(よんどう)です。業務実績を届けに来ました。」
すぐに電話に出た女性が書類を受け取りに来た。四堂は使いっ走りの仕事を終えてビルを出て時刻を確認した。
「今夜もうどんかな」
いつもと違う行動パターンなので他の選択肢も一瞬だけ考慮したが、節約したいのでいつも仕事帰りに立ち寄るうどん屋に行く事に決めた。帰宅時間が更に遅くなるのを嫌って提供の早いモノを選ぶという追加された動機もあったが、何より知らない店に行くのも煩わしいと感じていた。
そこは深夜まで営業する飲食店で、1Fがうどん屋で2Fが焼肉屋を展開する店だった。昼は1Fでビジネスマンや街に出てきた老人たちで賑わい、夜は2Fが仕事を終えたサラリーマンの宴会の席になる。更に遅くなると近くの飲み屋街で酔っぱらった若者達が集まり話し込む場でもあった。とにかく朝から夜まで賑わう店であった。
今日も大変な一日だったなぁ……四堂は疲れと眠気で頭がぼーっとするのを感じながらも注文した月見うどん(わかめ追加)を待っている間に寝てしまわないようにあくびを噛みしめて我慢していた。
帰りの電車で居眠りしてもアラームで起きることが出来るけど、眠っている間にうどんが来たらきっと冷えてしまう。眠気覚ましに窓から外を眺めると向かいの歩道にパトカーが何台も停まっている。車の通りが多い時は向いの歩道まで見えることはあまりない。
事故かな?事件かな?怖い事件だったりしたら嫌だな……
「お待たせしました。月見うどん、わかめトッピングですね」到着したうどんに女は外の様子を気にしていたことはすっかり忘れて今日の仕事の疲れを癒す晩御飯を前に箸を取って手を合わせた。
「いただきます」
軽く麺と一緒にわかめを食べた後で卵を崩して出汁を黄色く染めて味変して残りをいただく。これは彼女なりの決まり事であった。トッピングはその日の気分で変えるが基本となるのは月見うどん。勿論これも彼女なりの決まり事である。蓮華で出汁を口に運んでいるところでふと窓の外から聞こえる音が気になった。笛の音だ。道路の向こうの警察達に何かあったようだ。
出汁をすすりながら横目で通りを見ると警察官が何かに向かって走っている。その向かう先は一人の男性だった。犯罪者?そう思って恐る恐る見ていると一人の警官が男に蹴り飛ばされ歩道に乗り上げたパトカーを飛び越えて宙を舞い落下した。そしてそのパトカーに男が跳ね上がり飛び降りて制止しようとする警官を振り切って走り去った。直ちに警官達はそれぞれのパトカーに乗り込みサイレンを鳴らしながら男の行方を追っていった。女は呆気にとられていたが一瞬の出来事を自分なりに整理しようと考えた。
犯罪?いや、まさか。ワイヤーアクションでもなければあんなに高く人が飛ぶわけないもの。もしかして映画のロケかな?きっとそうだよね。夜の街ならワイヤーも見えにくくて撮影し易いんじゃないかしら。うん、きっとそう。何か運よく良いモノ見れたかも。そう納得して再び蓮華で出汁を飲んだ。
食事を終え伝票を持って会計に向かうと先に支払いをしているスーツ姿の女性に目が止まった。四堂の視線に気が付いたスーツの女も見返した。知った顔だが即座に名前が出ず一瞬の間があった。先に口を開いたのはスーツの女だった。
「春世……だよね。四堂春世。久しぶり〜高校以来だよね。仕事帰り?」
四堂春世は目を見開いて沈黙していたが、その女の声を聴いた瞬間、記憶が蘇った。
「伊予子!そう!思い出した國木屋伊予子!嘘?本当に久しぶり。この辺で働いてるの?」
お互いに質問には答えないまま互いの様子を素早く観察していた。春世はスーツ姿の伊予子を少しまぶしく感じた。昔から強そうな女だと思っていたが社会人になってもイメージ通りだった。すらりと細身でスーツが似合っている。化粧も性格を表す様にきりっと締まった感じだ。
レジに表示された金額を見るとうどんの金額ではない。二階の焼肉屋で食事をしていたのだ。確かに1階に伊予子はいなかったのは間違いない。伊予子は支払いを終えて春世の会計が終わるのを待っていた。春世は伊予子に比べてカジュアルなのが何だか恥ずかしい気になって少し慌てて会計を済ませた。
「伊予子はスーツ似合うね。どんな仕事しているの?」二人で店を出て駅まで並んで歩きながら話をした。
「うん、まぁ営業とか色々ね。UGMって派遣会社知ってる?」
「あ、うん。私もUGMで登録して今はコールセンターに派遣で入っているんだよ。」
そうか、伊予子も私と同じ派遣会社であちこちに派遣されている自分と同じポジションなんだ。そう思うと春世は伊予子に対して一気に親近感が湧くのを感じてうれしくなった。
「え?あぁ、そう。私はUGMの営業とか、派遣さんのマネージメントとか色々やってて」
「え?もしかして社員さん?」
「うん」
春世は聞かなきゃ良かったと言うより浮かれて自分の事までべらべらと喋るべきではなかったと後悔し言葉を詰まらせた。自分の所属する派遣会社の社員ともなると自分の収入も仕事上のミスなども調べれば簡単に情報が手に入ってしまう。勿論、知られたくないようなミスを犯した事は一度も無いけど。
そういえばさっきの自分の発言は守秘義務違反に当たらないだろうかと一瞬考えたが会社名は口にしていないのできっとセーフだろうと気を取り直した。ところで伊予子は給料いくらもらっているんだろう。私とは雲泥のさだったりして……そんな風に隣で話す同級生と自分との格差について考える自分が嫌だなとも思った。
「ねぇ、春世。私達って同級生だけど同じクラスになった事もないから今日初めてこんなに話をしている訳じゃない?」
「うん。そうだね。私は地味で友達も多くなかったし。他のクラスの伊予子の事は知ってたけど話しかけられる訳ないし」
「高校だけじゃなくて派遣会社繋がりもあるし連絡先交換しない?これから色々話をしてみたいし」
「う、うん。いいけど……」
春世と伊予子は連絡先を交換して駅で別れた。
そういえば伊予子はハッキリしているから苦手意識持ってる人も結構いたっけ。誰も文句を言う人もいなかったけど。春世は電車の中で新しく携帯に登録した伊予子の連絡先を眺めて、これから始まる伊予子との付き合いに期待とも不安とも言えない感覚を抱いていた。
春世にとって伊予子はあまりSMSなど送って来ないタイプだという印象を持っていたが、意外と多くメッセージを送ってくるのだと驚いた。ほとんどは仕事に関する愚痴の様なものだったが、伊予子にとって同じ派遣会社の関係を持つ仲なので許されると思っているのだろうと考えることにして当たり障りない程度でやり取りを繰り返した。
そして春世と伊予子が出会って一週間ほど過ぎたころ、休みで部屋に寝転がっている春世の携帯に伊予子から着信があった。
「はい、もしもし。伊予子?どうしたの」
「今日、休みでしょ。どこかで会えない?」
いきなり当日に会おうって連絡するのって失礼じゃないかしら。っていうか平日に私が休みなのを把握しているってやっぱり私のシフトを確認しているのね。春世はムッとして本当は暇なのを隠して今日は色々予定があるので夜しか時間が作れないと断り文句のつもりで返答した。
「うん、じゃぁ夜20時に待ち合わせでいいかしら?」
ダメだ、伊予子にはハッキリ断り文句を伝えないと通じないらしい。苦手意識を持つ子がいたのもわかるわ~
「う……うん。じゃあ駅前のカフェで」
こんな事ならつまらない意地を張らずにもっと早く会う約束をするべきだった。電話を切った後で春世は自省の念にうーんとうなりながらベッドに大の字になった。
カフェで会うなり伊予子は、色々腹に据えかねているものがあるので盛大に愚痴りたい。申し訳ないので支払いは自分が持つ。好きなもの好きなだけ頼んで。と前置きした。そんな事を言われたからと言ってあれこれ頼めるものでもない。ケーキと紅茶をお願いすると、伊予子はコーヒーと同じケーキを頼んだ。二人は通りに面した席に座った。その後の伊予子の勢いは凄かった。
「聞いてよ、この前うちで登録しているメンバーの中に犯罪者がいるって警察の取り調べがあってね。過去にそいつが派遣で入った案件から全て資料を用意しなくちゃいけなくって。全部よ?私がよ?そいつの担当でもないのによ?で、警察はその派遣でそいつの行った先での勤務態度とか現場の作業内容とか一緒に入ったメンバーなんかにも聞いて回るっていうのよ。私はその派遣先の担当者さんとかに諸々挨拶に行ったりもしなきゃならなくなってね。本当にいい迷惑っていうか、今週は私、自分の本来の仕事が何もできなかったのよ。あり得る?こんなのってあり得る?」
伊予子の苦労は怒りの激しさからもわかるし、話からその対応内容のボリュームと心労もある程度は伺い知ることができた。
「それは……想像を絶する大変さみたいだね」
「あり得ない!本当にあり得ない!」
伊予子は眉間にしわを寄せたまま次から次にケーキを口に運んでいる。そしてコーヒーを一口飲んだ後で天を仰ぐ様に大きく息をすってハァと肩を落としてため息をついた後で頬杖をついて春世に質問した。
「で、私からも春世に聞いてみようと思ったんだけど、蒸辺(むすすべ)……聞いたことない?」
「蒸辺?」
「そう。名前が呂久(ろく)。春世が一緒に仕事をした事が無いのは確認してるんだけどさ。あんたと一緒になった事のあるメンバーで場曽根(ばそね)さんって子が何度か同じ案件に入っているのよね。噂とか聞いた事あるんじゃないかなと思って。」
「あ、月ちゃん?……そう言えばあるかも!何かそこそこ若い男の人だけど変な人がいるって怖がってた事があった。」
「そう!多分そいつ!蒸辺の事で間違いない!どんな事言ってた?」
「え……あまり覚えていないけど、確か頓珍漢な事を言うとか突然いなくなってひょこり現れるとか。住所不定って噂があるとか。とにかくあんなのと給料同じなのはあり得ないって怒ってたかな」
「そっか。住所不定は噂だと思うけど、私の調べた記録でもそんな感じだった。まぁ……給料で不満が出るのは当然だよねぇ。そういうのを教育したりするのも私の仕事の一部なんだけど。蒸辺は私の前の担当が見てたから知らなかったけど、蒸辺じゃなくても色々いるのよ。通勤中に事故って連絡なしに欠勤するとか腹が痛いくなって帰ったとか……ダメな人は全然ダメなのよねぇ。」
「ねぇ、伊予子。その蒸辺って人何したの?」
「噂では殺人。」
「殺人!?」
「私と春世がばったりあったあの日らしいよ。時間帯もちょうど私達の出くわした頃と同じくらい。でもニュースにもなってないしさ。どの情報も確定ではなくて噂レベルの事ばかり。色々わからないのよね。で、何で私が1週間もそんな事に振り回され続けなきゃいけないのさって」
「あの日って……もしかして、あの事かな。」
「何か思い当たることがあるの?」
「あの日ね。UGMに業務実績届けた帰りにあの店に寄ったのよね。だいたい残業とかお届けとかで帰宅が遅くなる時はあそこでうどん食べて帰るの。」
「あ、私も遅くなったらいつもあそこなのよ。私は二階で一人焼肉なんだけどね。ビールも飲むし。」
「そうなんだ。じゃぁ今までも何度もニアミスしてたんだろうね。」
「絶対そうよ。同じ店で1階と2階でそれぞれ晩御飯食べてたよ。何か面白いね。」
「あ、でね。あの日うどん食べてて、ふと外見たらパトカーが道路挟んで向いのビル側に沢山並んでいたんだよね。赤いランプが沢山キラキラしてて。」
「え?私2階の窓際に座っていたのに全然気づかなかった……」
「私も外を見るまで気づかなかったよ。車が多いときは向こうの通りまで見える事は無いし、街路樹とかもあるし。あ、それでパトカーが沢山いるから泥棒とか事件があったのかな?って思ってたら警察官が笛鳴らして大勢で走りだして、一人の警察官が誰か男の人に蹴られて飛んで行ったの。」
「飛んで行ったって……どこに?どれくらい?」
「歩道に乗り上げたパトカーの天井を飛び越えるくらい。」
「嘘!?何それ!めちゃくちゃ飛んでるじゃん。」
「そう!だから私は絶対映画のロケだと思ってた。」
「確かに、それはそう思うわ。」
「それで男の人はパトカーの上を飛び越えて逃げて行って警察の人はみんなパトカーで追いかけて行って……私が見たのはそこまで。」
「じゃぁ殺人って、死んだのは蹴られた警官なのかな。」
「多分違うと思う。それだと絶対ニュースになっているし、それに私が見ている間に救急車が来ていると思うのよね。」
「そっか。確かにそうだよね。うーん、蒸辺呂久……一体何をやらかしたんだろう。」
伊予子は顔を手で覆う様にして考え込んでいた。
「情報がないんだもん。考えても無駄だよ。迷惑だけど仕方ないよ。」
気慰めでしかないが事実でもある。春世は伊予子の頭を抱える姿に会社員の苦労を見た気がした。
「そうだね。蒸辺がうちの派遣先でやらかした事件なら今頃会社がひっくり返る騒ぎでこんなのんびりした話でもなかっただろうし、とんだとばっちりだけど楽な方かもしれない。でも春世から新しい情報かも知れない話も聞けたし、やっぱり話せて良かった。ありがとう」
春世は伊予子の表情から険しさが抜けた気がして少し嬉しくなった。予想通り自分の情報も調べていたけど、厭らしい気持ちで見ている訳ではなさそうな気がする。伊予子は自分とは違って裏表がなくてサバサバした子なんだと思った。
「伊予子って真面目なんだねぇ。」
「そうかな。いい加減な事が嫌いなだけだよ。」
二人はカフェを出てすぐの駅前の広場に出た。周囲の人達が立ち止まって空を見上げている。その様子に二人も空を見上げた。
彗星の様な青い光が空を横切っている。そこから大分離れたところに赤い光も見える。二つは同じ軌跡を辿っている様に見えるが赤い方はゆっくり飛んでいるようにも見える。
「なにあれ……」伊予子が呟いた。
「火球……じゃないかな。」春世が答える。
「落ちたらヤバそうだね。」
「あの高さなら近くには落ちないよ。」
「願い事したら叶うかな?」
「伊予子って子供っぽい事も言うのね。流れ星は吉兆と凶兆の解釈があるから何とも言えないかな。」
「じゃぁ私は青い方にお願いしよう。早く蒸辺呂久の件から解放されますように。」
「あはは。それは叶うよきっと。でも面白いな、蒸辺の件もそうだけど、伊予子と会う時って何か珍しい出来事に遭遇するのかも。」
「いい事なら良いんだけどね。」
二人は笑って美しく輝く二つの火球を見つめ続けた。
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