第6話『新聞紙』を読んで。
「三島由紀夫が好きです」と、自己紹介で言えますか?
私は今なら言えます!w
でも、なんか言いづらくありません?
ミシマ、ムズカシソウ。ムシロアブナソウ。ハラキルシ。
そんなイメージ。
私もそう思って三島文学に手を出し、
憂国→想像より読みやすかった。
詩を……→天才の内的世界難しい。味わうまではいかず、理解に努めるで必死。
という感想を得て、次の『新聞紙』へ。
とはいえ、ミシマにはちょっと慣れてきたかなー……って感じでした。
ここからはネタバレあるので、本編読んでいない人はぜひ、読んでから!
「憂国」の短編集に入ってますが、買って損はないです!
♢♢♢
さて、『新聞紙』ですが、ワタクシが気になったポイントを挙げます。
①主人公は既婚女性→ここでの夫婦関係もなかなか。
②看護婦が出産して赤ちゃんが……→ここが肝!
③その生まれたての赤ちゃんのビジョンが頭から離れず、自分で解釈を始める主人公→ここ、いい感じ。
④勇気を出して桜並木のある公園へゆく→公園にゆくだけで勇気がいるんだぞオイ。桜の描写も良い!
⑤ホームレスと出会う。
そういう流れです。
まず、女性としての立場、気持ちがすごく良い。
お飾りというか、二の次というか、主体を奪われているというか。
だから、公園に夜行く程度でも彼女にとっては冒険に。
そんな彼女が取り憑かれたように頭が離れなくなったビジョン。
それは、新聞紙に包まれた赤ちゃんです。
令和、少子化の時代、赤ちゃん大事!赤ちゃんかわいい!にはあるまじき絵面!
「肉屋の包み紙のような血だらけの新聞紙」ですよ。肉屋ですよ肉屋。
私には思いつかない絵ですね。才能を見せつけられて、脱帽というか絶望。
この頃、小説講座でプロットの書き方を学んでいましたが、すごく横から殴られた気がしましたw「こういうこと考えるのが小説家なんだぞ」とw
♦︎
実は私が『新聞紙』で三島文学に目覚めた理由は、自分の経験にあります。
中学二年生の時、保健体育か理科の授業で、出産シーンのビデオを見たのです。
お母さんの股から赤ちゃんの頭が出てて、生まれてくるところ。
本当に、お母さんの股から出てるのを、真正面から映してるんですよ。衝撃です。
私はそのとき思いました。
”人間はただの動物で、だから教育が必要なんだと”
男子はショックを受けてるようで、女子もドキッとしているようでしたが、誰もふざけたり茶化したりなんかしていませんでした。
母親の命懸けな姿とか、命の誕生のリアルとか、こうして教材として残しているくれていることのありがたさとか、先生の想いとか、そういう大人の真剣さって、ちゃんと子どもにだって伝わるんだと思います。
今だに忘れられないですからね、あの映像。
♦︎
血と赤ちゃんだけでもドキドキするのに、さらに新聞紙という社会的象徴に包まれるのがグロい。
愛よりも先に、社会が赤ん坊を包むんですね……。
誰しもが赤ちゃんの誕生を祝うわけじゃない。
社会がその子にとって良いものとは限らない。
と、主人公もその赤ちゃんの行く末を案じるんですね……。
まあ、こんな感じなんですが、私がさらに個人的に思ったのは、
この主人公、病んでるな。
です。
自分の子は立派に育つこと確定、なんですよ。
いや……大丈夫?その夫婦関係で。
あと、その赤ちゃんへの妄想ですが、余計なお世話ですやん。
単なる同情とか優しさとかではない気がするんですよ。
主人公自身、温室育ちで人間の幅がなく、人間には色んな生き方があると知らないように見えまして。
優しさなら、「大丈夫、大丈夫!なんとかなるからー!」っていう、肝っ玉母さん、マザーテレサエンドだと思うんですよねw(小説にならないw)
ホームレスに腕を掴まれても怖くなかったのは、もしかしたら初めて自分の生き方、価値観に向き合い(精神的な自立)、母親としてのスタートラインに立った、という意味かなぁなんて思いました。
自分の子が母親にしてくれたんじゃなく、新聞紙の子の方が自分に母親としての自覚を与えた、みたいな。
なんて、勝手に感想を持ちました!
令和から見る三島文学も面白いのではないでしょうか!(雑なエンディング)
新聞紙おわり
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