第5話『詩を書く少年』を読んで。

憂国を読んだ時点では、私のミシマ度は高くなく、そんなにわかっていなかったんですよね。


『詩を書く少年』も、今回の一回で、さっくりとですw


ですが! その次の『新聞紙』で、アレ?!ってなるので、この辺りからうるさくなるかと。

新聞紙はネタバレ無しで読んでいただきたいので、気になる方はぜひ買ってください。(三島先生はまだ青空文庫では読めない)


その次がいよいよ、まだ読了していない金閣寺ですが、10ページ毎に殴られているので、急にうるさくなりますw


加速度的にダメージがデカくなるのは、自作『街を歩いた』を書いていて、その内容が微妙に金閣寺の場面場面に近いんですね。


自分の課題に対する模範解答が目の前に出てくるというシンクロ状況。


……そんな感じで、徐々に発狂度は高くなります。良かったら、よろしくお願いします。





『詩を書く少年』は、当時、ふーんって感じで読み終わりました。


三島由紀夫が自分の少年期を振り返って書いているのですが、その才能はもちろん素晴らしく、『詩を書く少年』自体も読んで「ぅおぅ(感嘆)」となります。

こんな時期からこれなら人生こうなるしかないよなー、という。


まあ、そこまでは良かったのですが、最後の最後、やっぱりただでは終わらないミシマ。


「自分は詩人に向かないと自覚した」みたいなこと書くんですね。


え、なんで? と、もう一度読み直すのですが、イマイチわからない。


それまでの少年の内面や、先輩とのやりとりはおそらく理解してると思うのですが……。


ここにテストで傍線引かれて「少年が詩人に向かないと思った理由を書きなさい」と問われたら終わりですねw



と、もやりを残したままだったんですが、ある日、林修先生のことば検定で、中原中也が取り上げられていたのを見ました。


『中原中也は、履歴書に一言”詩生活”と書きました』


という話を聞いて、「これが詩人かー!」ってなりましたw


どんなに言葉がうまくても、なんかソウルが違うというか。


と、自分は詩人と小説家を分けたのですが、どうなんですかね。


皆様のご意見もぜひ伺いたいところ。





詩を書く少年おわり。

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