第2話 過去の記憶
私は生まれつき体が弱かった。小さい頃から病院のベッドから外に出たことなんて滅多にない。どうやら私は、生まれつき心臓が悪いらしい。同い年の子が外で遊んでいるのを見て羨ましく思っていた。
「私もあんな風に目一杯、外を走り回ってみたいな。このまま、死んじゃうのかな」
幼いながらに死を覚悟したその時――――。いつもお世話をしてくれるナースのお姉さん。昼神翔子が慌てた様子で病室に入ってくる。今にも泣きそうな声色でもう大丈夫だからねと優しく抱きしめてくれた。
―――その後は、お父さんとお母さんがお医者さんとお話ししてくれたのを隣で一緒に訊いていただけで詳しくしいことは分からないけれど、二人とも私が生きられること分かって大泣きしていたことだけは覚えている。
「もう大丈夫よ……凪紗」
お母さんが泣きながら私を強く抱きしめる。お父さんも同じようして二人で泣いていた。そんな様子を見ていた私も、気が付けば泣いていた、家族三人で泣いていた。
後から知ったことなのだが、先天性心疾患と後天性心疾患という病気があるらしい。私の場合は前者の先天性心疾患だったらしい。
この病気は生まれつき心臓の構造や血管の形が通常な状態とは異なることで起こる疾患で、100人に1人の割合で発症していると言われている。また後天性心疾患の場合は生まれたときは生まれたときは健康だが成長するにつれて発症すると言われているようだ。
私も手術が必要になり適合するがドナーが見つかるまで待っている状態だった。
そんな時に明科紗良と出会った。正確には紗良の心臓を移植してもらったのだが……。
適合するドナーが見つかったと担当医から言われたときは、良かったとほっとした気持ちになった。これで生きられるんだと。
それから一週間後に移植手術を受けて何事もなく数日が経ち経過観察も問題なく退院することができた。
それから半年くらいは月に一回のペースで通院をして、血液検査や心電図、心臓超音波検査などを行い、移植した心臓が拒絶反応を起こしていないかを調べることになった。
最後の検査で特に問題なかったため無事に日常生活に戻ることができ、学校にも通えるようになった。
その一方で不思議な夢を見るようになった。
「たぶん、前の心臓の持ち主の記憶だ……」
直感でそう思った。
見たことある景色が広がっていた。
その子も私と同じようにいつも病院のベッドの上にいた。
退屈そうに欠伸をして何百回と見ている外の景色を眺めている。
ぼーっと外を見ているとコンコンと扉をノックする音が聞こえてくる。
「あいてるよ」
少女が可愛らしい声で返事をする。返事を訊いたと同時に同い年くらいの男の子が部屋に入ってくる。
「もう―――遅いよ。ゆうた」
「ごめんって……」
ゆうたと呼ばれた男の子がニコッとした笑顔で謝りながら病室に入ってくる。
「今日は何して遊ぶの?」
そう訊くと勇太がうーんと腕を組んで悩み始める。
「昨日は何したんだっけ」
「トランプを使ってババ抜きをしたよ」
「一昨日は……」
「オセロ」
「じゃあ今日は、ジェンガをやろうよ」
楽しそうに話をする二人。その様子を見ていたらこっちまでほっこりとした気持ちになる。
そんな幸せな時間は長くは続かなかった。
「23時55分、死亡を確認いたしました」
担当医が死亡宣告をする。
「紗良、紗良―――――」
泣き叫ぶ声が病室に響き渡る。
さっきまでの幸せな時間とは打って変わりその場にいる皆が深い悲しみに打ちひしがれていた。母親は絶望のあまりその場にしゃがみ込み、現実を受け入れられないと言わんばかりに、嫌々と駄々をこねるこどものように両方の手で頭を抱えていた。父親も放心した放心状態で座り込んでいた。
「……っ!!」
そこで、目が覚めた。全身が汗で濡れておりシーツまでびっしょりと濡れていた。
「……何だったんだろう」
不思議には思ったもののとりあえず汗を洗い流すためにシャワーを浴びることにする。ついでに夢のことについても考えてみよう。
数十分後、さっぱりした状態で部屋に戻って夢のことについて調べてみる。
移植手術、提供者の記憶、と検索をすると次のような説明文が表示される。
――――記憶転移とは主に臓器提供を受けたレピシエントがドナーの生前の記憶や性格、趣向などの一部が移る現象。実際にとある女性が臓器提供を受けた後に、苦手だった食べ物が好きになったり、性格が変わったり、歩き方が変わるといった例があるようだ。
「やっぱり実在するんだ」
自分が体験したことが幻ではないことを知りどうしていこうかと考えているところで、コンコンと扉がノックされる。
「凪紗―――朝ご飯できたわよ。早く起きなさい」
「はーい。今行く」
すぐに返事をしてリビングに降りる。
今日の朝ご飯は、白飯、豚汁、白身フライ、漬物だ。定食屋さんに出てくるセットのような感じで食卓に並べられている。それを見てあれっと疑問に思った。
「お母さん、私、お味噌汁は豚汁派じゃなくて、長ネギ入りの豆腐汁派だよ」
「あれ?そうだっけ」
きょとんした表情で私の抗議を訊いている母を横目に父が「せっかく母さんが作ってくれたんだから文句を言うな」
父が軽く叱るように注意してくる
「はーい」
空返事を返してパクパクとご飯を口に運ぶ。長ネギ豆腐汁じゃなかったのは少しだけ、残念だったがそれ以外の料理は超絶美味しかった。
しっかりとご飯を食べ後に今朝の夢のことについて訊いてみる。
「訊きたいことがあるんだけれど……実はさ、今朝、知らない女の子が夢に出てきて、知らない病室でお父さんたちくらいのおじさんとおばさんが泣いていたんだけど何か知らない?」
私の言葉を訊いた、二人は血相を変えてあれこれ聞いてくる。そして訳が分からず、病院へ行くことになった。
昔から行きつけの病院に行き受付で事情を話して急遽であるが、主治医の先生が診察をしてくれることになった。
現在、私を担当してくれているその先生は‘’院長‘’という立場上いろいろと忙しいにもかかわらず、私が来たと聞いた途端、無理に時間を作ってくれたようだ。
そのことに感謝しつつ、問診までの待ち時間にどう説明しようかと悩んでいると、一人の女性が近寄ってきた。
「大丈夫、凪紗ちゃん!?」
優しい声色で話しかけてくれるその女性・担当看護師兼移植コーディネーターであり、幼少期からお世話になっている昼神翔子さんだ。
「ご無沙汰しています。翔子義姉さん」
私たちは血のつながりはなく姉妹でもないため、‘’お義姉さん‘’と呼ぶのはどうかと思うが、小さい時から傍で支えてくれた翔子さんには感謝しているし、心から慕っているからこそあえてそう呼んでいる。
「久しぶりね。凪紗ちゃん」
私の呼びかけに嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せる翔子。
それから今朝会ったこと赤裸々に翔子へと語る。
話を訊いた翔子がうーんと顎に指先を添えて考え始める。
その様子を傍で見ていた私は、本当に翔子が姉であれば良かったのに……と思う。きっと彼女ならきっと良きお姉さんとして私のことを助け導いてくれるだろうと、そんなことを内心で考えていると。
「な――ちゃん、なぎ―――、凪紗ちゃん。大丈夫?」
横で心配そうな顔でこちらを見つめている翔子。
「っ!……ごめんさい。何ですか?」
やや遅れて反応すると本当に大丈夫と心配しながらも先生が来たことを教えてくれる。
「翔子さんが本当にお姉さんだったらよかったのに……」
俯き気味に言うと温かい感触が頭を包み込む。
「大丈夫……私は何があってもあなたの味方よ」
心強い励ましの言葉が耳朶に響く。
診察室に入り主治医である馬場先生の診察を受ける。問診の合間に最近の学校生活や家での様子も話しながら今朝の夢のことについて話をする。
「実は……今朝、知らない女の子が夢に出てきて」
「そうなんですね―――」
馬場は眉毛を少しだけ上げてもっと詳しく話せと言わんばかりに続きを話すように催促してくる。
「最初は病室みたいなところで、小さな女の子と男の子が楽しく遊んでいる風景が見えてそれから先はその子が亡くなって親御さんたちが悲しんでいる様子が―――――」
思い出すだけで暗い気持ちになり、つい手で口元を隠してしまう。別に泣きそうになっているわけじゃないけど……。
私の話を訊き終えた馬場は神妙な面持ちで考え込む。なるべく伝わるように話したつもりだが。果して何とか分かってもらえただろうか、と不安に思っていると。
優しく包み込むような微笑みを向けられる。そして、「そんなに顔をしなくても大丈夫ですよ。凪紗さんの言わんとしていることはしっかりと僕にも伝わりましたから」
私の不安を見抜いたかのように温かい言葉をかけてくれる。同時にこの人に隠し事はできないなと実感する。
それからしばらく問診は続いて、ふとしたタイミングで馬場がこんな質問をしてくる。
「その他で夢のせいで何か日常生活の中で困っている事や困りそうになっていることはありませんか」
うーんと腕組みをしながら考えてみるが今のところは思い当たらない。
「いえ、特には……」
と言うと、そうですかと一言い、パソコンに向かってカルテを書き始める。
カタカタとキーボードを叩く音だけが診察室に響き渡る。
その間に改めて今回の出来事について自分なりに振り返ってみるが原因は思いつかなかった。
数十分にも及ぶ診察が終わり会計を済ませて外に出ようとしたところで、「貴方が凪紗さん?」
と後ろから声をかけられる。驚いて振り返ると、四十代後半くらいの女性が懐かしいわが子を見るような目をこちらに向けていた。
「え、えーと。どちら様ですか」
初対面でこの対応は失礼かと思ったが知らない人のため致し方ないと割り切ることにする。
「ごめんなさい。驚いたわよね」
女性が困ったような笑みを浮かべる。
その顔を見たときに確信する。この人は、あの子のお母さんだと言うことを。
だが、何と切り出していいのか分からずに、口を噤んでいると……。
唐突に「ほんとにあの子のそっくりね。まるであの子が生まれ変わったみたい」
すでに亡くなったわが子と私の姿を重ねているのかポロリとそんなことを口にする。
「やだ、私ったら……」
自戒するように自らの頬をパンと叩く女性に「私は姫城凪紗といいます」
そう自ら名乗る。私の名前を訊いた女性はどこか懐かしむように優しく微笑み「自己紹介が遅れてごめんなさい。私は明科幸子と言います」
そう自分の名前を言う。まるで記憶を忘れたわが子に思い出させるかのような口調で。
幸子の名前を訊いた瞬間に、何となく察してしまう。彼女が夢出てきた子の母親であると。
自分でもなぜそう思ったのか確たる根拠と確証があるわけではないけれど、私の中にある‘’女の勘‘’がそう言っていた。この人があの子の母親なんだって……。激情にも似た何かが言わせていた。
「少しだけ時間を頂けないかしら」
どこか悲しげな雰囲気を漂わせながらお願いしてくる幸子。
ちょうど、同じタイミングで両親が「どうしたんだ?凪紗」
そう声をかけてきた。一向に出てこない私のことを呼びに来たのだろう。
私の前にいる幸子を見て「凪紗、そちらは知り合いの方なの?」
怪訝な顔をしながら訊いてくる。
「失礼致しました。凪紗さんの親御さんですね。私は明科幸子と申します」
両親が幸子の名前を訊いた瞬間に眉を顰めた。
「まさか、あなたが―――――」
「明科紗良の母親です」
運命のいたずらだと感じた。こんな形でドナー側とレピシエント側の家族が対面することになろうとは誰が想像できるだろうか。
改正臓器移植法により、十五歳未満であれば、臓器提供意思カードか健康保険証、マイナンバーカードなどの裏面など直筆のサインまたは家族の同意があれば、本人の死後に臓器提供ができるとされているが、原則としてプライバシー保護の観点から互いの情報は伏せられている。
翔子さんに見つかったらまずいと思った私は、ひとまず病院の外に出ることを提案する。
近くの喫茶店で五人掛けの席に私たちの対面に座る形で幸子が席に着いた。
「お忙しい中、お時間を頂いてすみません」
父と母に対して頭を下げる幸子。
「いえいえ、大丈夫ですのでお顔を上げてください」
父が代表してそう口にする。それに私たちにとって紗良は命の恩人であり、新たに生きるチャンスを授けてくれた希望なのだ。本当なら私たちの方が幸子に対してお礼を言わなければならない立場にある。
「え、え―、その――――」
なんて訊けばいいのか、訊いていいのかと迷ってしまい上手く言葉が出てこない。
「明科さん」
静かな声色で母が幸子の名を呼ぶ。
名を呼ばれた幸子は母に視線を向ける。
何を言うのか父も、私も黙って母を見守っていた。
「ありがとうございました。娘を助けてくださって……紗良さんがいなかったら、凪紗は今ここにはいません。だから本当にありがとう」
そう言葉にして、優しく幸子の両手を握る。その言葉を訊いた幸子は、嬉しそうな、それでいて優しい笑みを零す。
「やっぱり、私たちの判断は間違えではなかった。こんなにも温かい人たちに出会えたのだから」
一筋に水滴が彼女の頬を流れ落ちる。悲しいからではなく誰かの助けになれたこと、娘の願いと想いがしっかりと伝わったことがなにより嬉しかったのだ。
「……」
二人のやりとりを見ていた私はなんだが、ものすごく温かい気持ちになる。二人の母親が互いの想いを口にした。
それから、幸子は自分の娘の病気のこと、なぜ、心臓移植のドナーに名乗り出たのかの経緯をすべて話してくれた。
「……」
彼女の話を訊き終えた私たちは心から紗良たち家族に感謝した。たぶん、感謝するだけじゃ全然足りない。だから、私は、精一杯の感謝の気持ちを込めてこう口にする。
「私を助けてくれてありがとうお義母さん」
‘’お義母さん‘’と呼ばれた幸子は嬉しそうな幸せといわんばかりのとびきりの笑顔を見せた。
次の更新予定
追憶のロマンティックス 赤瀬涼馬 @Ryominae
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