第六章 信じられない現実
トランスは無言でアネモネの肩に刺した小型ナイフを抜いた。血が溢れ、痛みに堪えきれなり、地面に倒れ込む。
ベゴニアは後ろを振り向き、そして異変に気づいて驚いたような鳴き声を出した。
まだ状況が読み込めないアネモネに、トランスは冷たい笑顔を向けた。
「これで、鐵蜘蛛の標的は僕ではなく君になる。僕は君が襲われている間、さっきの鐵蜘蛛のところに戻って巣の糸を回収し、みんなの所へ戻ることにするよ」
「信じて……たのに……!」
震える声でそう言うも、トランスはそんなアネモネを見下ろしながら言った。
「あんなのに勝てるわけがないじゃないか。それに、騙される方が悪いんだよ? 君のような役立たず、好きになる人なんているわけないじゃないか。そんなこともわからなかったのかい?」
「――!!」
叫ぼうと口を動かすが、うまく声が出ない。
「じゃあね。僕のために死んでくれ」
トランスは出会った時と同じく、手をひらひら振りながらその場を去っていった。
ベゴニアはトランスを追おうと走り出そうとし、やめた。
アネモネの傍にいることを選んだのか、それでもその場で去っていく後ろ姿をじっと睨みつけていた。
「――めんね。ごめんね、ベゴニア……」
「!」
溢れてくる涙を止められない。
騙されていた悲しみ、役立たずという言葉、目の前にいる勝ち目のない敵。様々な感情が心のなかで渦巻き、今にもはち切れそうだ。
「ごめんね、役立たずで……。せめてベゴニアだけは逃げて……」
鐵蜘蛛がこちらに近づいてくるたびに、ズシンと地面が揺れる。その振動が、不安と恐怖を増幅させる。
逃げようにも痛みで立ち上がることもできない。そもそも、走れたところであの魔物から逃げ切れるほどの体力を持ち合わせていない。
(散々な人生だったな……)
走馬灯のように、これまでの出来事が脳裏に流れる。
大好きなベゴニアと一緒に旅をしてみたいと親の反対を振り切り、学園に入ったものの、現実は厳しく、毎日のように周りからさけ蔑まれる日々。
自分だけだったらまだいいが、自分のせいでベゴニアまでバカにされるのは到底許せなかった。しかし、力がなくては言い返すことすらもできない。
(幸せになるって、こんなに難しいことだったんだ……)
鐵蜘蛛の吐息が顔にかかる。飢えて血肉を欲する魔物の匂いがする。
(もういいや。これ以上生きたって何にもいいことないし)
十分頑張ったとアネモネが意識を手放そうとしたその時。
「無様な姿だな」
聞き覚えのない少年の声がした。
なんとか顔を上げて辺りを見回してみるも、人影などどこにもない。
傍にいるのはベゴニアだけ。
どうやら幻聴まで聞こえてきてしまったらしい。
「ベゴニア、早くここから逃げて……」
そこでアネモネは気付いた。
そうだ。ここにはベゴニアしかいない。
まさかと思い、ベゴニアをもう一度見る。
「だからあの男から離れるように忠告したというのに。愚か者」
アネモネは目を見開いた。ベゴニアが少年の声で喋っている。
これは幻覚?それとも自分はもうあの世へ行ってしまったのだろうか。
「なぜ人の子はこんなにも貧弱なのだ? そもそも、あの面倒な家から逃げ出そうとして小さくなったとはいえ、俺を使役できるぐらい――」
あの可愛かったはずのベゴニアはどこへ行ってしまったのだろうか、突然説教が始まってしまった。
(ドラゴンって喋れたの? しかもこんなに流暢に? 口も悪いし!)
呆然としていたものの、すぐに鐵蜘蛛の怒りのこもった鳴き声で我に返る。
(そうだった、今私食い殺されかけてたんだった……!)
状況が何も変わっていないことに再び絶望したその時。
「騒ぐな、下等生物が」
ベゴニアが鐵蜘蛛の方へ一歩足を進めると、その足元から緑の炎が舞い上がった。
炎はやがて全身を包み込み、そして宙にふわりと溶け込む。
その火力の勢いに思わず目を瞑り、そしてもう一度目を開けたときには、ベゴニアは全く別の姿へと変化していた。
大きな愛嬌のある瞳は切れ長の冷たいものに。二本の小さなツノは面影が微塵も感じられない壮麗なものに。尻尾は艶を伴いながら更に長くなり、そもそも幼いドラゴンだったはずが、立派な人間の男性になっている。
「はい!?」
現実が飲み込めていないアネモネを尻目に、人の姿になったベゴニアは、その怪しげな美しさを兼ね備えた顔で、目の前の鐵蜘蛛をじっと見つめた。
鐵蜘蛛は一瞬後ずさったものの、直ぐに立ち直り二人に襲いかかる。
するとベゴニアは指をパチンと鳴らした。
「少しぐらい黙っていることができないのか? ゴミ以下だな貴様は」
突如吹き上がった炎に一瞬で鐵蜘蛛が飲み込まれる。その火力はあたりの木々や岩までも消し飛ばし、乱闘を聞きつけて飛んできた教師たちもたじろぐほどだった。
その教師の一人、ライが広大な範囲を焼き尽くしていく炎を見て呟く。
「なんだこの火力は……。こんなの、大災害レベルだぞ……!」
やがて炎は自然に消失していき、鐵蜘蛛は既に跡形もなく焼き払われたのか、辺りにはベゴニアとアネモネだけが残った。
一体何が起きたのかわからないが、それでも震える声で尋ねる。
「べ、ベゴニア……なんだよね?」
「そうだ」
先程の少年声はどこにいったのか、今度は凛と透き通るような美声でそう答えたベゴニアは「だが」と続けた。
こんな姿をしていても中身はベゴニアなのかと、胸を撫で下ろしたアネモネは、それを聞いてまた身体を強張らせる。
「それは貴様が勝手につけた名だろう。俺はシリウス・ファフルーク――」
不意に頭の中で何かが引っ掛かる。どこかで聞いたような言葉だ。
ベゴニア――いや、シリウスはゆっくりとアネモネの方を見た。
「ドラゴン族の当主、アルデバランの息子であり次期当主だ」
「……え」
思っても見なかった名前に絶句するするアネモネの様子を、シリウスはただただ静かなる瞳で見つめていた。
アネモネはまだ知らない。この出会いが自分のこの先の運命を大きく変えることを。
これは、ある
ある使役者(テイマー)志望の無能少女が、幸せになるまでの物語。 猫柳 レイ @tatlilar2523080
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