「夏合宿」9
12 夏合宿2
「あら、なんだ。父さん達きていたの?」
「…どうして、姉貴のいるところには一度も出て来たことがないんでしょうねえ…」
明るくどら焼きを載せた皿を座卓に置いて。
香ばしい棒焙じ茶を湯呑みに注いで、篠原姉真琴が守をみる。
その視線を受けて、どんよりと肩を落としていう守に明るくきょとんとした目で見ながら、湯呑みに棒焙じ茶をついで前においてやる。
「どうしてといってもねえ、…。才能?お祓いの才能あるんだから、父さん達も一度、きれいに祓ってあげればいいのに」
あっけらかんという姉、真琴を恨みがましげな視線で俯いたまま器用に篠原守がみあげてみせる。
「原因はあれだろうな。成績表を仏壇に供えたろう」
「…あ、でも、あれはっ、…!それこそ約束だったし、実行しないわけにはーっ、…はあ、本山が祓う力がないなんていった幽霊を、ぼく如きが祓えるわけがないでしょうが、…。僕はしがない高校生ですよ?修行なんてかけらもしたことないんですよ?実家の両親が幽霊になって出てくるなんていっても、祓う力なんてあるわけないでしょうにー!」
ぐちぐちという篠原守を前に、平然と藤沢紀志がどら焼きを手に取る。
「なんとかするんだな」
「――ひ、ひどいっ、…!ふっちゃん!今回、夏合宿に呼んだのは、おれの他に唯一、幽霊になっちゃった両親と対峙して会話できるふっちゃんに、成績と約束のこととりなしてもらおうと思ったからなのにー!なのに、とりなす処か、仏教大学受けるの―――承ってしまわれるしっ、…!」
ショックのあまりか、敬語も何もわけのわからないことになっている篠原守の嘆きに、あっさりと真琴姉がいう。
「なら、受けちゃえばいいじゃない」
どら焼きを美味しそうに食べながらいう姉に守が視線を向ける。
「ひ、…ひどいっ、以前からいってるでしょ?おれの志望は医大なの!医者になるのが夢なの!仏教大学なんていったら、坊主にならないといけないじゃん!どーしてそういうことあっさりいうのー!」
抗議する守に、藤沢が淡々という。
湯呑みを、実にきれいに持ちくちにはこんで。
「いいじゃないか、受ければいいだろう」
「ふっちゃんまで、…!ぼくの進路ですよ?ぼくの進路なのにっ、…!ああもう、両親は頭かたくて、絶対に生前の意思を曲げてくれないしっ、…!」
嘆く篠原守に藤沢があっさりという。
「死者だからな。死者が柔軟に思考を変化させるなど、聞いたことがない」
そう、篠原守の両親を、進路に関して説得できない理由。
「そもそもが存念が残っておられる状態であるわけだろう。生きた存在と違って、死後は生きていたときの思考の残りが固着しているようなものだから、考えを変えさせるのは無理だろうな」
「―――…だからって、その幽霊にぼくが仏教大学受けるの約束しないでくださいー…!」
死後、幽霊となって寺に出るようになった篠原守の両親。
生前の坊主としての法力の強さ故か、幽霊として出た元住職をお祓いしてくださいと御本山――各寺には、その宗派を取り纏める総本山があり、そこから指導する僧が派遣されてくることもあったりするのだが――にも断られてしまった篠原家には。
「どうして、ぼくの進路を心配して、仏教大学受けさせて坊主にして寺を継がせようとするとーさんとかーさんの幽霊に、受験させるなんて約束をしちゃうんですかー!死者との約束は守らないといけないんですよー!」
叫ぶ篠原守に構わず、篠原姉を藤沢が見る。
「美味しい御茶をありがとうございます。このどら焼きも美味しいですね」
「あら、ありがとう、藤沢さん。このどら焼き美味しいでしょー?職場でね、上司にもらったの。粒あんが最高よね」
藤沢がうなずき、真琴に微笑むと手にした湯呑みを作法に則りきれいに呑んでいる姿に。
「ひ、…ひどいっ、…ねーさんも、かわいい弟に関して、ちょっとは気を使う気持ちはないわけ?これは、弟の一生を左右する、進路問題なんですよー?男だから坊主になれって、男女差別ですってばー!」
なげく篠原守にまったく構わず、篠原姉、真琴が目をとじてうっとりと焙じ茶の香りを楽しむ。
「いい御茶よねー、だって女ならなるのは尼じゃない。坊主にはなれないわよ?」
「…そ、そんなっ、…―――」
おいしそうなどら焼きを前に手もつけず、がっくりとうなだれている弟を前に、真琴がようやく視線を向ける。
「いらないなら、こっちでもらっていい?」
「…いります。いえ、だからですねっ?ぼくの一生の問題を一体あなたがたはどうおもっているのかとっ、…!」
どら焼きの載った皿を手許にかばい、篠原守がきっと姉真琴をにらんでいう。それに、実にうまそうにどら焼きの最後のひとかけらを食べると、藤沢が湯呑みを手にあっさりという。
「だから、受ければいい。受験するんだな」
「…――――えええっ、…――ひどいっ、ふっちゃん―――!」
「あまり、この弟に構う必要はないわよ?」
「それほど構っているつもりもありませんが」
真琴の言葉に湯呑みを手にゆったりと応える藤沢に。
「…―――ええっ、確かにふっちゃん、ぼくに冷たいですけどっ、…」
「そおう?私からみたら、充分、藤沢さんはこのばかかまってるわよー?」
「…に、認識の違いに抗議を、」
「まあ、そういうわけだ。受験しておけ」
姉の言葉に抗議する守に、藤沢紀志が振り向いて真面に視線をあわせていうのに。
「え?」
間抜けた面で篠原守がみつめかえす。
「だから、仏教大学を受験しろといっているんだ。ご両親の望みだろう」
ぱちぱちと、無言で篠原守がまたたいて藤沢紀志を見返す。
「そうよね、昔から、うちの親たちは守ちゃんに跡を継がせるのが夢だったから。それに、必要なのはいまどき仏教大学に合格すること、とか、昔から準備してたからねえ、…」
「ああと、…その?」
戸惑う守に、横を向いたまま御茶を飲んでいる篠原姉と。
正面から守を見て、淡々という藤沢紀志。
「つまりは、きみのご両親が望まれているのは、仏教大学の受験だ。受ければ良い」
「…あ、と、その、…つまり」
とまどってつまる守に、横をむいて縁側の向こうを見ながら、姉真琴がそっという。
「私だって、大学受験は複数したわよ?まさか、一校だけに絞って受験するつもりじゃないでしょ?」
「あー、…と、はい、…」
「生者と違い、思考に柔軟性はないが、死ぬ前に拘っていたことは理解できる。おまえのご両親が望んでいたことは、おまえが仏教大学を受験することだろう。成績表を仏壇に供えたり、そうした機会でしか姿を現わさないことでも推察できる」
「…――ああと、その、…そうですね、…」
気の抜けた声で篠原守がいうのに、藤沢が湯呑みをくちにしながらあっさりという。
「複数受験すればいい。仏教大学を受験して、他の滑り止めに合格したとか、色々とやりようはあるだろう」
「…――――確かに、ふっちゃん受験しか約束してませんけど、―――」
しずかに湯呑みを手に視線を伏せている藤沢紀志に、篠原守がうるんだ視線を送る。
「…ふ、ふっちゃん、…!ぼくのことを考えてっ、…?!」
感動と感激のまなざしに、篠原守が両手を組んで藤沢紀志を見つめてくるのに。
「尤も、相手が受験だけで満足するかどうかはしらん。落ちれば留年を望んでくる可能性もあるな」
「あー、そうよね。合格して満足すればいいけど、入学しなさいってくる可能性もあるし」
感動している篠原守に、冷淡な意見を藤沢が云い。それに、姉真琴も追撃するように救いのない予測を投げかけるのに。
「…ぼ、ぼくにどうしろっていうんですか―!」
篠原守が、どら焼きの皿を懐に庇いながら、悲痛なさけびをあげる。
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