「夏合宿」8
11 夏合宿
「ふっちゃんー、納豆食べるのに妥協しないよね、ほんと」
「勿論だ。何をいっている」
篠原ののびた声で問い掛けるのに、朝食の膳に添えられた納豆を美しい箸使いで混ぜている藤沢紀志が、淡々と視線を器に置いたままでいう。
処は、寺の膳所に近い扱いになっている篠原家の居間。
修行に来た僧などを泊めて食を供することも日常な為、それなりに広さのある和室に、藤沢紀志は、端座して美しい箸使いで無心に納豆を混ぜている。
正座して向かう膳が置かれているのは広い座卓。
昔は、四つ足の膳を用いて供されていたが、流石に日常の食事には不便となって、座卓が置かれるようになって十数年である。
向かい合う席についているのは篠原守。
朝食は洋食派の姉、真琴は台所でトーストを焼いている処だ。
スクランブルエッグと、昨夜の残りでカボチャの煮付けが真琴の洋風朝食には加わるらしい。
ちなみに、篠原と藤沢の前に並ぶ膳には、麦飯とお味噌汁に納豆と、鮭の酒麹付けを焼いたものが並んでいる。
さらに、ひそやかに小皿に載せたきゅうりと端物野菜のつけもの。
見事に、日本の和朝食の見本にしてもいい出来映えだ。
企画製作「篠原守プロデュース」の日本の和定食篠原家朝食バージョンを前に、藤沢が落ち着いて納豆にわさびを入れて混ぜ、満足したのか、器から麦飯に納豆をうつす。
端然と座し、納豆と麦飯をくちに運ぶ箸使いさえ美しい藤沢に、あきれながらも篠原がほっと息を吐く。
篠原姉、真琴の声が明るく台所から響く。
「ねえ!ごはん食べたら、食後のおやつにどら焼き食べる?丁度、もらったのが三つあるのよ!」
引き戸から何やら取り出す気配がして、それに藤沢が顔を向けて微笑む。
「いいですね、いただきます」
「わかったー!用意しておくわねー」
「はい、ありがとうございます」
穏やかに笑んで箸をおいて答えている藤沢の態度に、篠原守がこっそりとつぶやく。
「…いつものことだけど、ふっちゃんって、おれとねーさんに対する態度がちがいすぎるー、…いいんですけどね、下僕は一生下働きでも、…」
「昏いぞ、篠原。そんな当り前のことをいまさら嘆いてどうする」
「うっ、…留めを刺すひとこと、…」
こっそり聞こえる声でつぶやく篠原守に藤沢が醒めた視線をおくり留めを刺す。
それに胸を押さえてよろめいたふりをしてみせて。
「…ばかなことをしていないで、ちゃんとめしを食え。食材を無駄にするな」
「―――かえすがえすも、…反論できないお言葉、ありがとうございます」
「わかっているなら、無駄をやめて食事をとれ。今日は忙しいぞ?」
「あーと、…あ?」
よろめくのをやめてはっと視線を台所付近にやって篠原が固まる。
それに対して、まったく動じずに藤沢がきれいに麦飯と納豆をくちに運んでいる。
「いつも守につきあってくれて、ありがとうございます」
「守、食事時に巫山戯ていてはいかんぞ?藤沢さんを見習いなさい。やはり神職の処のお嬢さんだけあって、しっかりしておられる」
「そうですよねえ。…それに比べて守は。いつも本当に巫山戯てばかりで、ごめんなさいね」
年の頃は丁度、篠原守、真琴の親世代か。上品な婦人と、頭を坊主にした恰幅の良い男性が突然、空間に浮いたようにして現れて、藤沢に向かってあいさつすると守の非礼をたしなめたりとしはじめるのに。
「…――――えーと」
つまる守に構わず、綺麗に箸を置き、正座して正対する位置を空中に僅かに浮いている二人に向け直して、落ち着いた礼を藤沢がとる。
「お久し振りです。篠原にはこちらも世話になっております。この度は、夏合宿の場所にこちらをご提供頂き、御礼申し上げます」
綺麗に礼をとり、頭を下げて云う藤沢に。
無言で、くちをひき結んで篠原守が何ともいえない表情をする。
頭をさげ、礼法に則った綺麗な正座に手の置き方をした藤沢は、守の気配になど構うつもりはないらしい。
空中に浮いたまま、それに坊主頭がうむうむとうなずいて。
「いやいや、こちらこそ、お世話をかけていますなあ。…この小坊主は、いまだに修行もせず、―――立派な跡継ぎをお持ちの藤沢家が本当にうらやましい。…守、本当に、そろそろ性根を据えて、修行をはじめんか」
最後は守の方を睨むようにする坊主に、篠原守が天を仰ぐ。
上品な婦人が、おっとりと守を向いていう。
「そうですよ?大学、ちゃんと仏教大学受けるんですよ?」
「…――――。」
完全に視線が宙を泳いで、篠原守が遠くをながめるのに。
藤沢紀志が、ゆっくりと頭をあげて、宙に浮く二人を視線に入れる。
「承りました」
「よろしく頼む」
「あら、ではよろしくお願いいたしますね?」
宙に浮く坊主頭と婦人の姿が、―――。
完全に宙に消えて、それまでの居間とかわらない景色に戻り。
二人の姿が消えた宙と藤沢紀志を見比べて、篠原守が思わず叫ぶ。
「ど、…どうするの!ふっちゃん…!死者に約束なんてしちゃって、本気にするよ?他に方法なくなるよ?現実に実行しないと呪われるよ?いかに相手がもと坊主でも、いや、坊主なだけ法力とか無駄にあるから、滅するのも大変だし、そもそも滅する力のある人がもう御山にいないし、―――放置されてる無駄に強力なもと坊主と伴侶に、そんな無謀な約束してどうするの―――!」
朝食の膳に悲痛な篠原守の叫びが響き。
しかし、我関せずと藤沢紀志は既に納豆と麦飯のご飯に箸を戻してしまっていた。
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