「夏合宿」7

10 篠原守姉、真琴




 篠原守姉、篠原真琴は社会人である。

 ちなみに、尼になる気はないから、寺は跡継ぎの守が継ぎなさいね!というのが、篠原守姉、真琴の言葉である。

 有言実行で、寺を継ぐことなく社会人となり、既に婚約者もいる。ちなみに相手も坊主ではない為、ほぼ強制的に篠原守は跡継ぎとして坊主になることを期待されていた。男女差別といっていいであろう。

 ともあれ、庵主として尼が寺を守ることもあるが、例外といっていい。立派に男女差別をする宗教でもある仏教の一宗派である寺において、そもそも女性は変成男子とならねば成仏もできぬといわれてきているのである。宗派にもよるが、妻帯も基本はNGだ。

 本来なら。

 尤も、篠原家の寺は、元々妻帯可の宗派だ。その元々のさらに大本では本来妻帯は禁じられていたのだが(女人禁制で修行するのが本来のスタイルである)あるとき、一番偉い人が妻帯してしまったのだ。

 以後、この宗派では妻帯が禁止でなくなった。ついでに、代々続いて寺を守る家というものまで――これは、ある意味新しい形式でもあるのだが――出て来た。深く考えると、いま僧侶が不足して本山から派遣するというのは、元々の様式であるともいえるのだ。

 それはともかく。

 ともかく、仏教はその基本で女性を差別して成仏は本来できないものとしているし、本来女性は修行の邪魔なのである。そんな女性が尼になったとしても、跡を継ぐのは難しい。

 そして、そうした男女差別を利用して、元々、尼になる気はひとつもなかった篠原守姉、真琴は、別の道に進んだのである。

 守からすれば、男女差別反対!僕だって寺は継ぎたくない、といったところだろうか。

 そんなわけで好き勝手に生きている篠原姉だが、実は実家に居候している。というより、無駄に広い境内に昔は修行の為に僧を預かる宿坊もあり、すきま風は沢山吹くが、古めかしくぼろぼろな部屋が余っている。余っているものは使わないのは勿体ないと、好きに選んだ大学に行くときも、卒業して就職してからも、光熱費の節約よといって居続けている篠原守姉である。

 ちなみに、理不尽だ、という守に対して、「合理的よ」と一言で切って捨てた篠原守姉である。

 ともあれ。

 だから、夏合宿に藤沢紀志が泊まりにくるときいて、前日から準備をしてくれていたのも篠原守姉だし、今日も夕飯の準備をしてくれていたのも篠原守姉だ。

 実は、篠原の両親は既に他界している。

 既にこの寺は住職不在の寺であるのだ。

 では、何故、篠原の両親が守が医者になるのを反対しているのかというと、――――。

 そうしたことはともかく。

「…何でっ?どうして、あれはなにっ?!守ちゃん!どーしてあれはなんなのよっ、…!守ちゃん!責任とって、なんとかしてっ、…!」

「…えっ、その?僕に全振り?真琴ねーちゃんっ?」

「しらないわよ!とにかく、宙にみえるあれ、あれを何とかしてっ!しなさい!」

「…―――えーっ、過重労働はんたいっ、…!」

「誰が過重労働だ。いやなら、わたしが始末をつけるが?」

「…ふ、ふっちゃん、…この際、ふっちゃんにまかせても大丈夫な気がしてきた、…」

「…何いってるの?うちの寺の境内で起きてる怪奇現象なのに、守ちゃんが始末をつけなくてどうするのよっ!将来、立派な僧侶になれないわよ!」

「いや、それはむしろ好都合というか、望む方向性というか、おれ坊主にはなりたくないしっ、…!」

「あなたは跡継ぎでしょう、守ちゃん。強制なんだから、我慢しなさい」

「…おーれーは、坊主はいやなのー!普通の青春を生きたいのー!」

「何が普通の青春よ。そもそも、あれは何?一体どうしてこんなところに出て来てるのよ!坊主なら、ちゃんと成仏させなさい!」

「いやおれ、修行もしてないし、成仏なんて!そもそも、得度なんてしてませんからっ!」

「だったら、これからなさい!すぐ修行して、すぐ!」

「いや、いってること無茶苦茶ですってば!おれはそもそも僧侶にはなりたくないし、修行もしていないんで、―――」

ふり向いて、篠原守姉と篠原のにぎやかな会話を無言で見守っていた藤沢だが。

 その気配に、ふっ、と黙って篠原守姉と篠原守が、二人ともにそーっと藤沢紀志を無言で見た。

「…ええと、――ふっちゃ、…ん?」

「藤沢さん、…?」

非常に艶やかに薄紅の微笑が白い容貌を彩る。

 黒髪も艶やかな藤沢紀志は巫女としての衣装を身にまとっていなくとも、どこか神聖に近寄りがたくみえた。

「…ふっちゃ、ん」

篠原を見据えて、薄く笑む。

 その冷酷さは、確かに神に言葉を届けることのできる巫女に違いない。何故かそうおもえるほどに、冷酷に神に近く、あるいは。

 巫女、あるいは神子と。

薄く笑み、視線を伏せ。

それだけの気配に息を呑む。

あるいは、冷淡であり容赦の無いその気配にか。

「…篠原」

「はい?」

ふっちゃん?とつづけそこねて篠原守が困って見返す。

「…奴は、わたしが滅ぼす」

「…滅しちゃうの?」

「他に方法が?」

「…―――」

永遠におもえる沈黙が、暗闇にのまれてきえた。

 そっと、篠原守がため息を吐く。

本当は、他に方法なんてない。単に、後は何とか、少しでも満足してもらって、お盆にきた祖先をもてなして帰ってもらうように、少しでも、気の持ちようでも、やさしい思いを抱いてかえってほしかった。

 納得して、了解して、―――。

 いや、それだって残酷でしかないのだけれど。

 残酷というより、薄情か。

 お盆に帰ってくる祖先は、あの世のものだ。

 この世に留まってもらっては困るから、かえってもらう。

 死者と生者は交わらない。

 それは約束事だし、違えてはならないことでしかない。

 単純な世界を守る為の理だ。

 だが、けれど。

 お盆にご先祖様をもてなすように、美味しいごはんや、お菓子やお酒や、いろんな心づくしをお供えにして、ご先祖をもてなすのは。

 そうして、楽しく話して、また来年を約束をする。

 そんな風に。

「確かに、無茶なんだけどさ。ご先祖さまと同じ扱いなんて」

「そうだな」

俯いていう篠原に、藤沢がやさしくいう。

その声にうつむいたまま篠原守がそっという。

「でもさ、…ひとりだけ、生き残って、…世界がこわれて」

「…うん、篠原」

 どうして、それがわかるのかと。

 訊かれればそれは理屈ではない。

 うつむいたまま、そっという。

「世界が滅んで、かれひとりだけがのこった、…。」

 どうしてそれがわかるかといわれると困るが。

 篠原守と藤沢紀志には、それが接触した瞬間にわかってしまった事実だった。何といえばいいのだろう。

 そして、それに対して、容赦なく単に滅するというのが藤沢紀志であり。

 同情して、少しでも納得して消える道を選べないだろうかと、考えてしまうのが篠原守なのだ。

 荒ぶる神の御魂を祓うことが仕事の神主である家系の藤沢紀志と。

 先祖の魂を説諭から成仏に導くことが仕事である僧侶の家系である篠原守との、そこが違いであるのかもしれない。

 そして、話すかれらの前に。


 動かない世界に。

 ふと白い面をあげて、藤堂が視線を、――――。





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