「夏合宿」2

 2 「夏合宿」




「ふっちゃーん!ふっちゃんってばー!あいしてるー!…いてっ!」

「どうした、くだらないことをいって。」

冷たい目線でふざけた大声で手を振り回し、寺の玄関口で呼び続けていた篠原のそばまで足を速めることもなく平然と歩いてきて。

 ひとつ、軽く篠原の頭をはたいていうのは、藤沢紀志。

それに、涙目になりながら、えー、ひどいーと棒読みでうったえつつ、頭をさすりながら応えるのは篠原守。

 夏休み。

 なにがどうなったのか、篠原の陰謀が成立して、寺での「夏合宿」なるものに篠原共々参加することになった藤沢だ。

 まったくな。

いつもとかわらない篠原を眺めながら、藤沢はおもう。

「こいつはばかだな。」

「あーっ!ひっどいっ、…ふっちゃんっ、…!よよよ、…心の内をそんなにだだもれで言葉にしなくったっていいじゃんー、ねえ、ふっちゃん?そんな心のばいおれんすをどーしてくちにしちゃうの?あれてるの?心が荒んでるの?ふっちゃんー?」

「一度、正直になってみるのもいいかとおもってな。」

淡々とくちにする藤沢に、篠原守がおおきく眉をよせて大袈裟にアクションする。

「えーっ!ひどいっ、…こんなに僕、ふっちゃんにつくしてるっていうのに!愛が足りないー?ねえ、ふっちゃん?おれのあいって足りてないのー?」

「不足というよりも、不要だ。」

「…つ、つめたいっ、…ブリザードが吹きあれるくらいにつめたいっ、…!ひどいわ、ふっちゃん!よよよ…、ああ本当にかわいそうなおれっ、…!」

しずかにあきれた視線で突っ込みさえせずに見守る藤沢に、篠原がくちをさんかくに結ぶ。

 …器用だな。

見事に情けなさを表現してみせる顔でいう篠原に、淡々と藤沢がおもう。

 …そして、ばかだな、やはり。

「いま貴重な夏休みをこのままおまえを含めた夏合宿で消費していいものか考えている。」

「…ふ、ふっちゃん!」

悲劇のヒロインばりに、よよよ、と泣き崩れてどこからか取り出したハンカチをくちにひき結びいってみせる篠原に、最近芸が細かくなっているな、としみじみと思う。

 篠原守の実家は寺だ。いま背景に聳える古色蒼然とした実に立派な大きな本堂と庫裏、その他。広い境内も生け垣の向こうに続く墓地も、代々続く実に由緒正しい寺の息子のはずなのだが。

「おまえ、どうしてこれだけ、寺というものに似合わんのだろうな。」

「…―――そりゃあ、まあ、…おれもそれは自覚して、進路は医者になる予定ですからね?坊主には向いていませんってば。」

「…むしろ、生臭坊主とかいうものには向いているのではないかと思うが。」

ハンカチをどこかに仕舞い、すでに立ち直って、僕医者になります、とかいっている篠原をつめたくながめる。

 むしろ、こいつの軽薄さでは医者も坊主もあわないという方が正しい気がするが。

「…いまふっちゃん、心の声でなにかひどいことおもってません?」

「だから、くちにするのもしないのも一緒だということだろう。おまえが医者になるというのも、どうだろうとは確かに思うな。」

「うっ、…ダメージが、…」

「いっていろ。」

冷たく応えて、ふと視線を外にずらした。

「…え?」

同時につられてか、篠原が同じ方をみて思わずも目をみひらく。

 夕暮れ時の寺の境内。

 夏日はいまだ空を明るくして、宵の闇に包まれる気配はいまだ先だ。

 かわたれどき、と。

彼は誰れ刻。

夕暮れと宵の挟間にある刻。

急速に夜の暗さが寺の境内を闇に沈めようとしていく時刻。


世界の闇に訪れる刻を。


まるで闇を背景として、それは現れていた。

闇に薄く二重に視野に映じるすがた。

それは、多分。


白く沙の流れて残る波紋に。

その音の無い世界のすがたに。

闇に落ちる境内に彼等は確かにいるのだけれど。

その上に。


白の沙漠が、同じ世界のひとつとしてみえていた。

「藤堂、…。」

 藤沢がくちにする。

 無音の沙漠に立つのはひとりだ。

 ひとりだけ其処に在る。

 残念ながら。

「…えっと、ふっちゃん?あのとき消えたはずだよね?この人?」

疑惑を目に浮かべながら、藤沢の腕をつかんで、篠原がくちを結ぶ。藤沢の肘辺りをつかむのは、こうしたときの篠原のくせだ。

 藤堂、と。

 名を確かそういった、亡霊として消えたはずの男が。

 白の沙漠に立ち、どこか違う方角を向いていた視線を、顔を、振り向けて、―――。

「…ま、まずいって!ふっちゃん、撤収、―――っ?!」

藤沢を抱き寄せて、相手の視線から遮ろうというように篠原が動くけれど。

「…間に合わないな。」

「―――れいせいな判断ありがとう、…ふっちゃん、…。」

 おれたち、いまから合宿のはずなのに、こーいう事態に対応する為に、今日ここに集まったはずなのにー!と。

篠原が瞳をうるうるさせながら、つぶやいているのを平然としたまま藤沢がきく。というか、もはやあわてても既に仕方ない状況であるのは確かだろう。

 夜に近づく寺の境内と。

 白い沙漠の無音のさま。

 あの沙漠は、―――。

「静かの海か。」

 月面にあるといわれる無音の沙漠。

 だが、そこはこれほど明るいだろうか?

 さらにいうなら、けして、ひとが地上と同じそのまま、――けして宇宙服とかではないと思える、極普通のスーツに革靴、白いシャツで立っていて、生きていける環境ではなかったはずだが。

 鈍色の空を背景にした明るい白い沙漠の無音。

 その背景に立つ、地表にあるのと変わらない姿と思えるスーツ。

 その藤堂が、振り向くのを。

 その立つ沙漠が、何故か静かの海だと。

「月面にひとり、――まだ滅してはいなかったか?」

 藤堂、と続ける藤沢に、無言で篠原はつかむ手に力を籠める。

「藤堂。」

もう一度呼ぶ名に、ゆっくりとそれは振り向いた。

 視線が、完全に藤沢と遭う。

「…ふっちゃん、」

「篠原」

「…はーい?なあに?ふっちゃん。」

 藤堂が、振り向く。

 無表情のまま、――――。


 くちをひらいた。









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